一章:2 天啓
「あたし、魔界に行くの」
駅へ向かう帰り道。
通りに彼女の言葉だけが響いた。
一瞬、何を言ってるか分からず足が止まり、あぁ冗談かと話を続ける。
「いいね。
影を実体化させる能力だっけ?
俺の見立てじゃ即死するね」
「あんたには一応言っとこうと思って」
「はいはい」
適当に流しつつ、どんなツラして言ってるのか気になってそっちを見た瞬間。
一気に酔いが消し飛んだ。
こいつ、冗談で言ってない。
この国を出て魔界に行く。それは能力を得る代わりに結界の内には二度と戻らないということ。
境界は厳重に何重にも張られており、その外の様子を知る者は和国には誰もいない。
魔界行きの人数が過去最多になったというニュースは見た。
それでも世間では、魔界に行くことは自殺行為扱いをされていたし、自分もそれには同意だった。
「……なんで?」
やっとの思いで絞り出した言葉がそれだった。
夜風で一気に身体が冷えていく。
「色々考えたんだけどさ、もういいかなって」
「答えになってないんだけど」
事が事なので、咎めるような口調で返してしまう。
「あんまり明るい話じゃないから。
今日は楽しい気分で飲んで別れたかったの」
「おかげさまで全部吹き飛んだよ。話して欲しい」
「……まぁ、そうなるわよね」
ミュウトはそう言いながら、駅の方へ歩きだした。
少し遅れて、自分も続く。
「あたし、妖狐じゃない?」
「あぁ、カワイイ系よりこういう系の方が好きってことで選んだんだろ?
今更嫌になって魔界行って変えたいとか?」
冗談で言ったつもりだったが、ミュウトは目を細め、顔を伏せた。
「……そうなの」
そうなのじゃないが。
「いや、似合ってると思うよ? そんな魔界に行くほどの……」
「同じ種族の男がいないのよ」
「……?」
特殊種族は外見設定時、プリセット外の自由記述でようやくなれる。
確かに、男で妖狐になろうと思うヤツは多くないかもしれない。だからといって……
「だからって、和国の外まで探しに行くってか? それか種族を変える能力持ちを探すって?
いやいや、命賭けることか? それが。考えなおせ……」
「子供ができないの」
「……っ……!」
不意の話題に面食らってしまい、
説得してやろうと構えていた口が閉じる。
「……同種じゃなきゃ無理なのよ」
掠れ、震えた声。
「……なるほどね」
予想外かつ繊細な話題の返答に困り、分かったような相槌しか打てなかった。
「変な話だけどさ、なんで生きてるんだろうって考えてみることってない?」
「ん?」
ないわけではないが、今はこの類の言葉を肯定したくなくて中途半端な返事になる。
「前世でのあたしのそれは家族だったの。あとは小さい頃から仲良かった友達。
でもこっち来た時、両方いなくなっちゃってさ」
前世の親しい者がいない孤独感。
転生人なら多かれ少なかれ抱く悩みだ。
「俺もそうだし気持ちは分かるよ。
友達のことは残念だけどさ、けどこっちでまた作ればいいじゃねえか。家族も……」
ここまで言って、また言葉に詰まる。
「……家族も、子供いなくても仲良い夫婦だって全然いるわけじゃんか」
ミュウトはじっとこちらを悲しげに見つめていたが、やがて前を向いて静かに微笑んだ。
決して、肯定してない。そんな表情。
「いや、勿論色々考えてなんだろうけどさ……」
説得したい気持ちとは裏腹に語気はどんどん弱まってしまっていた。
「そうね。結局あたしの問題。
あたしはあたしの子供が欲しいの。
花屋さんになりたいとか、出世したいとかと同じ話だと思ってくれていいわ」
髪をくるくると指先で弄りながら言う。
「だからこれは諦めとかじゃない、むしろ前向きな話なのよ。
魔界にいって能力が使えるってなったら話が変わってくるわけじゃない?」
この和国では「人が人らしく生きる」が国是であり、許可されたごく一部の能力以外の使用は建国時から禁忌とされている。
『全ての病気を治す能力』が分かりやすいが、
ちょっとでもそういった便利な能力の規制を緩めると、二度と民衆は能力を返したがらない。
後から社会への致命的な悪影響が分かっても、再規制が難しいので極めて規制緩和には保守的だ。
ただ、だからこそ、確かにこの国を出れば解決の可能性はゼロではない。
「今日のあんたの話、結構気に入ったのよ?
目標も持たずに毎日過ごすなんてまっぴら。
あたしは自分の人生に理由を求めるタイプなの。だから、魔界に行く」
くるっとこっちを向いた。
「ほら、前向きな話でしょう?」
精一杯の、硬い笑顔。
後になってから思い返せばあぁ言えば良かったと思いつきもする。
ただ。この時の俺はなんと返せばいいかわからなくなってしまっていた。
※ ※ ※
駅に着いてからも、どこかぎこちない空気の中、二人でぽつぽつと言葉を交わす。
互いに電車は逆方向。
既に何本も電車を見送っていて、今『到着します』のランプが点灯しているのがあいつの終電だ。
強く引き止めたい気持ちはあったが、内容のない会話しかできていない。
「何かこっちでやりたいこととかないの?」
「大体やりたいことはやったのよね。
だからおすすめ聞いたのに、あんたイタリアって」
「あれ、そういう意図かよ」
そこでまた、会話が途切れた。
「いつ行くの? 魔界」
「再来週」
思ってたより早い。
開催間隔を考えると、これが最後の飲みということになる。
「仕事とか住居の手続きは?」
「仕事はもう辞めてきたわ。
こっちの退職制度は便利ね。サービス使えばスマホからすぐに退職願い出せるの。
受理されたら後は引き継ぎだけしておしまい。
家の契約とかも魔界行きの時にまとめて色々整理してくれるみたい」
「はっ、準備万全ってか。
つか、なーにが仕事の調子はまぁまぁだよ」
「言ったでしょ? 最後は楽しく飲みたかったの」
電車がくる。
これが最後の会話になるということに、まだ実感が持てない。
「定期飲みもこれで最後か、突然すぎるなぁ」
「あら、そんなに楽しみにしてくれてたの?」
「お前が見つけてくる店、うまかったからな」
口から出るのは会話をただ繋ぐ言葉だった。
自分が何を喋っているかも、よくわかっていない。
「魔界、どんなところなんだろうな」
「さぁ? 異世界だってこんな感じだと思ってなかったもの。
それこそ行ってみないと分からないわね」
「全知全能の神様みたいなスーパーチーターがゴロゴロいるかもしれないんだもんなぁ」
「いてくれないと困るわよ」
「お参りしたら話聞いてくれるのかね?」
「さぁねぇ、それこそ神の思し召しってヤツじゃないかしら」
想像を現実にする能力だけでも、和国で十六件確認されている。
たしかに望みもあるのかもしれない。
ただ、転生して、わざわざ無法地帯を選んで、
洗脳だなんだの能力を持って数十年。
俺だって間違いなく人にその能力を使う。
……やっぱりどう考えてもろくな世界ではない。
なんて、一瞬魔界に思いを馳せる俺を、電車のブレーキ音が現実に戻した。
「じゃあ、あたしこれ終電だから。
今日は楽しかったわ」
扉が開いて、ミュウトが乗り込んでいく。
不穏なイメージがどうしても拭えず、すぐにでも止めたい衝動に駆られるが、どうしても言葉が出てこない。
(どうしよう)
――ほぼ自殺行為だろ止めるべきだ。
(もう行ってしまう)
――けどなんて? 問題が問題だ立ち入るべきじゃない。
――いやいやそんなこと言ってる場合じゃないだろう?
(最後にかける言葉を)
――というか自殺は悪なのか。ましてや自殺ではなく夢の為に命を張ってるのだ。これは悪なのか?
――いや、理屈じゃないだろこういうのは。
――理屈じゃないなら説得もできないじゃねえかどうすんだよ。
(何か最後に言わなくては)
――俺が嫌だからやめてってのはどうだ?
――それでやめるなら今日誘われてないだろ
――和国逃げ出すメンタルであっちで成功するわけないってのはどうだ
――だからそう言われてはいやめますってなるかよ最悪の別れになるだけだぞ
――何も思い浮かばない洗脳でも能力でも神様でも何でもいいから何か! なにか、なにか、なにか、なにか!!
「じゃあな、応援してるよ」
「うん、行ってくる」
互いに固く握手をした。
ドアが閉まりゆく時の、こんな言葉しか出てこなかったあの無力感は今でも覚えている。
なにせ、このことをきっかけに俺は宗教にハマることとなるのだ。
この物語は、こんなくだらない世界でいかにして――
こんなにも夢も希望もない世界でいかにして――
「そうだ、俺が神になればいいのか」
「は?」
いかにしてこの女のような無知蒙昧で哀れな存在に神の言葉を伝えるか。
日々悪戦苦闘する、超ハッピーな新興宗教創設物語なのだ。
「どうして気付かなかったんだろう!」
「!?……ちょっと! 引っ張らないでっ!」
「そうだ! そうだよ! 俺が神になればいいんだ!」
「ねぇ! 離しっっ!!! ドアもう閉まッ!!
ッッ!! ねえ!!! 終電行っちゃったんだけど!!!」
「いや、ちょっとだけ話を聞いて欲しい。そして君には信者第一号になって欲しい」
「終、電っ! どうすんのよバカっ!!」
まったく、先が思いやられるだろう?




