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第3話 彼氏

「そういえば、彼氏できた」



 報告は突然だった。


 桜の季節もとうに終わり、徐々に暑い日も増えてきたある日の帰り道。

 黎は私の隣を歩きながらそう言った。


 私はその言葉に一瞬止まりかける。



「……そうなんだ」



 知っていた。


 昨日の放課後に黎が同じクラスの男子に呼び出されていたこと。


 黎は誰のことも拒まない。


 求められれば、同じだけの言葉を返す。



「うん」


「……今日一緒に帰らなくて良かったの」


「向こう、部活だから」



 何も気にしていない。

 別に気にならない。

 黎が誰と付き合おうと関係ない。


 ――はずなのに。


 なぜか心臓が嫌な音を立てている。



「何部だっけ」


「サッカー部」


「……忙しそうだね」


「うん。でも明日は部活ないらしい」


「……そう」



 明日は一緒に帰れないだろう。


 きっと彼氏が誰よりも先に黎の予定を埋めてくる。



「……ほんとに好きなんだよね?」



 あまりに飄々としている黎に思わず言葉が先に出る。



「うん、好きだよ」



 その“好き”がどういう好きかはわからない。


 でも、彼氏が黎を好きで、黎もそれを受け入れている。

 それなら、両思いに変わりはない。



「そっか」



 私は足元に視線を落とす。


 すると黎はいつものように顔を覗き込んでくる。



「玲は好きな人いないの?」


「……いない」


「彼氏、いらない?」


「今はいいかな」



 私にも彼氏がいた時期はあった。


 昨年の秋、文化祭のノリで同じクラスの男子に告白され、付き合った。

 でも、気づけばお互いの優先順位がどんどん下がっていき、クラス分けをきっかけに別れた。

 今では廊下ですれ違っても、目も合わせない。


 ……そのときはちゃんと好きだったと思う。



「そっか」



 黎はまた前を向いて歩き出した。



⸻



「黎!一緒に帰ろう」



 翌日の放課後。


 案の定、黎の彼氏はその特権を使う。



「いいよ」



 黎はそのまま、彼氏と教室を出ていく。


 楽しそうに笑い合う二人は側から見ても幸せそうなカップルだった。


 私はそれをただ見てるだけ。


 ……まただ。


 胸の奥が軋む感覚。


 私はしばらく、そのまま動けなかった。



⸻



 その翌日。


 昼休み。


 黎は今日は男女で仲の良いグループの中にいた。

 中には黎の彼氏もいる。


 ……今日はその人たちだろうな。


 そう思って私はそっと席を立つ。



「岸村、ご飯食べないの?」



 たまにお昼を共にする友人が声をかけてくる。



「……今日はお弁当ないから、購買行ってくる」



 そう言って足早に教室を後にする。


 今日は、黎を見たくなかった。


 私はそのまま、お昼で賑わう購買でなんとかパンを1つ買う。


 ……このまま教室に戻れば、黎のことを見てしまうのがわかってる。

 戻りたくなくて、なんとなく、そのまま旧校舎の屋上に足を向けた。



⸻



 旧校舎の屋上へ向かう階段には、古い物がたくさん置かれている。

 昔の文化祭の出し物や体育祭の飾りなど、使わない物が一旦ここに押し込められる。


 それらを避けながら階段を上がっていく。

 躊躇いなく扉を開ける。



「……玲?」



 先客がいた。


 黎だ。



「……なんで、ここに」


「休憩」



 そう言って黎は地面に座ったまま、一人でお弁当の卵焼きを一口齧る。



「一緒に食べよ」



 心臓がドクリと跳ねる。


 嬉しかった。


 本当はわかっていたのかもしれない。


 黎がここに来ているかもしれない、と。

 少しだけ期待していた。


 本当に、いた。


 沸き立つ心を抑えるように、平静を装う。



「……いいけど」



 私はスカートを押さえながら黎の隣に座った。



⸻



 その日の放課後。


 私は委員会の集まりがあったせいで、まだ学校にいた。

 新学期が始まって間もないこともあり、ポスター作成などに時間がかかったのだ。


 少し日が傾いている。


 ようやく作業を終え、下駄箱に向かう。

 校舎を出ると、ちょうど部活も終わりの時間だったようで、運動部が片付けをしている。


 こんなに遅くなる予定ではなかった。

 早く帰ろう。

 そう思い、部活終わりのラッシュに巻き込まれないよう足早に校門へ向かう。


 体育館の横を通り過ぎる時だった。



「なんでだよ」



 裏の方から微かに誰かの怒っているような声が聞こえた。


 なんとなく、嫌な予感がした。


 早く帰ろうと思っていた足が自然と体育館裏に向かう。


 そのまま物陰からそっと覗いた。



「この時間まで待っててくれたんじゃないのかよ」


「待ってたよ」


「……なんで男と一緒にいたんだよ」


「お互い暇だったから」



 黎と彼氏だった。


 彼氏の感情の昂りを他所に、黎は変わらず淡々としていた。



「今日の昼も急にいなくなるし」


「……とくに約束してなかったから」



 何の悪気もなく答える。


 それが余計に彼氏を刺激しているようにも見える。



「俺、彼氏だよな?」


「うん」


「……だったらもう少し俺を優先してよ」


「……それは、」


「約束が必要なら、明日から昼も一緒にいよう」



 彼氏が黎の言葉を遮る。



「男と一緒にいるのもやめて」



 彼氏がさらに要望を出す。


 こちらからは黎の表情は見えない。


 それでも、困っていることだけは分かった。



「……わかった。気をつける」



 少し悲しそうな声が体育館裏に残った。



⸻


 

 翌朝。


 私が教室に着くと、すでに黎の姿があった。


 昨日のことなど何も感じさせないほど自然に、女子のグループの一つに混ざっている。



「岸村、おはよー」


「おはよう」

 


 クラスメイトに適当に挨拶を返しながら、視界の端では黎の姿を追っていた。


 席に着くと、前席の男子が声をかけてくる。



「岸村。英語の課題終わってる?」


「まあ」


「……ちょっとだけ見せてくれない?」



 いつものやりとりに少しため息をつきながら、鞄の中から英語のノートを取り出す。



「はい」


「ありがとう!助かる!」



 ふとさっき黎がいたグループに目をやる。


 ……いない。


 朝からいなくなることなんて、そうそうなかったのに。


 教室内を見渡す。


 どこにもいない。


 ただのトイレかもしれない。


 ……気にするな。



「岸村、ありがとう」



 前の席からノートが返ってくる。



「……ああ」



 一拍遅れてノートを受け取る。


 遅れた分を誤魔化すように付け足す。



「……購買でパン奢ってね」


「え!あぁもちろん!」



 男子は苦笑いしながら頷いた。


 その後。


 HRが始まるころには、気づけば黎は戻ってきていた。



⸻



 昼。


 黎は彼氏と教室を出て行った。


 昨日言われていたように、二人でご飯を食べるのだろう。


 私も購買にパンを奢ってもらうために、前席の男子と教室を出る。



「岸村、いつもありがとうな」


「……これからは1回ごとに奢ってもらう」


「……マジか。いやいや、了解!」



 ここまで言えば毎日見せろとは言われなくなるだろう。


 やがて購買につく。


 やはりいつも通りとても混んでいた。



「何にする?」



 男子が尋ねる。



「んー」



 人の合間から、残っているパンを確認する。


 その時。



「黎、こっちにしよう」



 低い声で黎を呼ぶ声が聞こえた。


 思わず振り返る。


 黎とその彼氏だった。


 中庭に向かおうとしている。


 黎の横顔がちらりと見えた。


 どこか雲がかかったような暗い顔をしている気がした。


 黎はいつだって自由で、誰とでも笑って楽しそうにしている。


 黎のそんな顔は見たことがなかった。


 ……あんな顔をしている黎を、そのままにしておきたくない。


 そう思った次の瞬間、私は動き出していた。



「メロンパン」


「え?」



 男子にそれだけ告げると、私は黎と彼氏の元へ走った。



⸻



「……岸村?」



 気づけば私は黎の手を取っていた。


 彼氏が不思議そうな顔でこちらを見ている。


 黎も驚いた顔をしていた。



「玲?」



 黎がこちらを見て首を傾げる。


 私はもう勢いを止められなかった。



「……来て」



 そう言うと黎の腕を引いて、走り出した。



「おい、ちょっと!」



 彼氏の声が聞こえたが無視した。



「岸村、メロンパン……」


「机の上に置いといて!」



 購買を通り過ぎる際に、振り向きもせずに答える。


 私はそのまま、黎を連れて走った。



⸻



 旧校舎の屋上。


 黎の休憩場所。


 気づけば二人でそこにいた。


 お互いに息を切らす。


 目が合うと、黎は笑い出した。



「何でこんな走らされたの私!」



 黎はお腹を抱えて笑っている。


 私は肩で息をしながら黎を見つめた。


 笑っている。


 それだけでさっきの居た堪れない気持ちが和らぐ。



「……だめだった?」



 私はあえて濁して尋ねる。



「ううん!面白かった!」



 「はーっ」と息を吐きながら、黎は改めてこちらに向き直ると。



「ご飯食べよっか」



 そう言って地面に腰を下ろす。


 私も自然と隣に腰を下ろした。


 そこで思い出す。



「……昼ごはん、ない」



 お昼ご飯のメロンパンはおそらく私の机の上にあるだろう。


 私がそう言うと、黎は再び笑い出した。



「いいよ、半分こしよ?」

 


 そう言って黎は持っていたお弁当を広げ始める。


 それを見ているうちに、今更になって、私は自分がやったことを思い出して焦り始めた。



「……彼氏、大丈夫?」


「……いまさら??」



 黎はまた笑った。



「もー、いいよ。楽しかったから」



 そう言って、躊躇いもなくお弁当を食べ始めた。



「ほら。玲もどうぞ」



 黎はお弁当の蓋におかずを少し乗せて差し出してきた。



「……ありがとう」



 黎の笑顔を見ていたら、焦っていた感情も薄くなり、私はもらったお弁当のおかずを口にした。

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