第2話 匂い
移動教室で廊下を歩いている時だった。
「玲って、いい匂いするよね」
私はその言葉を聞いて一瞬フリーズした。
「落ち着く」
そう言って黎は私の腕に自分の腕を絡めてくる。
近い。
いつも気まぐれに、色々な人の横にいる黎は、今日はなぜか私の隣にいた。
「……近い」
短く返す。
でも振り払いはしない。
むしろ腕を絡ませやすいように、無意識に少し腕を広げてしまっている。
胸が熱くなる。
匂いって。
ただ、落ち着く匂いだと言われただけなのに、私の心は落ち着かなかった。
「そう?でも玲も別に嫌じゃないでしょ?」
「……」
嫌なわけない。
……なぜかは分からないけど。
「……嫌なわけないでしょ」
「そっか」
黎は私の顔を覗き込む。
「何」
「……なんでもない」
⸻
スクリーンに図と文章が映し出されている。
薄暗い理科室。
生物の授業。
黎は少し遠くの前方に座っていた。
移動中は私の隣にいたかと思えば、教室に入った途端、どこからか「黎!こっち!」と呼ばれるがままに、私のそばから離れていった。
ほんとに気まぐれ。
黎は誰とでも仲が良い。
その時の気分で、一緒にいる人も変わる。
それを、みんな知っている。
……それでも、ときどき勘違いする人がいる。
「……」
無意識に黎の方を見る。
堂々と机に伏せて寝ている。
授業が始まってからまだ一度も起き上がっていない。
……なんでこんなに見てるの。
慌ててスクリーンに目を移した。
⸻
授業終わり。
「黎!起きて、終わったよ!」
黎の周りにいた子達が起こそうと声をかける。が、一向に起きない。
完全熟睡モードに入ってしまっているようだった。
「戻る前にさっきのプリント、前に提出してって!」
先生の声が響く。
その後。
「岸村」
「はい」
先生に呼ばれる。
「プリント全員分集まったら、職員室に持ってきて」
「分かりました」
先生はそう言うと、すぐに教室を出ていってしまった。
⸻
人がほとんどいなくなった理科室で私はプリントを数える。
「岸村ー!」
ドアの方から声がかかる。
「何」
「黎、起きないからあと頼んだ!」
それだけ言うと廊下に出て行ってしまった。
気づけば私と黎だけになっていた。
小さくため息をつき、私は黎の元へ行く。
「黎」
肩を揺らす。
起きない。
私はせめてプリントだけでも回収しようと、腕の下に挟まれているプリントを少し引っ張る。
すると。
「……玲?」
小さい声が聞こえた。
そのまま黎はゆっくり起き上がり、伸びをする。
周りを見渡す。
「あれ、もう授業終わり?」
「とっくに」
「マジかー全然気づかなかった」
そう言って黎は笑った。
「……プリント、提出だって」
「え、あ、まだ何も書いてない……」
「だろうね」
私は小さくため息をついて、自分のプリントを黎に差し出す。
「参考にして書けば」
「うわ、ありがとう〜」
そう言って黎は私のプリントを受け取り、読みながら自分のプリントを埋めていく。
書きながら黎が口を開く。
「準備よすぎじゃない?」
「え?」
「玲のプリント出てくるスピード異常だったから。私がプリント埋めてないの分かってたみたい」
鋭い。
「だってずっと寝てたじゃん」
「あぁ、見てたの?」
「……」
しまった。
「いや別に……って言うか大体いつも寝てるじゃん」
少し早口になってしまう。
「まぁそうだけどさ」
黎はそう言ってまた笑う。
「……一緒にいた子達、何回も起こそうとしてたのに、起きないし」
「え、そうだったの?普通に放っていかれたと思ってた」
「そりゃ起こすでしょ」
「全然気づかなかったなぁ」
「あとで謝っとかないと」と黎はバツが悪そうに視線を逸らす。
そんなことを言っているうちに、黎のプリントが完全に埋まる。
「はい、できた。プリントありがと」
「ん」
黎からプリントを回収し、他の束と一緒にしてもう一度枚数を数える。
私が枚数を数え終わると、黎は片付けを終えてドアのところで待ってくれていた。
「よし、ご飯食べよー」
今日は私か。
無意識に湧いてくる嬉しさを堪える。
「……どこで食べる?」
「んー、旧校舎の屋上!」
私たちは歩き出す。
私は職員室へ寄ってから屋上へ向かう予定だった。黎も当たり前のようについてくる。
「そういえばさー」
黎が口を開く。
「玲ってやっぱいい匂いするよね」
「……さっきも聞いた」
「さっき起こしに来てくれたとき、玲の匂いで起きれたからさ」
私は思わず足を止めた。
「何それ」
「そのまま」
黎はまたいつものなんてことないみたいな顔をして続ける。
「玲の匂いだ、と思ったら起きてた」
頬が熱い。
匂いで認識されるほど、匂いが強いのだろうか?
思わず自分の袖を自分で嗅ぐ。
「……そんなに強い?」
「んー、私が玲の匂いに敏感なのかも」
「好きな匂いだから」
ドクっと心臓が脈打つ。
心拍が早い。
鎮まれ。
「……そう」
必死に心の揺れを隠す。
だが、黎が顔を覗き込んでくる。
「玲、顔赤いね?」
「……」
「かわいい」
「……っ」
思わず黎の方を見ると、少しイタズラっぽい顔で笑っている。
「うるさい」
「はいはい」
精一杯の反抗が軽く流される。
そうやっていつも黎のペースに乱されるのだ。




