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第三十六章 気持ちと言葉―2


めったに人なんて来ない旧館の屋上。

いきなり現れた剛史からポスンと手の中に落とされたのは、

まだ十分に暖かいココアの缶。


「あつ…っ…」


思わずそれを握りしめて、

自分の体が思いのほか冷えていた事に気付く。


「――バーカ」

「は?」

「このおバカ」

「はあ?」

「この寒いのに、いつまでこんなとこにいる気だよ。

いくらお前がバカでも、風邪、引くだろうが」


ほれ、飲め。

そうぞんざいに言われて、

すっかりかじかんでしまっていた手で、ココアのプルトップを開ける。


――あったかい…


一口飲んだココアの暖かさと甘さが、

夢に引き摺られかけていたあたしを現実に呼びもどしていく。


「…なんで、ここにいんの…?」


コクッ…と、もう一口飲みこんで。

つい拗ねたような口調で問いかける。


誰にも、見つからないと思ったから、

あたし、ここに来たのに。


「お前ね、行動が近視眼過ぎ」

「は…?」


き、きんし… …なんだって?


「ああもう、つまり。

短絡的?――ってか、場当たり過ぎ」


…なんかわかんないけど、褒めてはいないよね、それ。


「確かに、ここって結構盲点だけどな」


そう言うと、剛史はわざとのようにぐるりと周囲を見渡して、

ある一点で視線を止める。


「ここ、実は、あっちの窓から丸見え」

「へ?」


そう言われて、剛史が親指で指示す方を見ると…


――げっ…


なんなのよ、あれ。

隣の新館の五階。

この屋上が唯一見下ろせる角部屋のベランダの窓。


「あそこ、今まで擦りガラスじゃなかったっけ?」

「あ~…あれな。

結露除けとかって、なんかよくわかんないシート張ってたんだわ。

包装に使うようなプチプチっとしたのが一杯ついた半透明のでっかいの」

「…」

「この前、院長から急にお達しが来て。

節電の為、今度ペアガラスにするとかで、三日前に全部一斉に取り外し。

結構凄かったぞ~ こう、ばりばりっとな」

「…」

「でもって、あそこ。俺ら、整形外科の医局」


イッツ、アンダスタン?


…下手な、和製英語使ってんじゃないわよ!


そうでした。

間違いなくあそこは、

アナタ様たちが日常居られる、恐れ多い医局のある場所でしたよね。


――ってことは、今まであそこから丸見えだったって事?


「……もしかして、見てた…?」

「な~にを?」

「なにって、その…」

「お前がお前らしからぬ行動を、おもいっきりしてた件か?」


なんだ、そのもって回ったような言い方は!


「いつから…?」

「いつからって… その、まあ、なんだな…」


――あぁぁ…


今さら視線をそらされたって、

あんたの行動見たらわかっちゃうってのが、悲しいわよ!


空見上げて~、溜息ついて~、

思わせぶりに手すりなんかにもたれちゃって~…


「――…とか、思ってんでしょ…」

「は?」

「どうせ、似合わね~とかって思ってんでしょ?!」


だ~れも見てないって思ったから、できたことだってあるってのに!


ああもう、やだ! 

ホントに、ヤダ!

なんかすっごくハズイじゃないか!

人が見てないからでる仕草って、あるじゃない!

なんでこんな時ばかり、いつもこいつに見つかんの。


「どうせ、あたしの柄じゃない!」


先手必勝!


「別に、たいしたこと考えてた訳じゃないから!」


言われる前に言ってやる。

この次降ってくるセリフが聞きたくなくて、口が音を繋いでいく。


わかってる。

あたしなんかにはどうやったって、

『思い悩む』なんて高度な仕草、できゃしない。

『何時も明るい元気な有里ちゃん』があたしのトレードマーク。

なんなら、そこに、

ガサツで、女らしくないって入れようか?

少しぐらいはほっといて、

見て見ぬフリぐらいはしてくれても、いいじゃない?


「――たいしたこと、なんだろ?」

「…へ?」

「お前が、一人になるくらい、重要な事、なんだろ」

「……」


今までの剛史だったら、

『バカが悩んでも絵に何ねぇぞ』とか、

『悩むだけ無駄なんだから』とかって言ってくる。


こんな風に、あたしの事に共感する…というか、

同意する?


…ああ、もう、何ていうのかな。

いつもの奴と違いすぎて、戸惑う。


「――奴の、ことか?」

「へ?」

「…お前が、悩んでるのって、例の奴の事か?」

「例の…?」


えっと、誰の事ですか?


「だから、その、…前に、言ってた、お前の、その、好きだって、言った…」


あ、それってアレク?


「あ、違う」

「は? 違う?」

「うん、違う」


うん、違う。違うよね。

確かにアレクの事じゃない。


「…そうか、違うのか…」


もしも~し。剛史さ~ん。

あなた、なんか、すごくホッとしてません?


「じゃあ、なんだよ」と、

今までそらしていた視線を、あたしに向け直して。

それが真剣に、言ってるのがわかっちゃったから。


「う~~ん…」


言われて、話せるような内容だったらよかったが。


「俺には、言えねーのかよ…」


その顔が、なんか、少しだけすねてるみたいで―― 

で、なんだか、本当に。

答えてくれそうな気がしちゃったもんだから、聞いてみた。


「あのさ」

「ん?」

「…すごく、カッコよくて頼りになる人がいるんだけど」

「――おまえやっぱり、それって例の…」

「いや、違うって!」

「どう違うんだよ」

「だから…!」


え~とえ~と… 

な、何、間違えた? 


「えっとね、先輩。

そう! すごく、頼りになる先輩がいるんだけど!」

「先輩?」

「そう、先輩」

「そいつ女?」

「うんにゃ、男」

「……やっぱり、お前…」

「…! だ~から、別の人だってば!」


なんで、そこにそんなにこだわる!


「あのね!これって、恋愛ごとじゃないから!」

「…違うのか?」

「違うにきまってんでしょうか!」


そもそも、あたしは、そっち方面で今さら悩むつもりはない!


「これ以上、そっち方面、追求すんなら、もうなんにも言わないから」

「りょーかい…」


今はタブーだ、あたしたちには。


「あのね、すごく尊敬してる先輩がいて。 

その人、仕事もできるし、性格もいいし、

ものすごくみんなに頼りにされて、良い職場だったんだけど…」


…間違って、ないよね? 


ガイって、こんな感じ…だよね?

ちら見した剛史の顔が、そのまま話の先を促してきてるから、

改めて、ガイの状況説明を続けて話すことにする。


「ものすごく、いい職場だったのに、

今、その人の周りが変な事になってて」

「変な事?」

「うん。何て言うか… 難癖?…と言うか、濡れ衣? 

――ともかく、その人、今、ものすごく悪く言われだしたの」


難癖――で済むのかな? 

あれってもう、謀略とか、姦計とかってレベルのような気もするけど。


「…なんか、えらく、きな臭い話だな」

「そう。ものすごくきな臭い話なの」

「…この病院(うち)の内部の話か?」

「いや、それは違うから」


そっち行く?――と、突っ込んじゃいけないよね。


「ここの話じゃないからね。そこは間違えないでよ!」


こんな話、たとえ冗談でも言ってごらんなさいな。

明日っからあたしの未来はない!


「わかった」


片手上げて了承の意を示した剛史に安堵する。

今、あたし、今日一番冷や汗かきましたよ、まったく…


「ともかく、ぶっちゃけちゃうけど!」


あたしは、改めて真正面から剛史に向き直る。

一瞬奴が「およ?」みたいな顔したけど、もう遅いからね。

しっかり付き合ってもらうわよ。


「その人ね。ものすごく有能で、性格もよくて、

人間的にも出来が良いんだけど」

「それはさっき聞いた」

「良いから黙って聞きなさいな! 

こっちにも話の流れってもんが有るんだから!」


ぜーぜー…


「あたしは、あんたみたいに、変に小器用な性格してないんだからね!」

「…自分で認めるなよ」

「なんか言った?!」

「言ってない言ってない。 ともかく話、進めろよ。時間なくなるぞ?」

「あんたが混ぜっ返すからでしょうが!」


――いかん。進まねぇ。


「だから!」

「ふんふん」

「その人、有能は有能なんだけど、

その分、周囲から、妬まれてるって言うか…まあ、やっかみ?

みたいなの、ある人なんだよ」

「ほうほう」

「それでもって、まあ出身が一般人…と言うか、庶民?みたいな?」

「――どこの世界の話だよって感じだか、

まあ良くあるっちゃある話だよな」

「やっぱ、そうなの?」

「そりゃそうだろ」

「剛史もあった?」

「そりゃまあないことも…って、俺の話じゃないだろうが。

なんでそう来る?」

「いや、あんたもヘタに有能だったって前に聞いたから」

「…誰に?」

「真由美――とと、外科病棟の平川さん」

「…お前ら、いつまでつるんでんだよ… 

いい加減、彼女に諦めるように言えよ」

「ええ?なんで? 

だって、真由美、美人だし、性格も悪くないよ?」

「確かに、悪くはないけどな! 

俺にだって、都合とか…って、なんで俺の話になってんだよ! 

お前の先輩とやらの話だったろうが!」

「あ、そうだった」


やばい、やばい。


「どうしてこう、剛史との会話って

どんどん論点からズレて行っちゃうんだろうねぇ?」

「そこ、俺に聞くな」


俺は悪くない!――いや、あんたが絶対悪いだろう。


「まあともかく。

まずは、その、先輩ってのが、優秀で敵が多いってことだな?」

「そう!そうなのよ」

「で? その難癖…だっけ?」

「うん。なんか、その人が大事な人…と、言うか、

組織?を裏切ったとかって話になってて」

「……おい、穏やかじゃねぇな。なんだよ、その組織って」

「いや、会社… そう!会社!」

「いや、それだって十分剣呑そうだが… 

一応聞くがその会社、ヤバい関係とかってないだろうな?」

「あ、それはない」


これだけは自信もって言っちゃうよ、あたし。


「……濡れ衣だって?」

「うん」

「間違いないのか?」

「…あたしは、そう、思ってる」


そこまで聞いて、剛史はちょっとだけ考え込む。

そうすると、いつものおちゃらけた雰囲気が消えて、

妙にカッコよく見えたりして…


――え? 今、あたし何言った?


「有里」

「え、え!?」

「…なに、ビックリしてんだよ…」

「い、いえ、別に…?」


なんにも有りませんよ~なんぞと笑って見せるあたしに、

剛史はちょっとだけ胡乱うろんな目線を投げて。


「まあ、いいか」と、仕切り直すように手すりにもたれかかる。

目線があたしから外れて、ホッとする。


「もう一度だけ聞くが、そいつを信じたらどうなるんだ?」

「へ?」

「そいつの…まあ、無実って言うのか?

それをお前が信じたら、

お前に何か不利な事でも起こったりしないか?」


不利な事?


「…無い…な」

「確かか?」

「うん。絶対にない」


絶対に、何も起こるはずがない。


「それなら聞くが、

お前はどうしたい?」

「へ?」

「お前は、今後、どうしたいんだ?」

「どうって…」


あたし、が、したいこと…


「…これまでどおりでいたい…」

「ふ~ん…」

「変わりたく、ない」


信じてるから。

あたしはガイを信じてるから――ユーリと、同じに。


「じゃあ、それでいいじゃないか」

「へ?」

「お前は信じてんだろ? だったらそれでいいじゃないか」


か、軽い調子で、言ってくれましたね、剛史さん。


「だって! そうしちゃっていいかわかんないから…」

「お前がそう思ってんなら、

とことんまで信じて見るのもいいんじゃねぇかと言ってんだ」


とことんまで、信じる?


「自分の目ってもんを、信じろって言ってんの。

そいつを信じるんじゃなくて、

     自分の目を信じる」


自分の目…?


「それで、もし、裏切られたとしても、それは自己責任だろ?」


お前は、その結果が受け止められないような女じゃない。


「――!」




「…おい」

「…」

「おい、有里」

「……」

「おーい、返事しろ。どうしたよ?」


ペシペシと、大きな手の甲でほっぺたを軽く叩かれて、

あたしはやっと、我に返る。


「…びっくりした…」

「何が?」

「初めて、剛史が年上に見える」

「はあっ!? なんだよそれ! 

お前今まで俺をなんだと思ってたんだ!」

「え~~? そんな事、かわいそう過ぎて言えない」


見直した――なんて、言ってやりたくないんだもの。


ずるい…なんて思っちゃう

気持ちがすごく悔しいから。


そうだね。

あたしにできるのは信じる事。

ユーリのように、

ガイを、

皆を、

そして、あの世界を信じる事。


それだけしかできないからこそ、信じる。

そう、思うだけで、

いいんだ、きっと。


「ありがとね、剛史」


だから、言葉に出して、感謝を。


「まさか、あんたに解決策、伝授してもらえるとは思わなかったけど」


でも、憎まれ口は忘れない。

だって、それがあたしと剛史の関係だから。


「なんだよ、それは。もう少し、真面目に感謝しろ」

「いえいえ、心の底から、思いっきりこれでも感謝してんのよ」


理解できない山本センセが、心狭すぎじゃありません?


「…かっわいくねぇ…」


そういうと、剛史は白衣のポケットからおもむろに箱を取り出して、

慣れた仕草で白い細いものを指先でつまんで口にくわえる。


「剛史! あんた、タバコ…!」


医者の癖に、吸ってんの!?


「ん? なんだ、お前もいるか?」

「冗談! あたしは…」

「まあまあそう言うなって… ほれ」


と、しゃべろうと開いていた口にポン!と放りこまれたものは…


「…はぇ…? ほえって…」

「そ。懐かしいだろ~?」

「よく、あったわねぇ~これ…」

「隣町の雑貨屋で見つけた。すごいだろ?」

「うん!」


手に取って見たそれは、余りにも懐かしいシガレットチョコレート。


「これ、食べていいの?」

「おお、いいぞ。俺のおごりだ、ありがたくいただけ」

「たかが数円で、いばんないでよ!」


ぺりぺりと白い紙をはがした中は間違いのない茶色い棒。

ペロリ…と舐めてみると、懐かしい甘い味がした。


「…なあ、有里」

「な~に?」


もぐもぐと、チョコを食べながら答える。

美味しい… 

…そう言えば、お昼ごはん食べてないな…

時間あるかな…


「お前さ、その先輩って…」

「ん?」

「……本当にヤバい奴じゃないだろうな?」


もぐもぐゴクン!


「それはない」


チョコをしっかり呑み込んで、力強く否定する。

これはもう、絶対に『大丈夫!』って言えるもん。


あちらで何が起ころうとも、

現実こちらが変わることはない。


「ま、なんかあったら、言ってみろ」


これでも、お前よりは先輩だし。


「…あんたに、先輩面されたくない…」

「…相変わらず、かわいくねぇ…」

「どっちが」


最後には、いつもどおりになっちゃったけど。


これでいいよね。

うん。あたしたちは、これでいい。


「それにしても…」

「ん?」

「お前も、いろんな事で悩むようになったんだな~」


今になって成長期か?


――むっか~~~つ!


前言撤回! 相変わらずむかつく奴!


「やっぱりあんたって、性に合わない… 感謝して損した!」

「ん~? な~に言ってんだ。こんなに優しいお兄様を捕まえて―― 

どうだ? 惚れそうだろ?」

「誰が!」


誰が誰にどうするって?


「あたしは結構一途なの! 

――ごちそうさま! ご飯行ってくる!」


思い切り舌を出して、あっかんべ~!

子供っぽいって思われても、つい、しちゃったわよ! いじめっこ!


ぷいっと剛史に背中を向けて、屋上を降りるべく足を前に出す。

後ろから一緒に付いてくるような足音は、

この際、まったく聞こえない振り。


――あたしはアレクが大好きなの!


そうよ。

あたしは、今、アレクしか見えません!


そこまで考えて、ふと、足が止まった。


――そうだ。


アレク…

そうよ、アレク。


アレクがいてくれたら、

きっと、ガイにこんなことは起こらなかった。


――アレク…


銀の髪に紫の瞳。

あたしの一番好きな人。


あなたは今、どこにいるの?






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