第二十一章 心なんてままならないー1
日々、これ是々非々。
良い事はどうしたって良い事だし、悪い事はどっから見ても悪い事。
その理論に従って、
感情ではなく道理に基づき適切に冷静に物事を判断――
なんて、
出来るか!
今のあたしの心理状態は、あれやこれやで大騒ぎ。
夢の中。
あたしの理想郷であるはずの世界は今、まさしく混沌の様相を呈している。
そもそも、こんなややこしい事態になる、か? 夢の中が。
ともかく、状況を最初から整理してみよう。
あたしは現実では無い夢の世界で恋をした。
恋の相手は、
銀髪に紫の瞳の絶世の美丈夫たるアレクシーズ・ユノ・コルフィー
――略してアレク、ね。
アレクには、既に美しいお似合いの婚約者がいらっしゃって、
この方こそが『ソレニアの青玉』と謳われるミルヴァーナ姫。
しかし、ミルヴァーナ姫は実はアレクではない人に心を寄せていて、
それがアレクの親友と言うべき第二騎士団団長のガイ・ヒューバー。
そんでもってガイは、多分、姫の事を憎からず思っている。
そして、はからずもその事情を知る羽目になったのが、
ユーリ、イコールあたし。
純真なこの少年の中に、こんなおねーさんが入っているだなんて――
なんか、世の中の不条理を感じるぞ。
徒然なるままに、思わずメモ書きしてしまった手元の紙をじっと見る。
一方通行の矢印ばかりが並ぶメモの中で、
両思いなのはミルヴァーナ様とガイだけだ。
しかし、彼らの恋は前途多難。
何しろ相手は正真正銘のお姫様で、しかも親友の婚約者。
少なくとも、ガイからどうこうしようって、簡単にできる相手じゃない。
姫だって、あの感じじゃ良くあるわがままなお姫様って方ではなさそうだ。
立場をわきまえず、自分から動くなんてことはできないだろう。
つまり、どう転んでも、実るはずのない恋だ。
本来なら二人の恋はこのまま終わると思うのに、
なぜか一つだけ、とんでもない不確定要素が出てきてる。
アレク。
そう問題は、アレク、なんだ。
この人が、読めない。
どうやっても読み切れない。
ユーリに色々な顔を見せてくれてはいるけれど、
肝心の所を、あの美貌が造り出す微笑みの影に隠してしまう。
ああもう。
思いだしてしまったではないの。
あの顔凶器。
やっぱり凶器!
昨夜見た最後の微笑み。
戦う者。
魔を払う者。
そう言った意味合いでの天の御使い。
凄絶にして華麗、峻烈にして清廉。
あんな顔で、微笑まれたりしたならば――
問い詰めるとか、問いただすとか、
そんなもん、できる訳がない、よね、やっぱ。
実はあたし、
アレクの微笑みを見た時から、あっちの記憶が無いんだよ。
その後、すぐ目覚ましが鳴って飛び起きたから、
多分現実帰ってくる時間だったとは思うけど。
まあ、あたしがぶっ倒れても、ユーリには何の影響も無い。
な…いと思う。多分…
…今度、あっち行く時が、ちょっとばかし恐ろしいな…
「―――さん」
「……」
「…べさん、神戸さん」
「―――へ…?」
「神戸さん、大丈夫ですか?」
いきなりのドアップ。
可愛い丸顔が、あたしの鼻先十センチの場所にある。
え?え?え? あれ…?
「え? よーこちゃん? え?あれ?」
「どうしたんですか? もうすぐお昼休み終わっちゃいますよ」
慌てて周囲を見回す。
ここはどこ?――職場の事務室に決まってます。
「あ、ごめん。ぼーっとしてた」
そう言いながらさりげなく手元のメモを隠す。
他人から見たら意味不明だと思うけど、
それでもね、うん、なんとなく。
「珍しいですね~」
神戸さんがぼーっとしてるなんて。
不自然なあたしの動きとか、きっとわかってないはずないのに、
コロコロと笑って陽子ちゃんが応えてくれる。
ああ…
陽子ちゃんのこの笑顔って癒しだわ。
向日葵の花をみたいで、ほんわかまったりしてしまう。
それでも、その笑顔で、しっかり意識を日常に取り戻す。
いかんいかん。
ここ、職場。
いつまでも、どうしようもないことを考えていたら駄目。
シャンとしろ、あたし。
ユーリ以外の目線でもあっちの世界が覗けたら、
もっといろんなことがわかるはず。
普通ファンタジーものって、もっと親切設計じゃなかったっけ?
改めて言おう。
絶対あたしの本意じゃないぞ、この状況!
思わず、両の手を握り締めたあたしを狙ったように。
コンコンコン!
「失礼します。山本先生はこちらに…って、いないの?」
なんで?
――いや、何でも何も。
「真由美、なんでいつもここに剛史がいるって思うのよ」
「え? そこ、つっこむトコ? ここ以外にいる訳ないじゃない。
――で、居るの? 居ないの?」
ちょっと真由美さん。
そのセリフ、思わずツッコミ返しをしたくなりません?
しっかし、相変わらずフェロモンぶっちぎりだね、あんたってば。
「そういえばここのとこ、事務所では存在見ないわね…
よーこちゃん、見かけた?」
「いいえ、全然。安全地帯じゃなくなったからじゃないですか?」
あんぜんちたい?
「一階は外来勢の本拠地ですし、医局からの動線、ビンゴですから」
「え? 外来もついに参戦?
これは腰を据えてかかんないと駄目になったみたいね。
有里! あんたはあたしに協力してくれんのよね?」
「…そんな約束してたっけ?」
「もう! まったく友達甲斐がないったら
――と、ヤバい! 昼休み終わっちゃう! 有里! また後で!」
バタバタバタ…
なんて慌ただしい登場だ。
台風でも来てんのか?
「……いったい何が、起こってんの…?」
真由美が剛史を狙ってるのは知ってるが。
それ以外…?
え? なんか、他の人たちまで?
何ともいぶかしげに首をひねり続けるあたしを見て、
陽子ちゃんがクスクスと笑いだす。
「それはですね~ あの、なんというか、
神戸さんと平川さんのせいです」
「え? あたし?」
真由美はわかるけど、あたし、も ?
「あのですね。
山本先生は今まで、神戸さんのものだって暗黙の了解が有りまして…
看護師さんたちもおおっぴらにアプローチしてなかったんです」
――ど、ビックリ。
「も、もの?」
「はい。売約済みって事ですね~」
「ば、売約済み…?」
――って、いったい、誰が、誰の?
「もちろん、山本先生が神戸さんのです」
どっかん!
だから…
どこをどうしたら、そんな話になってんの…?
「平川さんって、神戸さんと仲良いじゃないですか。
一緒に呑みに行ってるって聞きましたけど?」
確かに、何度も呑みには行った。
「平川さん、それでも山本先生追っかけてるし。
やっぱり山本先生はフリーだって事に、病院内ではなりまして」
…やっぱりも、何も。
奴はずっと、
少なくともあたしからはフリーだが!
「看護師さんの中にも、本気になっちゃった方が増えたみたいで」
……なに…?
なんですと…?
これまでの剛史のあのモテっぷりで?
「…いままで、みなさん本気で無かった…?」
「はい。その通りです」
ニコニコニコ。
……よーこちゃん、
あんたの笑顔がなんだか怖い
「今までは、…まあその、アイドルみたいな感じ、で。
本気で落とそうって人はいなかったみたいなんですね。
でも平川さんで、解禁? みたいな?」
……なに、その、鮎の解禁日みたいな言い方は。
「大変みたいですよ。山本先生」
毎日、すっごく逃げ回ってらっしゃいます。
「モテるのも大変ですね~」
にこにこにっこり。止めの笑顔。
人畜無害な顔をして。
よーこちゃん、もしかして誰かさんと同類ですか?
しっかし、それってまさしく。
「…ハーレム?」
「――山本先生がその気にならなきゃ、ハーレムなんかにならないわよ」
背後から突然かかったその声は、まさしくこの部屋の司令官殿のもの。
「深山さん」
「もう、仕方が無いわね、若い子たちは…
まあ、仕事に支障が出ない限りは注意する必要もないし」
かる~く、まるでわざとの様な溜息一つ。
「これは、山本先生に頑張ってもらうしかないわね」
「そうですね~」
にっこり。
陽子ちゃんと二人して、深山さんは微笑みあう。
うわっ… やっぱりダブルで怖い…
「…一体、なに、がんばるんです?」
恐る恐る、それでも一応お伺いを立ててみる。
「え~? もちろん、捕まらないようによ」
「そうですよ~ これは、絶対条件ですし」
「だから、なんで?」
だって、そこがわからない。
剛史は今フリーだし、
人間モテてる時が花って言う。
いい年だからこの際、可愛い彼女の一人や二人…
「作ったっていいと思うけどな」
いや、これは真面目に――
で、何で二人して、ここで溜息をつくんですか!
「…これは相当苦労するわね、山本センセ」
「なんか、別の意味で尊敬しちゃいます」
―――だれを、だ?
「ま、こればっかりは神戸ちゃんばっかりが悪い訳じゃないしねぇ」
「そうですね~」
まったく、だらしがないったら。
そう言いきった深山さんのエールは、いったい誰への言葉だろう。
――でも、
好きな人に好きって言える。
自由に自分でアプローチできる。
その事がどれほど幸せなことか、皆わかっているのだろうか。
好きとすら口に出せない。
傍にいる事もできない。
ガイは、
ミルヴァーナ姫は、
今、どんな気持ちでいるんだろう。
そして、彼は――
アレク。
微笑みに気持ちの全てを隠してしまうあの人は、
誰を思っているんだろう。
誰をいま、その心に住まわせているのだろう。
そしてそれは――
あたしでは、ありえないのだ。絶対に。




