第8話 対価の約束
「ねえ見て! ついに来たのよ!」
「……なにがだよ」
ロレッタの自室で紅茶の準備をするヴェスは、興奮気味に話す主人に冷ややかな視線を向けた。
「トレイシーからのオペラの招待状よ! それも二人っきりで!」
ロレッタはターゲットから届いた手紙を胸に当て、くるりとターンした。ワンピースの裾がふわりと踊る、その様子は想い人からラブレターをもらった初々しい乙女にしか見えない。
「お前はあの豚が好きなのか?」
ヴェスがぶっきらぼうに問うと、ロレッタは一瞬きょとんとして、それから顔をしかめた。
「そんなわけないでしょう。でも、そうね……いずれ夫婦になるなら、嫌っていても仕方がないでしょう? 顔に出てもよくないし。長く一緒に過ごすことになるんですもの」
「へえ、その夫を蹴落とす気満々で、か?」
ヴェスは軽蔑を込めて吐き捨てる。
ロレッタの目的はオトウェイ子爵だ。だがオトウェイ家の罪が明るみになれば、その直系であるフロックハート家への影響は免れない。
そもそもロレッタがどのようにしてオトウェイ子爵の罪を公表するつもりなのか、その算段は本人の頭の中にしかない。気の強い彼女のことだ、密告ではなく国王陛下の御前で、この男が父を死に追いやったのだと直談判しそうである。ヴェスにはその姿が鮮明にイメージできた。
彼女の気はそれで晴れるのかもしれない。――だがその後、彼女はどうなる?
「なによ、その棘のある言い方は。復讐の達成に一歩近づいたのよ、貴方も喜びなさいな」
アンティークチェアに腰掛けたロレッタが口を尖らせ、ヴェスを睨み上げる。ヴェスはそれを無視して、ミルクティーが注がれたティーカップを、ほんの少しだけ乱暴にテーブルに置いた。
「貴方、疲れてる? 少し休んだら?」
「人のこと散々こき使っておいて、いまさらそれかよ」
ティーポットの乗ったワゴンの台を拭きながら、ヴェスは呆れた声を漏らす。
ロレッタはミルクティーを口にしてから、ヴェスの様子を窺うように、やや控えめに尋ねた。
「ねえ、貴方本当はいくつなの? 貴方にはこれからも長く働いてもらわなきゃいけないんだから、そんなくたびれた状態じゃ困るわ」
“これからも”。“長く”。
その二言にヴェスははたと動きを止めて、怪訝な顔をロレッタに向けた。
「俺の仕事はお前が嫁ぐまでじゃないのかよ」
「そのつもりだったけど、貴方はスパイとしてもとても優秀だもの。オトウェイ子爵の罪を暴くのにも協力してもらうわ」
「うげぇ、自分でやれよ……」
こんなことになるなら、もっと酒に溺れて体を壊しておくんだった。ところがどっこい、栄養バランスの取れた食事が黙っていても出てくる今の生活は、睡眠不足こそあれ体調はすこぶる良い。
がっくりと肩を落とすヴェスの背中を見つめるロレッタは、もう一口ミルクティーを飲み下し、カップを載せたソーサーをテーブルに置いて姿勢を正した。
「あなたが盗もうとしていたのは、お父様がお作りになったティアラでしょう?」
唐突に投げかけられた質問に、ヴェスはロレッタを顧みた。
「……なんだよ急に」
「あの夜、貴方が執務室から持ち出そうとしたのは、お父様が職人に作らせたダイヤモンドのティアラでしょう。わたくしは子供だったから詳しくは知らないけれど、大粒のダイヤモンドをふんだんに散りばめた、とても豪華なものだって、当時ちょっとした話題になったって聞いたわ」
「だったらなんだ」
警戒感をあらわにして訊くヴェスに、ロレッタは曇りのない青い目を向けた。
「オトウェイ子爵の罪を暴いたあかつきには、貴方にティアラを差し上げるわ」
「はあ? 何言ってんだ、お前」
「仕事に報酬を与えるのは当然のことでしょう? あのティアラをお金に変えれば、貴方ひとりが残りの人生を謳歌するくらい造作もないことよ」
ヴェスの眉間に深い皺が刻まれる。しかしロレッタの目は揺らぐことなく、ヴェスの濃紺の瞳を見つめ続ける。
「この復讐には、それだけの価値があるとでも?」
「そうよ」
間髪入れず返ってきた答えと痛いほどにまっすぐなロレッタの視線から、ヴェスは思わず顔を背けた。
「……理解できねえな」
「理解できなくて結構よ。とにかく、最後までちゃんと付き合ってちょうだいね。約束よ」
ロレッタは澄ました顔でそう言うと、ぬるくなったミルクティーに再び口をつけた。




