第4話 千の顔を持つ男
舞踏会が終わり、ロレッタとヴェスを乗せた馬車が宮殿を離れると、座席にどっかりと座り込んだヴェスは撫でつけた黒髪を掻きむしった。
「あ゛ーーーー疲れた」
「ちょっと、誰が聞いているのかわからないのよ。屋敷に着くまでが舞踏会なの、気を抜かないでちょうだい」
向かいに座るロレッタは疲労の色を微塵も見せず、品よく背筋を伸ばしている。
それが生まれ持ったものなのか、復讐という使命感によるものなのか。前者なら自分とは姿かたちが近いだけの違う生き物だし、後者ならそれはそれで恐ろしいとヴェスは思う。
「……復讐なんてくだらねえぞ」
ヴェスがぼそりと独り言のように呟く。
ロレッタは一瞬、舞踏会では決して見せなかった不機嫌そうな剣幕でヴェスを睨んだが、その一言を無視して口を開いた。
「貴方、結構評判が良かったのよ」
「は?」
「清潔感があって有能そうな執事ね、ですって」
「へえ……それはそれは」
ヴェスは皮肉と呆れが混ざった声で返す。清潔感なんて一生縁のない言葉だと思っていたが、やはり貴族のお嬢様なんてチョロいものだ。
そう考えると、目の前に座る少女は明らかに異質だった。
「そういうわけだから、明日からの仕事も期待しているわ、『千の顔を持つ男』さん」
「だから千は大袈裟だっての……」
悪女としか喩えようのない笑みを口元に浮かべた少女に、ヴェスはアディンセル家に来て何度目かわからないため息をついた。
◇◇◇
翌日、フロックハート伯爵邸の応接間には紅茶の卸売業者が訪れていた。
「フロックハート卿にトレイシー様、こちらが今回フェルブール国から直接仕入れた最高級茶葉でございます!」
ガラス製の豪奢なテーブルに並べられた茶葉を前に、褐色の肌の商人が人好きのする笑顔で両手を広げた。テーブルを挟んだ向かいには、品定めするように茶葉を覗き込む白豚……否、肥えた男が二人。
中年のほうの男が、カールした口髭をいじりながら満足そうな声を漏らした。
「ほう……これは素晴らしい、今年の茶葉は期待できそうですな。ところで、そちらの方は?」
フロックハート伯爵は、商人の隣に座る一人の男へと視線を遣った。
「ああ、ご紹介が遅れました。この男は最近うちの店に入った見習いでして、本日早速こちらに同行させた次第でございます。フロックハート卿は我が店にとってなにより大切なお客様ですから、一刻も早く良い茶葉を提供できるようになってもらわないと」
「チャムガーダルと申しまス。どうぞお見知り置きヲ」
商人に紹介された黒髪に濃紺の瞳の男は、褐色の肌に映える白い歯を見せ、やや癖のあるイントネーションでにこやかに挨拶した。
「ほうほう、そうですか。フェルブール産の紅茶も人気が出てきておりますからなぁ。おたくも人を増やさねば回らないでしょう」
「これもフロックハート卿のご贔屓の賜物でございます。今後も最高品質のものは、真っ先にこちらにお持ちいたしますのでご安心を……」
商人のおべっかに満足そうに頷くフロックハート伯爵の隣で、息子のトレイシーはまじまじと茶葉を見つめている。
――紅茶が好きだという話は本当のようだ。
「トレイシー様ハ、どういった銘柄がお好みでございますカ?」
チャムガーダルが声を掛けると、トレイシーは驚いた様子で顔を上げた。
「え、ああ……僕はアッティルが好きで」
「ミルクティー向けの茶葉ですネ。もしかして、ミルクティーがお好きなのですカ?」
「ああ、そうなんだ。濃く煮出して、砂糖をたっぷり入れて飲むのが好きなんだ」
だからそんなに丸くなるんだよ――という言葉を飲み込んで、チャムガーダルは褐色の顔に営業スマイルを貼り付ける。
「左様でございますカ。それではフェルブール産のアッティルの中でも特に味の濃いものを取り寄せまショウ」
「そうか! それは楽しみだな」
嬉しそうに高笑いするトレイシーに、チャムガーダルは最後まで口角を上げ続けた。
◇◇◇
「――だとよ」
その日の夜、白いワイシャツに黒いベストという執事の制服に戻ったヴェスは、ロレッタに日中に得た情報を投げやりに報告した。
私室でハーブティーを嗜むロレッタは満足そうに頷く。
「ありがとう、いい情報だわ。ミルクティーね……早速アッティルの茶葉を取り寄せてちょうだい」
「お前、ミルクティーなんて飲まないだろ」
「別に、今まであまり飲んでいなかっただけよ」
確かに共通の趣味や好みといった話題は会話が盛り上がるし、自分の気持ちを理解してくれる相手には好感を持つだろう。共感は最強の武器だ。
だが、なんて地道なんだろうとヴェスは呆れてしまう。他人に気に入られるとはそういうものなのだろうか。泥棒としてのキャリアは長いが、あいにく人の心の盗み方には心得がない。
ロレッタが不意に、ヴェスを見上げた。
「貴方はミルクティー、好きなの?」
「はあ? 紅茶なんて庶民が口にするわけねえだろ。牛の乳だって保存が効きやしねえ、食べるならもっぱらチーズだ」
「そう……それもそうね。あら? でも貴方……」
「なんだよ」
怪訝そうに眉根を寄せるヴェスの顔を、ロレッタはじっと見つめた。
この男は貴族から相当量の金品を盗んできたはずだ。養うべき家族がいるならまだしも、独り身なら一生遊んで暮らせる金を持っていてもおかしくない。
それなのに、どうしてこの男は二十年も盗み続けているのか。痩せた体で、みすぼらしい身なりで暮らしながら。
「……いえ、なんでもないわ」
ロレッタの回転の速い頭脳が弾き出した最も高い可能性は、金を手にした途端に使い切ってしまう浪費癖だった。
ギャンブルなのか、酒なのか、はたまた女なのか。
酒に溺れた男が娼婦をはべらせながら札束を撒き散らす絵を想像して、気分が悪くなる。そんな情報知りたくもないと、ロレッタは目の前の男を睥睨しただけで話を切り上げた。




