第3話 舞踏会に舞う蝶
星の瞬く夜、宮殿で開催される舞踏会に、ロレッタは颯爽と足を踏み入れた。
社交の場には付き添いが認められる。特に若い独身の令嬢がたった一人で外出することなどまずない。ロレッタの場合、長きにわたりアディンセル家の執事を務めてきたティルソンがその役割を担っていたが、今宵は違った。
ドレス姿のロレッタの後ろについてきたのは、タキシードに身を包んだヴェスだった。
ロレッタの旧知の貴族令嬢がすかさず近寄ってきて、挨拶を済ませるなり興味津々で尋ねた。
「今日はいつもの執事ではないのね。新しく入られた方?」
「ええ、そうなの。ティルソンはもう歳だから、夜会は大変だもの」
令嬢たちの視線は、壁沿いで姿勢よく佇むヴェスへと釘付けになっている。
「最近叙勲された方かと思ったわ。スラッとしていて素敵じゃない」
「あんなにハンサムな執事に世話を焼いてもらえるなんて羨ましいわぁ」
口々にヴェスを褒める友人たちに愛想を振り撒きながら、ロレッタは扇子で口元を隠しつつほくそ笑んだ。
あれが二ヶ月前にヘマをして捕まった、くたびれた大泥棒だとは誰も思うまい。
確かに今、黒々とした髪を撫でつけ、鋭い視線で主人を見守るヴェスは、清潔感のある落ち着いた紳士にしか見えなかった。さすがは千の顔を持つ男だ。
本来なら付き添い人がどんな人間であろうとロレッタの評価に影響はない。社交場の主役は貴族であり、付き添い人はその影でしかないのだ。それでも執事が家名を落とすような存在では困る。後ろ盾と呼べるもののないロレッタは、些細なことにも神経を尖らせていた。
懸念事項はクリアした。
あとはロレッタはロレッタの仕事を、ヴェスはヴェスの仕事をするだけだ。
ロレッタは目当ての人物を視界の隅に見つけると、周りの客人に挨拶して回りながら近づく機会を窺った。
◇◇◇
一方のヴェスは壁に触れるか触れないかの位置で、微動だにせず舞踏会の様子を観察していた。
シャンデリアやらドレスの装飾やらで目がチカチカする。一体何が楽しくてこんな奇妙な集まりをしているのか、ヴェスには理解ができない。
それでも、これは仕事だ。ヴェスはロレッタを見失わないよう視線で追いながら、別の人物を探していた。
(――あいつか)
窓際で青年が二人、グラスを片手に談笑している。そのうちの一人がロレッタのターゲットであるトレイシー・フロックハート伯爵令息だ。もう一人はその親戚であり、ロレッタが復讐を目論む真のターゲットであるオトウェイ子爵の子息、フィリップ・オトウェイ。
トレイシーの容姿の特徴は事前にロレッタから聞いていた。色白で、柔らかそうなプラチナブロンドの髪に映える青い瞳、それはその通りだ。それでもヴェスは内心抱いた嫌悪感を、顔に出さぬよう努めなければならなかった。
(豚じゃねえか)
トレイシーの年齢は十九。その若さでどうしてあそこまで肥えられるのか。一般体型のフィリップが細く見えてしまう。
どうせ領民から巻き上げた金で贅沢三昧の生活を送っているのだろう。だから貴族は嫌いなのだ、とヴェスは誰にも聞こえないように舌を打つ。
ちょうどその時、ロレッタがトレイシーに近づいていった。
ドレスを持ち上げて膝を折る淑女の礼は、社交界に縁のなかったヴェスから見ても洗練されていた。それから口元を隠しながら上品に談笑する。自邸で見せる鼻っ柱の強さなど微塵も見せずに。
その時になって初めて、ヴェスは小さく息を呑んだ。
屋敷にいるときは気が付かなかったが、ロレッタの美しさは同年代の貴族令嬢たちの中でも群を抜いている。それは顔の造形だけでなく、頭のてっぺんから爪先まで気を抜かない所作からも滲み出る美しさだ。艶やかな亜麻色の髪は品よく纏められ、細すぎない理想的な体型に胸周りも十分。子爵令嬢という貴族の中では下位に位置するはずのロレッタが、数多の男性の視線を集めているのがヴェスの位置からはよく見える。
軽やかな音楽に合わせて、ロレッタとトレイシーは踊り始めた。
トレイシーはどうやらダンスは不得手らしい。だがロレッタが相手だと、不思議と様になる。それはロレッタの美しさゆえか、彼女がうまくフォローしているからなのか。
ロレッタは終始笑顔を絶やさず、実に楽しそうにドレスの裾を翻す。
――ああ、あの子は蝶だ。
男を惑わすように、ひらひらと優雅に舞い踊る。彼女が振りまく光の粉が毒だなんて誰も気が付かない。
そしてその毒は、たった一人を虎視眈々と狙っている。
彼女は理解しているのだ、そのたった一人を仕留めるために、自分の価値を高める必要があることを。欲深い貴族どもがこぞって手に入れたくなる存在になって初めて、狩りが成功することを。
しかも、その先に真の獲物がいる。その計画の途方もなさに、ヴェスは呆れを通り越して感心してしまう。そしてそれを成功させかねない――そんな気にさせる一羽の若い蝶に、恐ろしささえ感じるのだった。




