第16話 大泥棒の真骨頂
「やれやれ、やっと来ましたか」
王都の一角に立つアディンセル子爵邸、その執務室。月明かりが照らす本棚を見つめていた男は、開いたドアから届く低い声に顔を振り向けた。
「お嬢様も一時間ほど前まで起きていらしたのですよ。だからこそ貴方はこんな未明の時間を選んだのでしょうが」
「そっちこそ夜更かしはこたえるんじゃないのか」
「年寄りは朝が早いのですよ」
普段と変わらぬ燕尾服姿のティルソンは、執務室のドアを閉めてヴェスへとゆっくり近づいた。
「仕事の対価を受け取りに来たのでしょう? お嬢様と約束していたそうですな」
ヴェスは答えない。以前と違って短く刈り上げられた髪から、横目で睥睨しているのがよく見える。ティルソンは穏やかな表情を崩さず、静かに話を切り出した。
「もし貴方のお子さんが生きていたら、お嬢様と同じくらいの年頃でしたか」
「! てめえっ……」
睨みつけたところでティルソンの糸のような目は一切動じない。ヴェスはまもなく観念したように大きなため息をついた。
「そんなことまで調べ上げたのか……。本当にあんたは何者だ? ただの執事じゃないだろ」
そもそもアディンセル邸に盗みに入ったあの夜、ティルソンに捕えられたのは完全に動きを読まれていたからだった。この老執事はヴェスが業者を装って下調べに訪れた時から、正体に気がついていたに違いない。
「貴方には盗みの師匠がいましたな?」
「おいおい、それも知って…………まさか」
「貴方の師匠は私の兄弟子なのですよ」
ヴェスは口をパクパクさせたが、呆れて声も出なかった。
同業者、しかも同門。どうりで何もかもお見通しなわけだ。ヴェスの過去も孤児院に寄付していたことも、何もかも師から筒抜けだったと思うと膝から崩れ落ちそうになる。
「私は何十年も前に足を洗いましたがね。お嬢様のひいお祖父様に拾われて、それからは執事一筋です」
「裏でなんかやってそうだけどな」
ヴェスが漏らした皮肉には答えず、ティルソンはホッホッと楽しげに笑った。
「さて、約束の対価は手に入れましたかな?」
ヴェスは心底不機嫌そうに顔をしかめて、手に持っていた白いカードを掲げて見せた。
「あんた、本当に性格悪いな。最初から全部知ってたんだろ」
隠し本棚の中に隠されていた、黒檀の宝石箱。その中に収められたダイヤモンドのティアラには、鑑定書と共に白いカードが添えられていた。十五年以上前に発行された鑑定書と比べて明らかに新しいそのカードには、几帳面な字でこう書かれていた。
――我が最愛の娘・ロレッタの生涯が、愛と幸せに満ち溢れんことを。
「ヘンリー様は、ロレッタ様がお生まれになった後にそのティアラをお作りになられたのです。将来、ロレッタ様が愛する人と結ばれる時に、純白のドレスと共に身につけて欲しいと願って……。本当は、自らの手で頭に載せて差し上げるつもりだったのでしょう」
ティルソンがどこか寂しそうに語ると、ヴェスは舌打ちして頭を掻きむしった。
「こんなん盗めるわけないだろうが……」
「おやおや、貴族専門の大泥棒・蝙蝠のセリフとは思えませんな。憎かったのでしょう? 貴族という存在が」
ヴェスはフンと鼻を鳴らし、ティルソンの視線から逃げるようにティアラを見つめた。
ひと組の男女が恋に落ち、結ばれる。そんな恋愛小説に隠れて夢中になっていた、ひとりの女の子。
蝶に虫籠は似合わない。青空の下を自由に舞うからこそ、蝶は美しい。
白み始めた空が夜明けを知らせる。
ヴェスはカードをティアラの中央に戻すと、宝石箱をそっと閉め、本棚を元に戻した。
「さて、ここからは私との個人的な交渉と参りましょうか」
「まだなんかあんのかよ」
ゆったりと話すティルソンに、ヴェスが気だるげな濃紺の目を向ける。この糸目の老執事はなにを考えているか読めないから怖い。
「貴方も知っての通り、私はもう長くありません」
「ああ……あんた一回心臓やってんだろ」
「ええ。ですからそろそろ後任を見つけなければなりません。ですが、どこの馬とも知れない人間に大切なお嬢様を任せるわけにはいかないでしょう?」
「素性が明らかだからって、ろくな素性じゃねえぞ、俺は」
「それは私も同じです」
「うっ……」
言いくるめられて言葉に詰まる。逡巡してピンと閃き、口の端を持ち上げた。
「対価がねえなぁ」
ヴェスが腕を組んで言い張ると、ティルソンははて、と首を傾げた。
「俺は泥棒だぞ? 今回の件は捕まったところを見逃してもらったんだ、チャラで構わない。だが別の仕事の話なら、対価もないのにやるわけないだろう」
「なにをおっしゃいますか、貴方はすでに盗んでいるでしょう」
しれっと答えたティルソンに、ヴェスが目をぱちくりさせてから眉根を寄せた。
「勝手なこと言うな、俺はまだこの家からなにも盗んでねえぞ」
「いえいえ、とっくに盗んでおりますよ。そのティアラよりもずっと価値のある、この家で最も尊い宝石を」
今度はヴェスがはて、と首を傾げる。忍び込んだあの夜だって、なにも盗まぬうちにティルソンに捕えられたのだ。
思い当たるものといえば、ロレッタから渡された黒玉の襟ピンくらいだ。だがダイヤモンドをふんだんにあしらったティアラ以上の価値があるはずはない。
すると、ティルソンがやれやれと肩をすくめた。
「蝙蝠は存外鈍いですなぁ。貴方がなにも言わずに姿を消したせいで、お嬢様がどれほど取り乱したとお思いですか? 乙女を泣かせた罪は万死に値しますよ」
ヴェスはきょとんと目を瞬く。
泣いた? 形見のドレスを汚されても耐えていた、あの気の強いお嬢様が?
鈍い――そこまで言われて、ヴェスもようやく思い至る。復讐のためとはいえ懇意にしていた男へのプレゼントも忘れて襟ピンを買い求め、それをジャケットにつけてくれた彼女の、真っ赤に染まった頬。
「いや…………いやいやいや!? 親子ほど歳が離れてるんだぞ、有り得ないだろうが!」
「そうですねぇ、不埒と言われても仕方ありません。いやはや困りました、次の執事はどう責任を取ってくださるんでしょう」
「あんたがなんとかしてから引退しろよ!」
ティルソンは呑気にホッホッと笑いながら背を向ける。
「では今日から早速、お嬢様を起こして差し上げてください」
「おい、ちょっと! なんだよそのめちゃくちゃ気まずいやつ……!」
呼び止める声を無視して、ティルソンが執務室を出ていく。朝焼けが差し込む部屋に、顔を赤く染めたヴェスだけが取り残された。
(本編 了)
※後日談という名のヴェス過去編(全3話)を以て完結となります。




