第15話 これから
オトウェイ子爵が脱税の容疑で拘束されたニュースは、新聞の一面を大きく飾った。
十年近くにわたって繰り返された領地経営の不正会計により、私利私欲の肥やしとなった税金は相当な額にのぼる。そこには直系であるフロックハート伯爵家も関わっているとみられ、フロックハート伯爵も現在事情聴取を受けている。
この件が明るみに出たのは、決して外部に流出するはずのない会計資料が王宮と憲兵局、そして新聞社に同時に送られてきたことがきっかけだった。
密告者は不明。資料の内容から、オトウェイ子爵の関係者に違いないと新聞に記載されていた。
「どういうことなの……」
私室のアンティークチェアに座るロレッタは新聞を握る手を震わせて、何度も何度も紙面を読み返す。
その横ではティルソンが普段通り、落ち着き払った所作で朝の紅茶を準備していた。
「私が申し上げたことに嘘はなかったでしょう?」
「まさかこれ……ヴェスがやったの!?」
ロレッタが勢いよく顔を上げる。しかしティルソンは何食わぬ顔でティーポットに湯を注いでいた。
「あと二週間はかかると予想していましたが、さすがは名を馳せた大泥棒、仕事が早くて的確ですね」
「ティルソンが指示したの……?」
「いいえ? 私は何もしていませんよ」
ロレッタは呆然としたまま、もう一度握りしめた紙面に視線を落とした。
招かれたオトウェイ邸でヴェスを見つけた時は、見捨てられたのだと思った。
だけど、黒玉の襟ピンに気づいて、彼を信じようと思い直した。
オトウェイ家の使用人をしていたヴェスの容姿はずいぶんと変わっていた。『千の顔を持つ男』には変装など容易いのかもしれないが、それでも住み込みで働く使用人として、主人や他の使用人を欺き続けるのは骨が折れることだろう。
「全部、わたくしのために……?」
喉に熱が込み上げる。視界がじんわりと滲む。
ロレッタの前のテーブルに紅茶の入ったカップが置かれると、ティルソンは白い眉毛を下げて尋ねた。
「不満がおありですか?」
「それは……」
ロレッタが言い淀む。
新聞の記事に、ロレッタの亡き父親であるアディンセル子爵の名前は一切なかった。
ロレッタとしてはオトウェイ子爵の罪を暴き、父がそのせいで命を絶ったのだと明らかにして、謝罪させるつもりだった。そこまでして、ようやく両親は浮かばれるはず。それだけがロレッタの生き甲斐だった。
だが、アディンセル子爵の死は決して尊ばれるものではない。騙され、罪をなすりつけられそうになったのは事実なのだ。トレイシーたちが揶揄したように、不名誉なものとして受け取る民衆のほうが多いだろう。
そうなれば、娘であるロレッタに向けられる目はどうなるか。
「どうかご理解ください。あの男は、お嬢様の“これから”を思って最善の選択をしたのです」
「わたくしの、これから……?」
「そうです、お嬢様の人生はまだまだこれからなのですよ。どうしてあの男が、お嬢様とトレイシー様の婚約までに間に合わせたとお思いですか?」
――復讐なんてクソくだらないモンで、自分の人生棒に振る気か?
大喧嘩したあの日。蔑むように放たれた冷たい声だったのに、その言葉が温かく胸を締め付ける。
今度こそ堪えきれずに、ロレッタは顔を覆って泣き出した。
なんて不器用な男だろう。
しばらく泣きじゃくったロレッタは顔を上げ、手で乱暴に頬を拭った。ティルソンがすかさず白いハンカチを差し出すと、素直に受け取って目元に当てる。
「どうして、そこまでしてくれたのかしら」
「さあ、どうしてでしょうねぇ」
「あ……でも、もしかして」
ロレッタが目元の腫れた顔をハッと上げる。ティルソンは何事かと小さく首を傾げた。
「約束したの……復讐を成功させたら、報酬としてダイヤモンドのティアラを与えるって」
「おやおや、そんな約束をされていましたか」
「取りに来てくれるかしら……」
ロレッタは窓の外を見遣る。目に染みるような強い日差しが、社交界シーズンの終わりが近いことを告げていた。
◇◇◇
それから数日後の夜、王都を見下ろす丘の上に、一人の男の姿があった。
吹き荒ぶ強い風に、刈り上げた黒い髪が小刻みに揺れる。その出で立ちは着崩した麻のシャツにくたびれたズボン、荷物は肩にかけた巾着袋ひとつ。
堅苦しいタキシードよりも、こういったよれた服の方が性に合う。そんなふうに思いながら、男は草の上にどかっと座り込んだ。煙草の先の火が赤く光るが、白い煙は風にかき消されてすぐに見えなくなる。数ヶ月ぶりの煙草は、吸い慣れた銘柄のはずなのに妙な味がした。
「これからどうするかねぇ……」
他人事のように呟く。濃紺の瞳に、眠らない王都の街並みが反射する。
長い仕事だった。一つの仕事に半年近くかけたことなど、今まで一度もなかった。
奇妙な仕事だったな、と思う。
これまではハイリスクハイリターンの極みとも言える、超短期労働しかしてこなかった。それが今回は銅貨の一枚も手に入らず、その引き換えに仕事の間の寝食は保証され、超過労働以外は快適な暮らし。
人間らしい生活をしたのはいつ振りだっただろう。
「何も手に入らなかった、ってことはないか」
男はひとり呟いて、ズボンのポケットを探った。
取り出した黒玉の襟ピンが、星明かりに鈍く光る。
――最後までちゃんと付き合ってちょうだいね。約束よ。
ため息と共に吐き出した煙が、夜空に吸い込まれていく。
終わりの線引きがどこなのか、自分に委ねられていることが落ち着かない。
やがて男は襟ピンをポケットに仕舞い、気だるげに立ち上がった。




