第13話 喧嘩
フロックハート邸の天井裏に潜入した翌朝、ヴェスは普段通り、ロレッタの私室で紅茶の支度をしていた。
アンティークチェアに腰掛けたロレッタは届いた郵便物に目を通している。さまざまな貴族から届く、夜会や茶会の招待状。それら一つひとつに返事を書かなくてはならない。
「そういえば、昨日の夜はどうだったの?」
開封した手紙から顔を上げたロレッタは、当然のようにヴェスに尋ねた。
「……特に、めぼしい情報は何も」
ロレッタに背を向けて紅茶を淹れていたヴェスが短く答える。少し間の置いた返答にロレッタは小さな違和感を感じつつも、深く気には留めなかった。
「そう……。まあ知りすぎていても気味が悪いと思われるかもしれないし、この先はわたくしの立ち回り次第よね。慎重に行かなくちゃ」
ロレッタが胸の前で両手の拳を握りしめる。その姿は策略家ではなく、恋に身を投じる年頃の少女にしか見えない。
ヴェスがロレッタの前にティーカップを置いた。普段は一切の音を立てないソーサーが今日はカチャンと音を立て、紅茶がわずかに飛沫をあげる。
ソーサーが置かれた位置は、あえて開封した手紙の上。
小さな違和感が重なる。しかしロレッタはソーサーを持ち上げカップを口元へ運んだ。喉がこくんと鳴って、少しだけ顔をしかめる。
「いつもより渋くないかしら?」
「それは失礼致しました。直ちに淹れ直します」
「ううん、そこまでしなくていいわ。これもおいしいもの」
ロレッタは再びカップを口に運びながら、ちらりとヴェスを盗み見た。茶葉の缶を片付ける横顔は、温厚な老執事のティルソンと違って普段から無愛想だ。そこに気だるさが加わるが常なのだが、今日はそれがない。だけど、いつもより機嫌が悪いような。よく見ると目の下に隈がある。
ヴェスの昨夜の帰りはそれほど遅くなかったはず。とはいえ、さすがに働かせすぎだろうか。
視線に気がついたヴェスがロレッタのほうを向く。ロレッタは慌てて視線を逸らし、カップとソーサーをテーブルに置いた。
「あっ、ねえ、トレイシーから誘われた茶会の返事、どちらの便箋がいいかしら?」
ロレッタがテーブルに置いてあった二種類のレターセットを掲げてみせる。
――知らねえよ、そんなもん。
普段のヴェスなら、必要以上に渋い顔をして、そう言ってくれるはずだった。
ところが今日はロレッタを一瞥して、すぐに手元へと視線を戻した。
「ご自分でお決めになったらいかがですか」
言っている内容は同じなのに、本来なら正しい言葉遣いなのに。
他人行儀な言い方がロレッタの癪に触った。
「ちょっと、冷たいんじゃありませんの!?」
「それはそれは、大変失礼致しました」
火に油を注がれ、カッとなったロレッタがテーブルに便箋を置いて立ち上がる。口を開いたロレッタだったが、ヴェスと視線がぶつかるとビクッと肩を跳ねた。
冷え込んだ冬の夜空のような、鋭く睨む目。何に怒っているのか見当もつかなくて、ロレッタの瞳が揺れる。
「復讐なんてくだらないモン、やめちまえよ」
吐き捨てられた言葉もまた、低く、氷のような声音だった。
ヴェスが怖いと、ロレッタは初めて思った。
「な、んで……」
なぜそんなことを言うのか。動揺するロレッタを、ヴェスは今度は蔑んだ目で見下ろした。
「お前、バカなのか? 復讐なんてクソくだらないモンで自分の人生棒に振る気か?」
「なっ……主人になんて口を利くの!?」
「バカだからバカって言ってんだろうが。まだ乳臭い小娘のくせに」
「訂正なさい!! 貴方、失礼にも程があるわ!!」
美人の怒った顔ほど怖いものはない。それでもロレッタの気迫が二人の年齢差を越えることはなく、ヴェスはただ呆れたように「けっ」と吐き捨てた。
「くっだらねえ」
「さっきからくだらないくだらないって、そればかり……! 勝手に決めつけないで! お父様の無念を晴らすことが、わたくしにとっては命よりも大切なことなのよ!」
声を荒げるロレッタが一転、うつむき歯を食いしばる。握りしめた拳が小刻みに震えていた。
「わたくしにはそれしかないの……。そうでなければ、何を糧に生きていけばいいのよ……」
絞り出したような悲痛な声は、母の形見のドレスを汚された時と同じだった。
ところがヴェスは慰めるでも謝るでもなく、盛大なため息をついた。それが聞こえて、耐えかねたロレッタが勢いよく顔を上げる。そしてヴェスをきつく睨みつけた。
「貴方は黙ってわたくしの言うことを聞いていればいいのよ! 薄汚い犯罪者のくせに!!」
怒鳴った途端、ロレッタはハッと口元を押さえた。
しかしヴェスは眉をピクリとも動かさず、うんざりした顔つきのままロレッタを見下ろしていた。
「そうだな、犯罪者なんて家畜同然だろうなぁ」
「違うっ……! そんなこと言ってないじゃない!」
「お前の言い分が正しいんだろうよ、なんせお貴族様だからな」
「ちょっと待っ――」
ロレッタが引き止める間もなく、ヴェスは足早に部屋を出て行った。
バタンと耳障りな音を立ててドアが閉まる。静まり返った部屋にひとり取り残されたロレッタは、呆然としてヴェスの残像を見つめていた。
「なんなのよ、一体……」
その日を境に、ヴェスはアディンセル邸から姿を消した。




