第10話 お互いの隠しごと(二)
ベーカリーで食事を終えたロレッタは、再び商店の並ぶ通りを歩き始めた。
「うーん、屋敷に帰る前にもう少し街を歩きたいわね……」
「どちらへ向かわれますか、ああ――本屋がよろしいですか?」
ヴェスが左方向へ指を差す。ちょうど道の反対側に本屋があった。
その提案が意外だったロレッタは小さく首を傾げる。
「本屋? どうして?」
「お好きなんでしょう、大衆小説。特に若い男女の恋愛小――」
「ひゃあっ! ちょっと!」
ロレッタが慌ててヴェスの口を塞ぐ。その顔は真っ赤になっていた。
「な、なな、なんで知ってるのよ」
「私が一日に何度お嬢様の部屋に出入りしているとお思いですか。本棚の一番下の段、左下の隅にひっそりと――」
「それ以上言わないで! 貴方、淑女の本棚を見るなんて失礼よ! 最低!」
すがるようにして続きを遮ったロレッタの目には、うっすら涙が浮かんでいる。
これが侍女頭・バーサが言っていたロレッタの秘密だった。ただ、なにが恥ずかしいのかヴェスには理解できない。クローゼットを覗いたわけでもないのに。
「隠すようなものですか?」
「淑女たるもの、純文学を嗜まなければならないのよっ。大衆小説なんて低俗だと思われちゃうわ」
腕を組んでぷいとそっぽを向くロレッタの顔はまだ赤い。
ヴェスは不思議そうに眉根を寄せる。金があっても不自由な貴族を見たのはロレッタが初めてだった。これまで盗みに入った屋敷の貴族は皆、なにかを我慢することなく贅の限りを尽くしていたのに。
復讐に燃える彼女が、すでに貴族令嬢としてあまりにもイレギュラーなのだが。
「とにかく、本屋には行きません! あちらの宝飾店に入ります」
ロレッタは長い髪をぱさりと払うと、早足で数軒先の店へ向かって行った。
◇◇◇
足を踏み入れた宝飾店には煌びやかなショーケースが並んでおり、ロレッタは心を躍らせた。ドレスやアクセサリーを買う時は屋敷に商人を招くことが多いが、こうやって華やかな店内を見るのもいいものだ。
両親を亡くしてから、つい足が遠のいていた。ショッピングだって淑女の嗜み、家紋のついた馬車で存在感をアピールする必要だってある。
高齢のティルソンを連れ回すことに気が引けていたのも、外出が減っていた理由の一つだった。
だけど、今は。
店の入り口付近に佇む執事をちらりと見遣る。元泥棒というだけあって、相変わらず存在感を消すのが上手だ。執事としては申し分ない立ち振る舞い――なのだけれど。
「……一緒に選んでくれてもいいのに」
「お客様、なにかおっしゃいましたか?」
ぽつりと独りごちたロレッタの声に、耳ざとい店員が反応する。ロレッタは尖らせた唇を慌てて上品な笑みにすり替えた。
「いいえ、なんでもありませんわ。――あら、この店は男性向けのアクセサリーの取り扱いも多いんですのね」
「ええ、そうなんですよ。最近はこういったブローチが男性にも人気でして……」
ふくよかな店員の饒舌な説明に、ロレッタは真剣に耳を傾ける。
そして壁沿いのショーケースに収められた、一つのブローチを指差した。
数分後、ヴェスの元へ戻ってきたロレッタは店員に見送られて店を出た。
足取り軽いロレッタの手には小さな白い箱が載っている。リボンもかけられていないシンプルな包装が気になったヴェスは、後ろから何気なく声を掛けた。
「……男性もののアクセサリーをお選びのようでしたが、トレイシー様への贈り物で?」
「え? ――あっ」
嬉しそうに頬をピンクに染めていたロレッタがピタリと足を止め、一転、目をぱちくりさせて息を呑む。そしてみるみるうちに顔が真っ赤になった。
当然、ヴェスはその反応の意味がわからず、訝しげに眉根を寄せる。
「えっと、その……ちょっとこっちに来て!」
ロレッタはヴェスの腕をぐいと引いて道の端に寄ると、手に持った箱を開けて中身を取り出した。
そしてヴェスの手に箱を押し付け、執事服のジャケットを引っ張る。
「おい、」
「じっとしてなさいっ」
戸惑うヴェスに、ロレッタがピシャリと言い放つ。
ロレッタがジャケットから手を離すと、襟元には黒玉の襟ピンが慎ましやかに光っていた。
ロレッタは視線を横に逸らしたまま、両手の指を胸の前で忙しなく組み合わせる。
「ほら、貴方って若くないし、ちょっとくたびれた感じがあるから、アクセントがあったほうがいいでしょ」
「執事が装飾品をつけるのはどうかと思いますが?」
「そっ、そんなに派手なデザインじゃないし、わたくしがつけたんだからいいの! 主人の命令に従いなさい!」
「はあ」
キッと見上げて捲し立てるロレッタの顔は依然として真っ赤なままだ。ポカンとしているヴェスからフンと顔を逸らし、ツカツカと歩き出す。
「ほら、馬車に戻るわよ!」
目当ての相手へのプレゼントはいいのだろうか。なぜロレッタが怒っているのかわからないまま、ヴェスは主人の後を追いかけた。




