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『酔いの連鎖』  作者: こうた
第1章 死に至る飲み会

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第8話 壊れる身体

――ゴン。


鈍い音だった。


硬いものに身体がぶつかったような、不快な音。


店の騒がしさの中でも、その音だけは妙にはっきり聞こえた。


数秒間、誰も動かなかった。


笑い声も止まる。


音楽だけが、場違いなくらい明るく流れている。


「……今の、広岡?」


白石夏美が最初に言った。


返事はない。


小畑辰巳は立ち上がった。


椅子が床を擦る音がやけに大きい。


胸の奥がざわつく。


嫌な予感が、さっきまでとは比べものにならないほど強くなっていた。


トイレへ向かう。


後ろから田中と市村もついてくる。


「大丈夫っしょ」


市村はまだ笑っていた。


しかしその声には、さっきまでの勢いがない。


小畑がトイレの扉を開ける。


その瞬間、冷たい空気が流れた。


広岡翔平が床に倒れていた。


壁にもたれかかるような姿勢で、身体が崩れている。


目が半開きになっていた。


「……おい」


小畑の声が低くなる。


反応がない。


田中が近づく。


「寝てんじゃね?」


笑おうとした。


だが笑えない。


広岡の様子が、明らかに普通ではなかった。


顔色が白い。


異常なほど。


さっきまで赤かった顔から、一気に血の気が引いている。


唇も青白い。


「広岡?」


小畑が肩を揺する。


反応が遅い。


いや、ほとんどない。


数秒後、広岡の口がわずかに動いた。


「……ぅ……」


掠れた声。


しかし目の焦点が合っていない。


その瞬間、小畑の背中に冷たいものが走った。


(やばい)


今度ははっきりそう思った。


誤魔化せない。


酔ってるだけじゃない。


身体が壊れ始めている。


白石もトイレ前まで来て、息を呑む。


「救急車……!」


その言葉に、空気が凍る。


救急車。


その単語だけが重い。


小畑は即答できなかった。


呼ぶべきだ。


そう思う。


しかし同時に、別の考えが頭を殴る。


(そこまでか?)


(大げさじゃないか?)


(もし呼んで何もなかったら?)


正常性バイアス。


人間は、自分に都合の悪い現実を過小評価する。


特に、自分が原因かもしれない時ほど。


田中が無理に笑う。


「いや、でも吐けば復活するタイプじゃね?」


市村も頷く。


「俺も昔こんなんなったことあるし」


その言葉が、小畑をさらに迷わせる。


“経験したことがある”。


その一言は危険だった。


過去に助かった経験が、今回も助かると思わせる。


だが、広岡は違う。


アルコールを分解できない体質。


その危険性を、誰も実感として理解していない。


小畑は広岡の肩を支える。


身体がぐったりしている。


力が入っていない。


異常だった。


「おい、広岡」


頬を軽く叩く。


広岡の目が少し開く。


「……すみません……」


謝った。


その瞬間、白石の胸が痛くなる。


この状態で、まだ謝っている。


迷惑をかけていると思っている。


誰も止めなかったせいなのに。


「謝らなくていいから!」


白石が強く言う。


しかし広岡は反応しない。


呼吸が浅い。


肩が小刻みに震えている。


小畑はスマホを取り出した。


119を押しかける。


だが指が止まる。


救急車を呼んだ瞬間、全部が現実になる。


ただの飲み会じゃなくなる。


事故になる。


事件になる。


その恐怖が、指を動かなくする。


「……店の外で休ませるか」


小畑が言った。


逃げるような提案だった。


決断を先延ばしにする言葉。


白石は思わず声を荒げる。


「いや、救急車呼んだ方が……!」


「でも本人まだ意識あるし」


小畑はそう返した。


その言葉は、半分は自分への言い訳だった。


意識がある。


喋れている。


だからまだ大丈夫。


そう思いたかった。


市村も乗っかる。


「外の空気吸わせれば戻るって」


田中も頷く。


「水飲ませようぜ」


全員が、“深刻ではない理由”を探し始める。


その空気の中で、白石だけが孤立していく。


「でも……」


言葉が続かない。


確信が持てない。


医者じゃない。


もし騒ぎすぎだったら?


その不安が、最後の一歩を止める。


小畑たちは広岡を支えながら外へ出た。


夜風が冷たい。


だが広岡の身体は、それ以上に冷えていた。


店の前の壁際に座らせる。


頭がぐらつく。


呼吸が浅い。


目が閉じかけている。


「おい、寝るな」


小畑が言う。


その声に、広岡はゆっくり目を開ける。


「……はい……」


だが返事が異常に遅い。


数秒かかっている。


小畑はついに恐怖を感じ始めていた。


本当に危ないかもしれない。


だがその恐怖を認めた瞬間、自分が加害者になる。


だから認めきれない。


佐伯光が震える声で言った。


「もう……呼びませんか……?」


誰もすぐ返事をしない。


沈黙。


その沈黙が、全員の責任逃れを表していた。


すると突然、広岡の身体が大きく揺れた。


「……っ、うぇ……!」


嘔吐。


胃液とアルコールの臭いが一気に広がる。


白石が顔を青くする。


広岡は苦しそうに咳き込む。


呼吸がうまくできていない。


「やば……」


田中の顔から、初めて笑いが消えた。


しかしそれでも、小畑はまだ決断できなかった。


救急車。


その四文字が重すぎる。


認めたくない。


自分たちの飲み会が、人を殺しかけていることを。


広岡は壁にもたれたまま、小さく震えていた。


そしてその呼吸は、少しずつ、確実に弱くなっていった。

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