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『酔いの連鎖』  作者: こうた
第7章 終わらない

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第7話 十年目の手紙

十年目の春が来た。


桜は今年も咲いた。


当たり前のように咲き、


当たり前のように散っていく。


小畑辰巳は四十六歳になっていた。


十年。


数字だけを見ると長い。


しかし実感は曖昧だった。


昨日のことのようでもあり、


別の人生の出来事のようでもある。


ただ一つだけ確かなことがある。


忘れたことは、一度もなかった。


休日。


部屋の掃除をしていると、机の引き出しの奥から封筒が出てくる。


見慣れた封筒。


広岡直美宛ての手紙。


十年間。


一度も送られなかった手紙。


小畑は椅子に座る。


そして封を開く。


何度読んだか分からない文章。


何度書き直したか分からない文章。


しかし今日は違った。


初めて「昔の人間が書いた文章」に見えた。


そこには三十六歳の自分がいる。


怯えていた自分。


言い訳を探していた自分。


許しを求めていた自分。


後悔に押し潰されそうになっていた自分。


今の自分とは違う。


その時、スマートフォンが鳴る。


田中平蔵だった。


「何してるんすか」


「掃除」


「珍しい」


笑い声。


十年前なら考えられなかった穏やかな会話。


田中は続ける。


「今日さ」


「うん」


「十年っすね」


小畑は窓の外を見る。


桜の花びらが風に流れている。


「ああ」


短く答える。


田中も少し黙る。


そして言う。


「俺、最近思うんす」


「何を」


「忘れないって、思い出し続けることじゃない気がする」


小畑は静かに聞く。


田中は続ける。


「昔は毎日考えてたんすよ」


「今はそんなことない」


「でも忘れてるわけでもない」


間。


「なんか、生き方の中に入った感じっす」


通話が終わったあとも、その言葉は残った。


生き方の中に入る。


確かにそうかもしれない。


夜。


白石夏美から連絡が来る。


娘の写真だった。


小学校の入学式。


ランドセル。


満面の笑顔。


《今日、入学式でした》


続けて。


《十年ってすごいですね》


小畑は返信する。


《そうだな》


白石から返事。


《翔平さんのことを話すことがあります》


《娘に》


小畑は少し驚く。


さらに文章が届く。


《優しい先輩がいたんだよって》


《本当のことも、いつか話します》


その言葉を読んで、小畑は長く考えた。


翔平は被害者だった。


それは事実だ。


しかしそれだけではなかった。


友人だった。


後輩だった。


夫だった。


未来を持っていた人だった。


そのすべてを含めて記憶されるべきなのかもしれない。


深夜。


小畑は机に向かう。


手紙を取り出す。


そして初めて、新しい便箋を用意した。


謝罪文ではない。


許しを求める手紙でもない。


ただ事実を書く。


十年間、自分が何を考えてきたか。


何を失ったか。


何を学んだか。


何を忘れなかったか。


ゆっくり書き始める。


何時間もかかる。


書き終わった頃には夜明けが近かった。


封筒に入れる。


宛名は書かない。


まだ送るかは決めていない。


だが以前とは違う。


これは許しを求めるための手紙ではない。


直美のためだけの手紙でもない。


自分自身が、


この十年をどう生きたのかを確認するための手紙だった。


窓の外が明るくなる。


新しい朝が来る。


十年前にも朝は来た。


今日も来る。


何も終わっていない。


何も解決していない。


それでも人は生きる。


その積み重ねだけが、


残された者に許された時間だった。

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