第3話 偶然の再会
七回忌から半年が過ぎた。
季節は秋になっていた。
小畑辰巳は休日、一人で書店にいた。
特に目的はない。
仕事の本を見て、小説を見て、少し歩く。
そんな時間が増えていた。
昔は休日といえば誰かと飲みに行っていた。
今は違う。
一人の時間が苦ではなくなった。
店内を歩いていると、不意に視線を感じた。
振り向く。
女性が立っている。
見覚えがあった。
一瞬では分からない。
しかし次の瞬間、小畑の心臓が大きく跳ねた。
広岡直美だった。
六年以上会っていない。
法廷以来だった。
直美も気づいていた。
お互い動けない。
時間だけが止まる。
周囲の人は何も知らずに通り過ぎる。
数秒。
いや、数十秒だったかもしれない。
先に頭を下げたのは小畑だった。
深く。
言葉は出ない。
出してはいけない気がした。
直美も小さく頭を下げる。
それだけだった。
会話はない。
謝罪もない。
非難もない。
ただ、お互いが存在を確認しただけ。
直美は手に本を持っていた。
料理本だった。
小畑はその事実に少し驚く。
当たり前なのに。
人は生きている。
生活している。
それを忘れていた。
直美が静かに言う。
「久しぶりですね」
法廷以来初めて聞く声だった。
小畑は少し遅れて答える。
「……はい」
それ以上続かない。
続けられない。
直美は少しだけ視線を落とす。
そして言う。
「元気そうで良かったです」
その言葉に小畑は固まる。
予想していなかった。
責められると思っていたわけではない。
だが、その言葉は想像していなかった。
小畑は何とか言う。
「ありがとうございます」
それしか出てこない。
沈黙。
周囲のざわめき。
本棚の匂い。
遠くのレジ音。
現実だけが流れている。
直美は静かに続ける。
「私も元気です」
小畑は頷く。
その言葉に少し救われる。
同時に苦しくもなる。
元気でいてほしかった。
しかし、その願いを抱く資格が自分にあるのか分からない。
直美は本を抱え直す。
そして少しだけ迷った後に言う。
「手紙、受け取ってません」
小畑の呼吸が止まる。
直美は続ける。
「でも、書いていたことは聞いています」
弁護士経由なのだろう。
小畑は何も言えない。
直美は静かだった。
怒りもない。
涙もない。
ただ事実を話している。
「今も持っていますか」
小畑は頷く。
「はい」
直美も頷く。
それで終わる。
渡してほしいとも言わない。
捨ててほしいとも言わない。
ただ、その存在を確認しただけ。
しばらく沈黙が続く。
そして直美は小さく笑う。
「翔平、料理できなかったんです」
突然の話題だった。
小畑は驚く。
直美は少し遠くを見る。
「包丁持つだけで大騒ぎしてました」
微かな笑顔。
懐かしむような表情。
その瞬間、小畑は初めて気づく。
自分にとっての広岡翔平は、
あの日の被害者だった。
法廷の写真の人だった。
しかし直美にとっては違う。
夫だった。
笑う人だった。
失敗する人だった。
料理のできない人だった。
人生そのものだった。
直美は言う。
「もう六年以上経つんですね」
小畑は答える。
「はい」
「早かったですか」
問い。
小畑は考える。
そして正直に言う。
「分かりません」
直美は少しだけ笑う。
「私もです」
その答えが妙に自然だった。
どちらも正解ではない。
どちらも間違いではない。
ただ本当だった。
別れ際。
直美は軽く会釈する。
「失礼します」
小畑も頭を下げる。
「ありがとうございました」
直美は振り返らない。
そのまま人混みの中へ消えていく。
小畑はしばらくその場を動けなかった。
謝罪はしていない。
許されたわけでもない。
何も解決していない。
それでも一つだけ確かなことがあった。
広岡直美もまた、
時間を生き続けていた。
そしてその時間は、
小畑の時間とは交わらなくても、
確かに前へ進んでいた。




