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『酔いの連鎖』  作者: こうた
第6章 償い

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第9話 それぞれの距離

梅雨は、気づかないうちに街全体の輪郭を曖昧にしていた。


アスファルトの匂い。


湿った風。


傘の擦れる音。


小畑辰巳は、そのすべてを少し遠くから見ている感覚のまま歩いていた。


会社では、再び小さな変化があった。


田中平蔵が別拠点へ異動になった。


正式な転勤ではない。


「業務最適化」という曖昧な理由。


だが誰もその言葉を深掘りしない。


深掘りできない空気がある。


朝のメールでそれを知る。


《今日から別拠点っす》


田中からの一行。


続けて。


《もう同じフロアじゃないっすね》


小畑はしばらく画面を見つめる。


そして返す。


《そうか》


すぐ既読。


少しして田中。


《でも、変わらない気もするっす》


その言葉に、小畑は少しだけ息を吐く。


変わるものと、変わらないもの。


それが今は同時に存在している。


昼休み。


市村敏弘から久しぶりに連絡が来る。


《部署、完全に分かれました》


短い報告。


続けて。


《もうほぼ会わないっす》


小畑は返す。


《そうなるな》


市村から返事。


《なんか、終わった感じしますね》


小畑は画面を見つめる。


終わった。


その言葉は便利だ。


しかし実態とは少し違う。


何かが終わったのではない。


“交わる機会”が減っただけだ。


午後。


会議室での短い打ち合わせ。


発言は最小限。


資料確認のみ。


誰も必要以上に目を合わせない。


それは避けているというより、自然な調整だった。


人間関係ではなく、距離関係。


夕方。


白石夏美からメッセージ。


《今日、別の部署の人と話しました》


続けて。


《普通に話せたのが少し怖かったです》


さらに一文。


《もう普通が分からないです》


小畑は駅のホームで立ち止まる。


電車の音が遠い。


《慣れるしかない》


送信する。


すぐ既読。


白石から返事。


《慣れたくない気もします》


小畑は少し迷う。


そして返す。


《それでも時間は進む》


既読。


それ以上はない。


夜。


帰宅途中、田中から電話が来る。


「別拠点、静かっす」


少し笑っている。


「誰とも喋らない感じっすね」


小畑は歩きながら聞く。


「問題ないのか」


田中は少し間を置く。


「問題っていうか」


「それが普通になってきたっす」


その言葉に、小畑は黙る。


田中は続ける。


「でもさ」


間。


「これって俺らだけじゃないっすよね」


小畑は空を見上げる。


曇り空。


「違うな」


田中は笑う。


「ですよね」


通話は短く終わる。


夜。


部屋に戻る。


机の上の手紙はまだ動かない。


引き出しの中で、時間だけが積み重なっている。


小畑は思う。


距離は罰ではない。


しかし救済でもない。


ただ、


人と人の間に自然に生まれる結果だ。


そしてその結果は、


誰か一人が決めたものではない。

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