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『酔いの連鎖』  作者: こうた
第6章 償い

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第7話 名前のない日常

気づけば、日常は「事件の後」ではなく「事件を含んだ日常」になっていた。


小畑辰巳はそれを、ある朝の電車で理解する。


車内広告。


ニュース画面。


スマホの通知。


どこにも自分の名前は出ていない。


それでも、自分が「外側にいる側」だという感覚だけは消えない。


会社に着く。


席に座る。


パソコンを起動する。


それだけの動作が、以前より少しだけ遅い。


理由はない。


だが、速くしてはいけない気がする。


午前中の作業を終えた頃、同僚の一人が近づいてくる。


一瞬だけ迷ったあと、言う。


「……最近、大丈夫ですか」


その質問は曖昧だった。


仕事のことなのか。


体調なのか。


それとも過去なのか。


小畑は少し間を置く。


「問題ないです」


同僚は頷き、それ以上は聞かない。


聞けないのではなく、聞かない。


その距離感が今の標準だった。


昼休み。


食堂は混んでいる。


会話はある。


笑いもある。


ただし、その中に小畑はいない。


いるのに、含まれていない。


その感覚は不思議と苦しくはない。


もう慣れている。


慣れることができてしまっている。


午後。


田中平蔵からメッセージ。


《今日、夢見ました》


小畑はすぐに気づく。


返す。


《どんな》


少しして返信。


《普通に飲んでる夢です》


間。


《でも途中で全部止まってました》


小畑は画面を見つめる。


田中は続ける。


《誰かが止めたんじゃなくて、空気が止まった感じっす》


それを読んで、小畑は理解する。


あの夜の逆再生のような夢だ。


小畑は短く返す。


《もう戻らないな》


既読。


少しして田中から返事。


《戻る必要もないっすかね》


その言葉は、諦めではない。


整理だった。


夕方。


退勤。


空は薄く曇っている。


駅へ向かう途中、白石夏美からメッセージ。


《今日、同僚と普通に話せました》


続けて。


《でも、すぐ疲れました》


さらに続く。


《“普通”って体力いるんですね》


小畑は少し立ち止まる。


そして返す。


《意識してるからだと思う》


白石から返信。


《そうかもしれません》


既読。


それ以上はない。


夜。


帰宅。


部屋は静かだ。


テレビはつけない。


音もない。


ただ時間だけが流れている。


机の上には未送の手紙。


広岡直美宛て。


内容はもう何度も変わっている。


謝罪。


説明。


言い訳になりそうな文章の削除。


それでも一つだけ残る。


「自分は何を見落としていたのか」


その問いだけが消えない。


小畑はペンを置く。


窓の外を見る。


街は明るい。


人もいる。


普通の日常が続いている。


その中に自分だけが少しずれて存在している。


それは罰ではない。


しかし救いでもない。


ただの状態だ。


名前のない日常。


その中で小畑は思う。


償いとは、過去を消すことではない。


過去を抱えたまま、


名前を失わずに生きることだ。

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