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『酔いの連鎖』  作者: こうた
第6章 償い

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第3話 空白の職場

復帰後の職場は、静かすぎた。


音がないのではない。


必要な音だけが残っている。


小畑辰巳は自分の席に座る。


デスクはそのままだった。


しかし“以前の自分の場所”という感覚は消えている。


そこにあるのは、ただの座席だった。


午前中は資料整理。


午後は内部記録の確認。


業務は限定されている。


外部対応は一切ない。


上司は距離を保ったまま必要事項だけを伝える。


それ以上はない。


それで十分でもある。


休憩室に行くと、同僚が二人いる。


一瞬だけ会話が止まる。


すぐに再開する。


その“間”だけが残る。


誰も悪くない。


誰も間違っていない。


それでも空気は変わる。


小畑はコーヒーを入れる。


後ろで誰かが小さく言う。


「やっぱりさ……」


続きは聞こえない。


聞こえないふりをする必要もない。


ただ、その言葉が“存在している”ことだけは分かる。


席に戻ると、メールが一通。


田中平蔵。


《こっちも似た感じっす》


短い報告。


続けてもう一通。


《誰とも目合わないっすね》


小畑は画面を見たまま止まる。


目が合わない。


それは拒絶ではなく、距離の設定だ。


午後。


人事部との面談。


担当者は書類を見ながら言う。


「今後ですが、社外研修や懇親会などは全て対象外となります」


小畑は頷く。


想定内だ。


しかし“対象外”という言葉が妙に重い。


そこには「参加しない」のではなく「存在しない」が含まれている。


担当者は続ける。


「また、社内の一部会議についても」


そこで少し言葉を選ぶ。


「同席は制限されます」


同席。


その言葉が引っかかる。


会議に出るかどうかではない。


そこに“同じ空間にいること”が制限される。


小畑は静かに言う。


「了解しました」


担当者は少しだけ頭を下げる。


「ご理解ありがとうございます」


理解。


それは同意とは違う。


ただ受け入れたという記録。


廊下に出ると、遠くで笑い声が聞こえる。


誰かの雑談。


誰かの冗談。


そのすべてが別の世界のように感じられる。


市村敏弘からメッセージ。


《俺、別部署っす》


続けて。


《完全に分かれましたね》


分かれた。


それは自然な流れだったのかもしれない。


白石夏美からは何も来ない。


来ないことが関係性を定義している。


夕方。


退勤。


エレベーターの中で一人になる。


鏡に映る自分の顔を見る。


変わってはいない。


それでも違う。


“見られる自分”ではなく、“記録された自分”に見える。


駅へ向かう途中、同僚とすれ違う。


軽く会釈される。


その動作は丁寧だ。


しかし距離がある。


小畑も同じように会釈する。


それ以上はない。


それで十分だと分かっている。


電車の中。


人の流れ。


スマホの画面。


日常は変わらない。


変わったのは位置だけだ。


田中から電話。


「今日さ」


少し笑う。


「普通に仕事してたんすけど」


間。


「“普通”ってなんだっけってなりました」


小畑は窓の外を見る。


夜が近い。


「普通は戻らない」


そう言いかけてやめる。


代わりに言う。


「続けるしかない」


田中は少し黙る。


「っすね」


短い返事。


それだけで終わる。


電話が切れる。


白石からメッセージ。


《仕事行けてます》


それだけ。


小畑は画面を見てから、短く返す。


《それでいい》


既読。


返信はない。


夜。


部屋に戻る。


テレビをつける。


何も入ってこない。


ただ音があるだけ。


小畑は思う。


償いは、何かを取り戻すことではない。


“戻らない状態で生き続けること”だ。


そしてそれは、


誰かが終わらせてくれるものではない。

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