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『酔いの連鎖』  作者: こうた
第1章 死に至る飲み会

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第4話 ゲーム化する飲酒

「なぁ、せっかくだし勝負しねぇ?」


市村敏弘がそう言った瞬間、空気がまた一段変わった。


それまでの飲み会は、“飲んで騒ぐ場”だった。


だがこの瞬間から、“競争”になる。


競争が始まると、人は理性より空気を優先する。


負けたくない。


冷めたやつだと思われたくない。


場を止めた人間になりたくない。


その感情が、危険を押し流していく。


「また始まったよ、市村さんの酒バトル」


誰かが笑う。


だが止める者はいない。


むしろ数人は面白がっている。


小畑辰巳は缶ビールを片手に、その様子を眺めていた。


市村は昔からこうだった。


飲み会をイベント化する。


誰が強いか。


誰が先に潰れるか。


それを半分遊びのように扱う。


そして小畑もまた、その中心にいた。


「今日は小畑さん倒しますからね」


市村がニヤつく。


「無理だろ」


小畑は笑う。


周囲も笑う。


そのやり取りは社内の定番だった。


“酒が強い人間が偉い”。


この部署には、そんな空気が確かに存在していた。


社長も部長もそれを嫌っていたが、現場レベルでは消えきっていない。


むしろ、見えない場所で濃縮されていた。


田中平蔵が机を叩く。


「よし、じゃあ今日は広岡も参加な!」


「え?」


広岡翔平の顔が固まる。


「いや、僕ほんとに……」


「一番新人なんだから逃げんなって!」


笑い声。


軽いノリ。


だがその言葉には、“拒否権が存在しない圧”が混ざっていた。


広岡は助けを求めるように周囲を見る。


だが誰とも目が合わない。


佐伯光だけが、一瞬だけ視線を合わせ、すぐ逸らした。


新入社員の彼には、止める勇気がなかった。


(やばいんじゃないか)


そう思っている。


だが、それを口に出した瞬間、自分が空気を壊す側になる。


その恐怖が、口を閉じさせる。


「まぁ軽くだよ軽く」


市村が笑いながら言う。


その“軽く”が危険だった。


人は軽いと言われると、自分の違和感を疑い始める。


広岡は既にかなり気分が悪かった。


頭痛。


吐き気。


動悸。


身体は明確に拒絶反応を起こしている。


だが、それを“自分が弱すぎるだけ”だと思い始めていた。


小畑はその様子を見ながら、まだ迷っていた。


止めるべきか。


いや、そこまでじゃない。


まだ普通に話している。


歩ける。


意識もある。


その判断基準が、すべてズレている。


小畑自身が強すぎるせいで、“危険ライン”が普通の人間より遥か遠くに設定されていた。


「じゃあさ、負けたやつ一気な」


市村が言う。


「学生かよ」


誰かが笑う。


しかし否定ではない。


笑いながら受け入れている。


それが怖かった。


ルールが成立した瞬間、人は従う。


たとえ嫌でも。


広岡は自分の前に置かれたグラスを見る。


琥珀色の液体が揺れている。


匂いだけで気持ち悪い。


胃がひっくり返りそうになる。


「広岡、大丈夫?」


白石夏美が初めて声をかける。


経理部の彼女は、少し離れた位置からずっと様子を見ていた。


広岡は反射的に答える。


「だ、大丈夫です」


嘘だった。


しかしその嘘を、一番信じたかったのは広岡自身だった。


ここで止まったら、場が終わる。


自分のせいで。


その恐怖が、正常な判断を潰していく。


市村がスマホを向ける。


「記念動画撮ろうぜ」


「やめろって」


笑い声。


だが撮影は止まらない。


“イベント化”が始まっていた。


その瞬間から、広岡は一人の人間ではなく、“飲み会のコンテンツ”に変わり始める。


小畑は、その構造をどこか冷めた目で見ていた。


(やりすぎじゃないか)


その感覚はある。


だが、自分が止める立場なのかが分からない。


昔、自分もこうだった。


飲まされた。


笑われた。


潰された。


だからこれは通過儀礼のようにも思える。


その価値観が、判断を濁らせる。


「ほら、広岡!」


田中が肩を組む。


アルコール臭い息が近い。


「男見せろって!」


その言葉で、周囲がまた笑う。


“男”。


その単語は、この場では呪いのようだった。


弱音を否定し、拒否を封じる。


広岡は追い込まれていく。


逃げ道が消えていく。


そしてついに、グラスを持った。


「おおー!」


歓声。


拍手。


誰かが机を叩く。


まるでスポーツ観戦だった。


広岡は震える手で酒を口に運ぶ。


一口。


二口。


そこで止まる。


しかし田中が笑う。


「止まるな止まるな!」


市村も煽る。


「あと半分!」


広岡の喉が痙攣する。


視界が揺れる。


耳鳴りが強くなる。


それでも飲む。


周囲の期待を裏切れないから。


そのときだった。


広岡の手から、少しだけ酒がこぼれた。


「あっ……」


本人が一番驚いた顔をする。


小畑はその瞬間、初めて“危ないかもしれない”という感覚を強く持つ。


顔色が悪すぎる。


目の焦点も少し怪しい。


呼吸も浅い。


だが、その異変は歓声の中に埋もれる。


「酔ってんなぁ!」


「顔真っ赤!」


笑い声。


広岡は笑えない。


もう限界が近い。


しかし誰も、その“限界”の意味を理解していなかった。


アルコールに弱い人間が、どれほど急速に壊れるかを。


小畑だけは、少しだけ違和感を持ち始めていた。


だが、その違和感を口に出せない。


なぜなら今さら止めれば、自分たちが“悪いことをしていた”と認めることになるからだ。


だから空気は進む。


止まれないまま。


ゲームになった飲み会は、人間の命より盛り上がりを優先し始めていた。

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