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『酔いの連鎖』  作者: こうた
第4章 証言の中の自分

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第10話 証言の終点

雨だった。


小畑辰巳は傘を差したまま、検察庁の灰色の建物を見上げていた。


空気が重い。


ここへ来るたび、自分の人生が別の場所へ押し出されていく感覚がある。


今日は“最終整理”の日だった。


これまで積み重ねられた証言。


映像。


供述。


責任。


その一旦の整理。


終わりではない。


だが、一つの区切りではある。


待合室には田中平蔵がいた。


以前より痩せている。


目の下に濃い隈。


市村敏弘もいる。


髪を切っていた。


白石夏美は少し離れた席に座っている。


誰も雑談をしない。


昔なら、こんな沈黙は耐えられなかった。


今は違う。


軽い言葉を挟める空気ではない。


調査官が現れる。


「順番に入ってください」


その声だけが響く。


小畑は最後に呼ばれた。


部屋へ入る。


机。


資料。


録音機器。


何度も見た光景。


だが今日は空気が違う。


調査官が言う。


「本日で、証言整理は一区切りとなります」


小畑は黙って頷く。


調査官は続ける。


「確認ですが、あなたは被害者に対して複数回の飲酒促進を行いましたか」


「……はい」


「被害者が拒否していた認識は?」


「ありました」


「異常状態への認識は?」


小畑は少しだけ間を置く。


「途中から、ありました」


調査官は淡々と記録する。


ペンの音だけが響く。


「では、なぜ継続した?」


小畑は目を閉じる。


今まで何度も考えた。


でも答えは変わらない。


「……場の空気を止めたくなかった」


調査官は聞き返さない。


もう説明は十分だった。


直美の弁護士が静かに言う。


「つまり、“周囲との一体感”を優先した」


小畑は否定できない。


それが一番近い。


そのとき、後ろの席から声がする。


直美だった。


「翔平は、その空気の外にいたんですよね」


小畑の呼吸が止まる。


直美は続ける。


「合わせ続けて、断り続けて、それでも飲まされて」


静かな声。


怒鳴らない。


だから余計に重い。


「あなたたちは“みんなで飲んでた”と思ってる」


間。


「でも翔平は、一人だったんです」


その一言で、小畑の胸が強く締めつけられる。


一人。


確かにそうだった。


広岡翔平だけが、最初から違う場所にいた。


飲めない。


断っている。


怖がっている。


なのに、周囲は“同じ側”に引き込もうとした。


小畑はゆっくり口を開く。


「……そうだと思います」


初めてだった。


言い訳ではなく、認識として口にしたのは。


調査官は最後の確認に入る。


「あなたは、自身の行為が死亡結果に繋がったと考えますか」


部屋が静まる。


田中も。


市村も。


白石もいない。


今は自分だけだ。


小畑は息を吸う。


逃げれば少しは軽くなるかもしれない。


でももう、逃げても消えない。


「……はい」


その一言が録音される。


静かに。


確実に。


調査官は録音を止める。


「以上で終了です」


終わった。


だが、終わった感覚はない。


小畑は立ち上がる。


出口へ向かう途中、直美が小さく言う。


「忘れないでください」


小畑は足を止める。


直美は前を見たまま続ける。


「翔平は、最後まで空気を壊さないようにしてました」


その言葉で、小畑の喉が詰まる。


広岡翔平は最後まで気を遣っていた。


断りながら。


苦しみながら。


周囲を壊さないように。


そして死んだ。


小畑は何も言えない。


外へ出る。


雨はまだ降っている。


空は暗い。


だが、小畑には分かっていた。


証言は終わった。


けれど、“自分が何をしたのか”という問いだけは、


これから先も終わらない。

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