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『酔いの連鎖』  作者: こうた
第3章 遺族の思い

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第9話 取り戻せない時間

会議室の扉が閉まったあとも、小畑辰巳はしばらく動けなかった。


音が消えたはずなのに、耳の奥だけがうるさい。


「まだ終わっていません」


その一言が、何度も反響している。


弁護士が書類を片付けながら言う。


「今のは、感情的な発言というより意思表明ですね」


小畑は返事ができない。


田中平蔵からメッセージ。


《やばかったっすね》


市村敏弘。


《完全に詰められてましたよね》


誰も正確な言葉を選べていない。


“やばい”“詰められる”。


それしか出てこない。


だが実際はもっと単純だった。


責任の核心を、直接見せられただけだ。


外に出ると、空気が冷たい。


小畑は歩きながら、無意識にスマホを開く。


ニュースアプリ。


検索欄。


広岡翔平。


また同じページ。


何度見ても変わらない。


「26歳 男性死亡」


その一行が、現実を固定している。


年齢は変わらない。


未来は消えたままだ。


ふと、白石から通知が来る。


《次、どうしますか》


短い。


それだけで、全員が同じ地点にいることが分かる。


次。


何をするかではない。


どう責任を受けるか。


小畑は返事を打つ。


《分からない》


送信したあと、画面を見つめる。


分からない。


本当は分かっている。


でも言葉にできない。


そのとき、田中から電話が来る。


出る。


「俺、もう示談の方向で進めることにしました」


声は妙に落ち着いている。


逆に怖いほどだ。


「金額とか、まだっすけど」


小畑は聞く。


「それで終わるのか?」


田中は少し黙る。


「終わんないっすよね」


その一言がすべてだった。


市村からも別の連絡。


《会社辞めることにしました》


小畑は画面を見つめる。


一人ずつ、場から消えていく。


残るのは自分と白石だけに近い。


いや、それも一時的だ。


やがて全員が別の形になる。


法的な役割として。


当事者として。


加害側として。


駅に着く。


人の流れはいつも通り。


誰もこの話を知らない。


その無関心が救いであり、孤立でもある。


家に戻ると、机の上に一通の封筒が置かれていた。


会社からではない。


弁護士からでもない。


差出人不明。


開ける。


中にはコピーされた資料。


そこには、当日の飲み会の簡易記録が並んでいた。


誰が何回飲んだか。


誰が何を言ったか。


そして最後に一行。


“救急要請までの経過時間:遅延あり”


その文字を見た瞬間、小畑の手が止まる。


時間。


それは戻らない。


どれだけ責任を分解しても、時間だけは元に戻らない。


そのとき、電話が鳴る。


非通知。


出ない。


しかしまた鳴る。


三回目。


小畑は出る。


「……もしもし」


静かな呼吸。


そして直美の声。


「資料、見ましたか」


小畑は答える。


「はい」


直美は短く言う。


「時間のこと、どう思いますか」


小畑は言葉を探す。


「……止められた可能性はあったと思います」


直美は一瞬黙る。


「“可能性”じゃなくていいです」


間。


「あなたたちは、その時間を何に使ったんですか」


その質問で、小畑の思考が止まる。


何に使ったか。


笑い。


流れ。


沈黙。


そして無関心。


それを言葉にすることはできない。


直美は続ける。


「翔平の時間は、もう戻りません」


その一言が静かに落ちる。


小畑は何も言えない。


直美は最後に言う。


「次は、記録ではなく責任の話になります」


そして通話は切れた。


小畑はスマホを見つめる。


画面はすぐに暗くなる。


部屋は静かだ。


しかしその静けさの中で、時間だけが取り返しのつかない形で積み上がっていく。

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