第8話 対面の条件
その連絡は、想像よりも早く動いた。
小畑辰巳のスマホに届いたのは、弁護士からの短い通知だった。
《遺族側代理人より面談要求あり。応諾するか確認》
指が止まる。
画面を見つめたまま、時間だけが過ぎる。
田中平蔵からメッセージ。
《会うんすか?》
市村敏弘。
《これ、逃げられないやつですよね》
白石夏美からは何も来ない。
その沈黙が逆に重い。
小畑はようやく返信する。
《対応するしかない》
送信した瞬間、胃の奥が冷たくなる。
“会う”。
その行為の意味が、今までと違う。
ただの説明ではない。
ただの謝罪でもない。
評価される場だ。
数日後、指定された場所は静かな会議室だった。
会社でも警察でもない中立的な場所。
しかし空気はすでに偏っている。
扉が開く。
そこにいたのは広岡直美だった。
黒い服。
表情は落ち着いている。
だが、その静けさは感情が消えたわけではない。
制御されているだけだった。
小畑は一瞬、足が止まる。
直美の目がこちらを見る。
まっすぐ。
逃げ場がない視線。
弁護士同士が軽く挨拶を交わす。
しかし意味はない。
形式だけの音だ。
直美が先に口を開く。
「来てくれてありがとうございます」
丁寧な言葉。
だが温度はない。
小畑は立ったまま答える。
「……お時間をいただき、ありがとうございます」
その言葉は、自分でも薄いと分かる。
直美は椅子に座るよう促す。
三人が向かい合う形になる。
弁護士が間に入る。
「本日は事実関係の確認と、意向の整理になります」
直美は頷く。
そして小畑を見る。
「一つだけ最初に確認させてください」
空気が止まる。
「翔平に、最初にお酒を勧めたのはあなたですか」
直接だった。
弁護士が一瞬止めようとするが、直美が手で制する。
小畑は息を吸う。
喉が乾いている。
逃げる余地はない。
「……はい」
その一言で空気が変わる。
直美の表情は動かない。
ただ、目だけがわずかに細くなる。
「それは、何回目ですか」
質問が続く。
小畑は記憶を探す。
「最初の乾杯のあと……複数回です」
直美は静かに聞く。
「断られましたか」
小畑は頷く。
「はい」
「それでも?」
沈黙。
「……続けました」
その瞬間、部屋の空気がさらに重くなる。
直美は小さく息を吐く。
怒りではない。
確認だった。
弁護士が口を開く。
「その点については、現在法的整理中で——」
直美は遮る。
「法律の話は後でいいです」
弁護士が黙る。
直美は小畑を見る。
「翔平は、酔ってどうなっていましたか」
小畑は言葉を探す。
映像が浮かぶ。
ふらつき。
座り込み。
返事の遅れ。
「……意識が、はっきりしない状態でした」
直美は頷く。
「そのとき、止めましたか」
沈黙。
小畑は答えられない。
直美はもう一度聞く。
「止めたんですか」
小畑は目を伏せる。
「……いいえ」
その瞬間、直美の呼吸がわずかに変わる。
だが怒鳴らない。
泣かない。
ただ静かに言う。
「分かりました」
その一言が重い。
終わりではない。
評価の始まりだった。
直美は続ける。
「私は責任を誰か一人に押しつけたいわけじゃありません」
小畑は顔を上げる。
直美の目は揺れていない。
「でも、“何もしていない時間”が一番許せません」
その言葉が刺さる。
何もしていない時間。
放置。
沈黙。
笑い。
それらすべて。
直美は立ち上がる。
「今日はそれだけです」
弁護士が慌てて整理を始めるが、意味はない。
直美は出口に向かう前に一度だけ振り返る。
「まだ終わっていません」
その言葉を残して、部屋を出る。
残された小畑は動けない。
呼吸が浅い。
田中も市村もいない。
ただ一人でその言葉を受け取る。
まだ終わっていない。
それは宣告ではなく、予告だった。
そしてその瞬間、小畑は理解する。
これは“過去の責任”ではない。
まだ進行中の出来事だ。




