第8話 壊れた順番
会議室に集められた全員の前に、さらに厚い資料が積まれていた。
警察だけではない。
会社の顧問弁護士。
人事部。
危機管理室。
空気は完全に変質していた。
もう「個人の飲み会」ではない。
組織事故として扱われている。
小畑辰巳は、椅子に座るだけで精一杯だった。
田中平蔵は腕を組んだまま動かない。
市村敏弘は机の端を無意識に叩いている。
白石夏美は資料を見ていない。
佐伯光はずっと下を向いている。
誰も目を合わせない。
中央に立つのは、人事部長だった。
「本件について、会社として事実確認を行っています」
淡々とした声。
感情はない。
だが、その分だけ重い。
「本日までの調査で、複数の問題点が確認されています」
ページがめくられる。
そこには箇条書きがあった。
・飲酒強要に近い行為の有無
・安全配慮義務の範囲
・業務外飲み会の管理体制
・ハラスメントの可能性
小畑はその文字を見ながら、現実感が薄れていくのを感じていた。
ハラスメント。
その言葉が、昨日までの“楽しい飲み会”と繋がらない。
人事部長が続ける。
「特に問題となっているのは、被害者の意思確認と飲酒の継続です」
白石が小さく息を呑む。
意思確認。
何度も断っていた。
その記憶が蘇る。
だが、それを無視したわけではないと思っていた。
流れだった。
空気だった。
その曖昧さが、今は罪の形をしている。
弁護士が静かに言う。
「法的には、“断っていたのに継続させたかどうか”が重要になります」
その言葉で、田中が初めて顔を上げる。
「それって……俺ら全員アウトじゃないですか」
誰も否定しない。
否定できない。
市村が小さく笑う。
「いや、冗談じゃなくてマジで終わりっすね」
その声には諦めが混じっている。
人事部長は続ける。
「また、飲酒量の推定から見て、身体的リスクの認識が可能であったかも検討対象です」
小畑の頭の中に映像が浮かぶ。
広岡の顔。
青白い唇。
震える肩。
床に倒れた姿。
そのどれもが、“危険のサイン”だった。
しかしその場では、笑いで上書きしていた。
弁護士が資料を差し出す。
「医学的所見では、急性アルコール中毒の可能性が高いとされています」
その言葉で空気が固まる。
「さらに、アルコール分解能力の低さが影響した可能性」
白石が顔を覆う。
知っていた。
弱いことを。
それなのに止められなかった。
人事部長が言う。
「つまり、予見可能性があった可能性があります」
予見可能性。
その言葉が一番重かった。
“起こると分かっていたかもしれないのに止めなかった”
それはもう事故ではない。
判断の問題になる。
小畑は拳を握る。
手が冷たい。
予見していたのか。
本当に?
いや、していた。
どこかで。
でも認めなかった。
認めたら止めなければならないから。
田中が呟く。
「これ……誰が一番悪いとか決める話じゃないですよね」
弁護士が即答する。
「法的には、関与の程度で個別に判断されます」
その瞬間、空気が変わる。
“全員同じ”ではなくなる。
序列が生まれる。
責任の重さが分けられる。
市村が小さく言う。
「順番に終わるってことっすか」
誰も答えない。
その沈黙が答えだった。
小畑は気づく。
これは連帯責任ではない。
分解される責任だ。
一人ずつ切り離されていく。
人事部長が資料を閉じる。
「今後、処分については個別に通知します」
その言葉で会議は終わる。
しかし終わった気がしない。
むしろ始まっている。
外に出ると、廊下の空気がやけに冷たい。
田中が言う。
「俺、どこまで残るんすかね」
市村が笑う。
でもすぐ消える。
「順番待ちっすね」
白石は何も言わない。
佐伯はまだ動けない。
小畑はゆっくり歩く。
“順番に壊れていく”
その言葉だけが頭に残る。
一つの飲み会が、人生を順番に切り裂いていく。
その現実だけが、静かに進んでいた。




