第7話 記録される夜
取調室の空気は、昨日よりも静かだった。
静かすぎて、逆に圧がある。
小畑辰巳は机の一点を見つめている。
そこには何もないのに、視線を外せない。
刑事は新しい資料を置いた。
「これを見てください」
防犯カメラの映像を切り出したプリントだった。
居酒屋のテーブル。
笑っている自分。
グラスを持つ広岡翔平。
その隣で盛り上げる田中と市村。
小畑の指が、わずかに動く。
映像の中の自分は、今の自分と別人に見えた。
刑事が言う。
「時間を追って確認しています」
ページをめくる。
別の場面。
広岡が手を振っている。
「もう大丈夫です」と言っているように見える。
その直後、小畑がグラスを置く。
「もう一杯いけるだろ」
その声が記録されているわけではない。
しかし、状況がそれを示している。
刑事は淡々と続ける。
「この発言は、誰の判断ですか」
小畑は一瞬黙る。
「……私です」
声が乾いている。
刑事は頷く。
次のカット。
広岡が顔をしかめる。
田中が肩を叩く。
市村が笑う。
白石が何かを言いかけて止まる。
その一連が、無音で流れる。
刑事が言う。
「この時点で、異常は認識していましたか」
小畑はゆっくり息を吸う。
「……していました」
言った瞬間、胸が痛む。
認識していた。
それを認めることは、自分の中の防波堤を壊すことだった。
刑事は表情を変えない。
「それでも続けた理由は?」
また同じ問い。
理由。
小畑は視線を落とす。
「……止める流れではなかった」
その言葉は、自分でも弱いと分かっている。
刑事は少し間を置く。
「“流れ”とは具体的に何ですか」
沈黙。
言語化できないものを問われている。
小畑は口を開く。
「笑っている人がいて……」
そこで止まる。
「誰も止めていなくて……」
また止まる。
刑事が静かに言う。
「つまり、周囲の同調圧力ですか」
小畑は頷くしかない。
それは事実でもあり、言い訳でもある。
刑事は次の資料を出す。
音声ログの一部。
「これ、再生します」
スピーカーから音が流れる。
店の騒音。
笑い声。
グラスの音。
そして、自分の声。
『いけるだろ、まだ』
小畑は目を閉じる。
その声が、他人のものに聞こえる。
でも確かに自分だ。
刑事が言う。
「この発言が複数回確認されています」
ページがめくられる。
別の音声。
『潰れるまでいけるって』
また自分の声。
小畑の喉が締まる。
記録されている。
曖昧だった記憶が、外側から固定されていく。
刑事は淡々と続ける。
「これらの発言は、被害者の飲酒継続に影響したと考えられます」
影響。
その言葉が重い。
小畑は反射的に言う。
「でも、全員で……」
そこで止まる。
“全員で”。
また逃げの言葉だと気づく。
刑事は静かに返す。
「全員で、というのは責任の所在を曖昧にする表現です」
その一言で、小畑の中が揺れる。
曖昧。
その通りだ。
曖昧にしていたのは自分たちだ。
責任を分散させることで、誰も止めない構造にしていた。
刑事は続ける。
「広岡さんは複数回、拒否している記録があります」
映像が切り替わる。
広岡が首を振っている。
「もう無理です」と言っているような仕草。
それでもグラスが置かれる。
小畑の手によって。
その瞬間、胸の奥が強く痛む。
刑事が言う。
「この時点で中止する判断は可能でしたか」
小畑は答えられない。
可能だった。
でもしなかった。
それだけだ。
沈黙。
刑事は資料を閉じる。
「今日はここまでにします」
立ち上がる音。
しかし小畑は動けない。
部屋に一人残されたような感覚。
記録された自分だけが、そこに残っている。
廊下に出ると、田中と市村がいた。
二人とも無言。
白石はいない。
佐伯は遠くに立っている。
誰も目を合わせない。
田中がぽつりと言う。
「俺ら、映像に残ってるんすね」
その言葉に誰も返せない。
市村が小さく笑う。
でもすぐ消える。
「もう言い逃れできないっすね」
その一言で、全員が同じ結論に近づく。
これは記憶ではない。
記録だ。
そして記録は、感情では変わらない。
小畑は歩き出す。
廊下の奥に、窓が見える。
外の光は変わらない。
でも、自分の中だけが確実に変わっていた。
一晩の飲み会が、
人生の証拠として固定されていく。




