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『酔いの連鎖』  作者: こうた
第2章 責任は誰にある?

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第2話 取り調べ室

取調室は、思ったよりも何もなかった。


白い壁。


机。


椅子。


蛍光灯の音だけがやけに耳につく。


小畑辰巳は、椅子に座ったまま動けなかった。


手首にはまだ何も付いていない。


だがそれが逆に落ち着かなかった。


拘束されていないのに、逃げ道がない。


向かい側に刑事が座る。


40代くらいの男だった。


表情は淡い。


怒りも同情もない。


ただ仕事としてそこにいる。


それが怖い。


「昨夜の飲み会について、確認させてください」


小畑はうなずくしかなかった。


喉が乾いているのに、水が飲めない。


「被害者の方に対して、飲酒を勧めた認識はありますか」


“勧めた”。


その言葉が刺さる。


小畑の中では、もっと曖昧だった。


ノリ。


空気。


流れ。


だが外から見れば、それは“勧めた”になる。


「……はい」


小さく答える。


刑事はメモを取る。


止まらない。


「どの程度の量を飲まれていましたか」


「……正確には……」


記憶が曖昧になる。


いや、曖昧にしたいだけかもしれない。


グラスの数。


ゲーム。


一気。


途中からの加速。


全部が断片だ。


「分かりません」


小畑はそう答えた。


刑事は少しだけ目を上げる。


「分からない、ですか」


その一言に、責めはない。


ただ確認。


それが余計に苦しい。


「では、止める判断はされましたか」


沈黙。


その質問が一番重かった。


止める機会はあった。


何度も。


顔色。


ふらつき。


嘔吐。


呼吸の異常。


全部見ていた。


それでも止めなかった。


いや、止められなかった。


「……途中で」


言いかけて止まる。


言葉が出ない。


“途中でやめようと思った”。


それは嘘ではない。


だが、やめなかった。


刑事は淡々と続ける。


「結果として、救急要請はいつ行われましたか」


小畑は答える。


「……遅かったと思います」


その言葉を口にした瞬間、胸が痛む。


“遅かった”。


その表現は、すでに事実だった。


もっと早く呼べた。


何度も。


でも呼ばなかった。


沈黙。


刑事は少しだけペンを止める。


「小畑さん」


名前を呼ばれる。


「あなたは当日、被害者の方に対して、飲酒を強要した認識はありますか」


強要。


その言葉が、頭の中で反響する。


強制ではない。


命令でもない。


ただの空気。


ただの流れ。


ただの飲み会。


だが結果として、相手は死んだ。


「……強要したつもりは」


そこで止まる。


“つもり”。


その言葉の弱さに気づく。


刑事は静かに言う。


「つもりではなく、事実をお聞きしています」


小畑は息を吸う。


吐けない。


昨夜からずっと、この感覚だ。


「……断っていました」


やっと言葉が出る。


「被害者の方は断っていた?」


「はい……何度か」


刑事はメモを書く。


紙の音がやけに大きい。


「それでも飲ませた、と」


その整理が怖かった。


小畑の頭の中では、“飲んだ”が自然だった。


でも外側から見ると、“飲ませた”になる。


そこにズレがある。


致命的なズレ。


「田中さん、市村さんも同席されていましたね」


「はい」


「他の方の認識は?」


小畑は答えられない。


知らない。


でも、見ていた。


誰も止めなかった。


その事実だけはある。


刑事は少し間を置く。


「広岡さんは、アルコールに弱い体質だったと聞いています」


その言葉で、小畑の胸が強く締まる。


知っていた。


薄々ではなく、知っていた。


弱い。


すぐ顔が変わる。


飲むと危ないかもしれない。


それでも続けた。


「……はい」


声がかすれる。


刑事は続ける。


「その認識がある中で、飲酒を継続させた理由は何ですか」


理由。


理由。


理由。


小畑はそこで初めて気づく。


理由がない。


いや、ある。


でも全部が弱い。


空気だったから。


断りづらかったから。


いつもそうだったから。


それを言葉にした瞬間、自分が一気に崩れる気がした。


「……場の流れです」


やっと出た答え。


刑事は少しだけ視線を上げる。


「場の流れ、ですか」


小畑は頷く。


それ以上言えない。


刑事はメモを閉じないまま、淡々と続ける。


「その“場の流れ”が、人の命に影響した可能性については、どう考えますか」


その質問で、小畑の思考が止まる。


影響。


可能性。


そんな柔らかい言葉ではない。


現実ではすでに一人死んでいる。


「……わかりません」


また同じ言葉。


逃げだ。


刑事は初めて少しだけ間を置いた。


そして静かに言う。


「分からない、では済まない可能性があります」


その言葉が重く落ちる。


法的な意味ではない。


社会的な意味でもない。


もっと単純に。


誰かが死んだという事実。


小畑は俯く。


頭の中に、広岡の顔が浮かぶ。


白い顔。


トイレで倒れた姿。


呼吸が弱くなっていく瞬間。


あの時、何度も止められた。


何度も。


でも止めなかった。


沈黙が続く。


時計の音が聞こえる。


刑事は最後に言う。


「今日はここまでにしましょう」


立ち上がる気力が出ない。


「また話を聞きます」


ドアが開く。


外の光が差し込む。


小畑はようやく立ち上がる。


足が重い。


廊下を歩きながら思う。


責任は誰にあるのか。


田中か。


市村か。


空気か。


酒か。


会社か。


いや。


全部そうかもしれない。


でも一つだけ確かなものがある。


その場にいて、止めなかった自分。


それだけは、消えない。


外に出ると、朝と同じ空気だった。


世界は何も変わっていない。


変わったのは、自分だけだった。

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