第3巻3話「闇に潜む猟犬」
廃墟街から北へ数里離れた、切り立った崖の上の国軍砦。
そこは周辺の治安維持と、無法者どもの監視を担う強固な防衛拠点だった。その堅牢な石壁を、遠く離れた茂みの影からじっと見つめる、二つの凶悪な眼光があった。
切り込み隊長のギタとカブだ。
彼らは翔から『少しレアな将校の拉致』を命じられて以来、余計な私兵は動かさず、わずか数人の手練れだけを引き連れて、まる三日もの間、この砦の動向を完全に監視(張り付き)し続けていた。
「……兄貴、まだかなぁ。あそこの門、まともな指揮官クラスが全然出てこないじゃん」
カブが退屈そうに短剣の刃を草で拭いながら呟く。だが、隣に伏せる巨体のギタは、呼吸一つ乱さず、猟師の目で砦の門の開閉を見つめ続けていた。
「焦るな、カブ。どんな群れにも、必ず巣の外へ見回りに来る『序列の高い個体』がいる。……ほら、来たぞ」
三日目の昼下がり。砦の重厚な木門が開き、十数人の一団が姿を現した。
周囲の兵士とは明らかに違う、上質な漆鎧を纏った一人の男が、馬の背に揺られながら部隊に指示を飛ばしている。国軍の『分隊長(将校)』だ。
「ヒャハッ、本当だ! ちょうどいい『レア物』じゃん、兄貴!」
「行くぞ。音を立てるな」
一団が砦を離れ、周辺の街道の巡回へと向かう。ギタとカブは、獣が獲物を追うように、風下に立ちながら息を潜めて静かに尾行を開始した。国軍の兵士たちは、自分たちの背後に、あの周辺の国々から恐れられる『血塗れ兄弟』が、音もなくへばりついているなど夢にも思っていなかった。
――そして、その日の夜。
巡回を終えた国軍の分隊が、砦へ戻る道中、視界の悪い鬱蒼とした森の中で夜営の準備を始めた。焚き火の明かりが、兵士たちの油断した顔を照らし出す。
夜闇が最も深くなったその瞬間、東義慶の『猟犬』たちが、ついに牙を剥いた。
「――仕掛けるぞ」
ギタの地響きのような囁きと共に、夜襲の幕が上がった。
ギタの放った強靭な長弓の矢が、焚き火の横で油断していた見張りの兵士の喉元を正確に、音もなく射抜いた。崩れ落ちる肉体。
「な、なんだ!? 敵襲――ぶふっ!?」
パニックに陥るキャンプの真ん中へ、弟のカブが影のように滑り込んだ。
槍の一突きで、武器を取ろうとした兵士の胸を貫き、返す刀のメイスで別の兵士の鉄兜を叩き割る。
「ヒャハハハ! 隙だらけだぜぇ、国軍の虫どもッ!!」
闇夜の中で吹き荒れる、圧倒的な個の武力による蹂躙。
ギタの放つ投げ斧が、逃げようとした兵士の背中を正確に割り、カブの容赦ない暴力が、十数人の分隊を一瞬にしてパニックの底へと叩き落としていく。
だが、彼らの本当の目的は『虐殺』ではない。ボスから下された絶対の命令――『拉致』だ。
「ひ、ひぃっ……! 化け物め、来るなッ!!」
部下をすべて血の海に沈められ、腰を抜かした分隊長の男が、馬の影に隠れながら必死に剣を振り回した。
そこへ、熊のような巨体のギタが、音もなく正面から歩み寄る。
分隊長が絶望のまま剣を突き出すが、ギタはそれを無造作に左手の甲冑で弾き飛ばすと、男の胸ぐらを強引に掴み上げ、地面へと叩きつけた。
「がはっ……!」
「おいおい、兄貴、強くやりすぎだって! ボスから『喋れる状態』で連れてこいって言われてるだろ!」
カブが血濡れたメイスを肩に担ぎ直し、ケラケラと笑いながら近づいてくる。
ギタは転がる分隊長の首根っこを大きな手で鷲掴みにし、地獄の底から響くような声で言い放った。
「安心しろ、息はある。……おい、国軍の将校さんよ。ウチのボス(稲川翔)がお前のことを待ってるんだ。大人しく『東義慶の事務所』まで、極上のドライブ(拉致)と洒落込もうじゃねえか」
チートなき極道・稲川翔。
彼の放った二頭の狂犬が、完璧な夜襲によって、国軍の総司令部へ至るための『生きた鍵(情報源)』を、無傷で完全に掴み取った瞬間だった。




