第2巻第20話「挟撃の鉄槌」
裏闘技場の客席は、すでに原型を留めないほどに破壊し尽くされていた。
だが、さすがは厳しい訓練を積んだ表の正規軍というべきか。混乱の極致にありながらも、数十人の国軍兵士たちは一箇所に固まり、鉄の盾を隙間なく並べることで、強固な防衛線を築き上げていた。
「ちっ……! こいつら、こんな大乱闘の中で綺麗に盾を並べてやがってよォ!! 鬱陶しいな!」
カブがメイスを何度も叩きつけるが、厚い鉄盾の壁は容易には崩れない。
「ハハハ! 構うかよ、盾の隙間から槍を突っ込んでやる! 耳だ、耳を寄こせェっ!!」
泥酔したギタが豪快に笑いながら、盾の上から強引に手斧を叩き込むが、国軍の指揮官は冷徹に前線を見据え、刃を掲げた。
「怯むな! 相手はたかが数十人の暴徒だ! ……ん? 待て、あいつらはあの東の山の『血塗れ兄弟』じゃないか……!? チッ、なぜこんな場所に。構わん、総員、刃を構えろ! 一人残らず殺せ! 突撃――」
「――が、あぁっ!?」
指揮官が命令を言い終えるより早く、国軍の防衛線の『真後ろ』から、凄惨な肉の裂ける音と絶叫が響き渡った。
「な、なんだ!? 後ろで何が起きてる――ぶふっ!?」
慌てて振り返った兵士たちの目に飛び込んできたのは、重厚な鉄盾の壁によって完全に死角になっていたはずの後方通路から、怒涛の勢いで押し寄せてくる巨大な影の群れだった。
手足の鎖を引きちぎり、ギラついた大剣や斧を握りしめた二百人の奴隷戦士たち。
そしてその先頭で、返り血を浴びた錆びたハルバード(大斧槍)を獰猛に回しているのは、十年間無敗の王者、ラズだった。
「よし。――皆殺しだッ!!」
魔王の咆哮と共に、二百人の剣闘士たちが国軍の背後へと容赦なく襲いかかった。
頑強だったはずの防衛線は、その瞬間、ただの「肉の壁」と化した。
正面からはギタとカブが率いる東義慶の私兵たちが盾の隙間を抉り、背後からは怒り狂った最強の剣闘士たちが兵士たちの甲冑ごと肉体を叩き潰していく。前後を完全に塞がれた挟み撃ちのロジック。これだけの数の暴力と実力差の前に、国軍の戦術など何の意味もなさなかった。
「ぎゃあぁっ!? 助け――」
「ヒャハハ! 後ろがお留守だぜぇ、兵隊さんよォっ!」
カブのメイスが兵士の背中を砕き、ラズのハルバードが指揮官の首を豪快に撥ね飛ばす。
それはもはや戦闘ではない。ただの「処刑」であり、圧倒的な蹂躙劇だった。
数分と経たぬうちに、闘技場の通路は国軍兵士たちの血の海へと変わり、静寂が戻る。
「……ふぅ。おい、お前らが噂の『東義慶』か?」
ラズはハルバードの血を払いながら、目の前で返り血を浴びて笑っているギタとカブを見据えた。
「ヒャハッ、そうだよ! あんたがラズだな? シイナさんの言った通り、とんでもねえ強さじゃん!」
カブが目をぎらつかせて笑う。
その時だった。教会の天井のさらに上、地上の夜空へと向けて、一本の眩い『火矢』が、尾を引いて高く、高く打ち上がったのが見えた。
「――チッ、シイナの合図だな。仕事は終わりだ」
ギタが奥の通路を見据え、不敵に笑う。
「ラズ、お前たちの家族はすでにウチの参謀が救い出した。ボスの仕事(ガバルド暗殺)も終わっているはずだ。野郎ども、これより退却、アジトへ帰還するぞ!」
「おうっ!!」
自由の身となった二百人の剣闘士、そして大戦果を挙げた東義慶の私兵たち。
総勢五百人近くにまで膨れ上がった最凶の無頼漢組織が、燃え盛る裏闘技場を背に、廃墟街の本拠地へと向けて一斉に散り散りに、だが確実な足取りで夜闇へと消えていった。
チートなき極道・稲川翔。
彼が異世界に降り立ってわずか数日。ついに大陸の裏社会の歴史をすべて塗り替える、最凶の帝国『東義慶』が、その圧倒的な産声を完全なものとして響かせようとしていた。




