第2巻第 15話「混沌の祝祭」
作戦当日。
交易都市の地下深くにある裏闘技場には、相変わらず血と金を求める多くの観客が押し寄せていた。怒号を上げる悪党、顔を隠した大富豪、そして下卑た笑みを浮かべる貴族ども。
だが、その熱気渦巻く客席の中には、明らかに『客ではない者達』――鉄剣を隠し持った東義慶の私兵五十人が、息を潜めて散らばっていた。
砂舞台の上で試合が始まると、この日は奇跡的なほどの大接戦が繰り広げられた。互いの肉体を削り合う凄惨な死闘。客席のボルテージは跳ね上がり、ガバルドの懐に入るはずの賭け金が一気に跳ね上がっていく。
――今だ。
客の興奮が最高潮に達し、理性が焼き切れたその瞬間、翔の命令通りに東義慶の『仕掛け(ハメ手)』が始動した。
「おい……今、誰か俺の席を『獣臭い』って言ったなァ、あ!?」
客席の中段、熊のような巨体を震わせ、ギタが隣の酔っ払った客の胸ぐらを強引に掴み上げた。
「な、なんだお前は! 離し――」
「あ? 次は『デカブツ』だと!? 貴様……そのツラ、今すぐ皮を剥いでやろうか!?」
ギタの理不尽極まるいちゃもんを皮切りに、別の席にいた私兵たちも一斉に暴れ出した。
「おい、そこんとこで酒こぼすんじゃねえよコラァ!」
「待ちやがれ! 今、俺の財布から金を盗ろうとしただろ泥棒がよォ!?」
狭い客席で仕掛けられた、怒号と暴力の連鎖。
ただでさえ興奮状態で酒が入っていた観客どもだ。一人が殴り合えば、隣の奴が巻き込まれ、さらにその隣の奴が応戦する。作戦通り、闘技場のあちこちで小規模な乱闘が同時多発的に発生した。
そして――それは一気に対象を広げ、会場にいるすべての客が敵味方も分からず殴り合う、前代未聞の『大乱闘(暴動)』へと発展していった。
「ハハハ! 最高じゃん! 俺とやりたい元気な奴はどいつだ!? オマエかぁっ!?」
カブが狂ったように笑いながら、襲いかかってくるガバルドの用心棒をメイスの柄で叩きのめす。
「何人でも来い! まとめて皮を剥いでやるさ!」
ギタもまた、私兵たちを率いて正面から突撃する。だが、あまりにも派手に暴れすぎたせいで、本来は後方に控えているはずだった国軍兵士の警備隊までもが、完全に大乱闘の渦へと巻き込まれてしまっていた。
――ドガァンッ! バキキッ!!
客席が完全に崩壊していくその様子を、最下層の監獄区画へと繋がる通路の影から、シイナは冷や汗を流しながら見上げていた。背後には、人質強奪のために控える八十人の武装私兵たちが、いつでも飛び出せるように息を潜めている。
「……なんか、すごいことになってますね、あの上」
シイナはメガネを押し上げ、あまりのカオスぶりに小さくため息を吐いた。
「あの兄弟、作戦(陽動)だってことを忘れて暴れてないといいですけど……。まあ、警備の兵隊も完全に引き付けられましたし、もうそろそろですかね。――よし、野郎ども、私たちは最下層へ突入します。ラズの父親を最優先で奪取くぞ!」
「「「おうっ!!!!」」」
シイナの一声で、八十人の軍勢が音もなく監獄の奥へと突き進んでいく。
一方その頃。闘技場の最上階へと繋がる、薄暗いVIP回廊。
階下から響く、地鳴りのような怒号と悲鳴を聞きながら、二十人の精鋭を引き連れた稲川翔は、ゆっくりと歩みを進めていた。
「ハハハ、いいな。ギタとカブの奴、一気に喧嘩を広げてやがる。最高じゃねえか。……俺もあのステゴロ(素手喧嘩)に参加したいところだが……その前に、まずは諸悪の根源、親玉を消さねえとな」
翔は懐から取り出した煙草に火をつけ、そのライターの炎で冷酷な横顔を照らした。
濁った瞳の奥にあるのは、金と権力に守られた大商人ガバルドを、この大乱闘という名の『事故』で圧殺するための、完璧な殺意。
「さあ、行くぞ。泥棒の次は、強欲な商人のハメ殺しだ」
紫煙を暗闇に散らしながら、翔はナガドスの柄に手をかけ、ガバルドの待つ最高級の扉へと近づいていった。




