第2巻第11話裏闘技場の視察
ボス、本当に軍勢を動かさなくて良いのですか? 今の我が東義慶なら、三百人の兵力で地下へ真っ正面からカチコミをかけることも可能ですが……」
出陣の準備を進めようとしていた各班の隊長たちが、怪訝そうな顔で翔を見つめた。
だが、翔はくわえ煙草の先を赤く光らせ、静かに首を横に振った。
「馬鹿言え。相手は金と貴族との繋がりを持った大商人だ。そんな場所にいきなり大軍で押し入ってみろ、表の正規軍を呼び出されて泥沼の戦争になるだけだ。ヤクザのシマ奪取(乗っ取り)ってのはな、まずは相手の懐に潜り込んで、一番美味い急所を見極めてから一撃で仕留めるのが基本だよ。どれだけの規模で、どれだけの金が動いてるか、この目でキッチリ確かめてやる」
翔は長椅子から立ち上がると、懐のナガドスの感触を確かめ、背後に控える十人の私兵たちを指先で選別した。
「シイナ、ギタ、カブ。お前らはアジトで残りの野郎どもの練度を上げておけ。……俺はちょっと、その裏闘技場とやらへ『視察(遊び)』に行ってくる」
「分かりました、ボス。くれぐれも無茶はしないでくださいね」
シイナがメガネの位置を直しながら見送る中、翔は選りすぐった十人の部下を引き連れ、大商人ガバルドが仕切る闇のエンターテインメントの舞台へと向けて、悠然とアジトを出発した。
――数日後。
廃墟街から少し離れた中立地帯、交易都市の地下深く。
重厚な鉄の扉を潜り、長い石階段を下りた先には、地上からは想像もつかないほど広大で、熱気に満ちた狂気の空間が広がっていた。
すり鉢状になった巨大な地下闘技場。
中央の砂舞台を囲む客席には、きらびやかな衣装を纏った貴族や、顔を隠した大富豪、 shadowから紛れ込んだ悪党どもがひしめき合い、耳を聾するような歓声を上げている。
「殺せっ! 殺せぇッ!」
「おい、俺の賭けた奴が負けたらタダじゃおかねえぞ!」
飛び交う怒号と、信じがたい額の金貨。
客席の最後列、影に紛れるようにして座った翔は、濁った瞳で闘技場全体をじっと観察していた。観客の数、飛び交う金の桁、そして配置されたお抱え用心棒たちの動き……すべてが桁違いのシノギであることを、翔のヤクザとしての目利きが瞬時に弾き出す。
「……ハッ。なるほど、こいつは確かに良い金の匂いだ。あの豚が肥え太るわけだぜ」
引き連れてきた十人の部下たちが、その圧倒的な規模と熱気に固髄を呑む中、闘技場の中心に一人の男が姿を現した。
その瞬間、割れんばかりの歓声が地下空間を激しく揺らした。
「おい見ろ! 『無敗の魔王』のお出ましだぞ!」
「ラズ! 今日も一撃で片付けちまえッ!」
砂舞台の中央に立っていたのは、手入れの行き届いていない、鈍く光る錆びたハルバード(大斧槍)を携えた一人の男だった。
男の全身は、衣服の隙間から覗く肌の至る所に、無数の凄惨な傷跡が深く刻まれている。数々の死線を潜り抜けてきた男だけが放つ、独特の「鉄と血」の匂い。
男の名は、ラズ。
金と欲が渦巻くこの裏闘技場において、十年間、ただの一度も敗北を知らない絶対的な王者だった。
ラズがハルバードを無造作に構えただけで、対戦相手の屈強な大男が恐怖で顔を引きつらせる。翔はその様子をじっと見つめ、煙草の煙をふっと吐き出した。
(――錆びたハルバードに、全身の傷跡。あいつが、この闘技場の一番の『看板』か)
チート能力なき極道・稲川翔。
欲望と血の臭いが渦巻く闇の格闘技場で、最強の戦士ラズの圧倒的な佇まいを見つめながら、男の脳裏では、大商人ガバルドの富を根こそぎ奪い取るための冷徹なハメ手が、いよいよ具体的な形を成し始めようとしていた。




