第2巻第5話東義慶の首脳陣
東の山の狂犬たちに、本物の極道のロジックを叩き込んでから数時間後。
稲川翔は、引き連れていった五十人の私兵、そして新たなる仲間となったギタとカブを伴い、本拠地である東の廃墟街へと帰還した。
一団が街の入り口を跨いだ瞬間、行き交う避難民や闇市の悪党たちの動きが、文字通りピタリと止まった。
「お、おい……嘘だろ……?」
「嘘だ、まさか……あの東の山の狂犬兄弟か!?」
「全身血塗れの化け物どもだぞ! なんであの新参者の男の後ろを、大人しく歩いてやがるんだ……!?」
周囲から漏れ出すのは、驚愕と、底知れない恐怖の囁きだった。国軍を虐殺し、泥泥の貢ぎ物を出した盗賊ギルドすら舐め腐っていたあの『血塗れ兄弟』が、まるで忠実な猟犬のように翔の背中に付き従っているのだ。街の住人どもは、改めて稲川翔という男の「底知れぬ器」に背筋を凍らせ、道をあけるようにして蜘蛛の子を散らすように退いていった。
周囲の度肝を抜いた翔たちは、そのまま改装されたアジト(旧盗賊ギルド拠点)へと入る。
扉を開けると、そこには寝る間も惜しんで組織の書類を整理していたシイナが待っていた。翔の姿、そしてその後ろに控える巨大な二つの影を見るなり、シイナはメガネをガタガタと震わせながら駆け寄ってきた。
「ボ、ボス! おかえりなさい! まさか、本当に成功するとは……さすがです、さすがとしか言いようがありません……!」
シイナの驚きっぷりに、翔はふっと短くなった煙草を灰皿へ揉み消し、頬の傷を指先でなぞりながら苦笑した。
「おいおい、シイナ。そう簡単に言うなよ。一歩間違えたら、俺の頭がすっ飛んで死んでたかもしれない不合格スレスレの面接だったんだからな」
「ええっ!? し、死にかけたんですか!?」
シイナが白目を剥きそうになるのを手で制し、翔は背後の兄弟を前に進み出させた。
「紹介しよう。今日からウチの新幹部(切り込み隊長)になった、ギタとカブだ。……で、こっちにいる頼りねえメガネがシイナ。ウチの組の金の管理や情報収集、その他もろもろの細かい実務をすべて任せてる俺の右腕だ。お前ら、これから同じ釜の飯を食う身内だ、仲良くな」
翔の紹介に、熊のような巨体の兄・ギタが、シイナを見下ろして不敵に笑う。
「ふん……。俺たちのことを根掘り葉掘り洗ったのは、このお利口そうなメガネか。いい算盤(知恵)を持ってやがる」
弟のカブもメイスを肩に担ぎ直し、ひらひらと手を振った。
「よろしくね、メガネのシイナ。ボスのために働くなら、俺たちは君の命令にも一応従ってあげるよ。……もちろん、それが面白い作戦なら、だけどさ!」
「は、はい……! よろしくお願いします、ギタさん、カブさん……!」
シイナは圧倒的な武力を誇る二人に気圧されながらも、その優れた知性で瞬時に彼らの価値を弾き出していた。自分が描く戦術を、100%以上の暴力で実現してくれる最高の『矛』が手に入ったのだ。
チート能力なき極道・稲川翔。
最高頭脳のシイナ、最凶武力の血塗れ兄弟、そして百六十人の武装私兵。
のちに大陸全土を血と恐怖で震撼させ、すべてを支配する最凶の帝国『東義慶』の、恐るべき首脳陣が、ここに完全なる結成を果たした。
「よし、挨拶はここまでだ」
翔は事務所の机に置かれた、周辺一帯の地図を睨み据えた。
「身内が増えりゃ、それだけ必要なシノギ(資金)もデカくなる。シイナ、ギルドの倉庫にあった上物の武器・防具を野郎どもに配れ。……周辺の山賊どもを、一匹残らずウチの犬に変えに行くぞ」
改装されたアジトの作戦室。
中央の大きな長机を囲むように、稲川翔、若頭のシイナ、新幹部のギタとカブ、そして各班を率いる屈強な隊長や班長たちが一堂に会していた。
部屋に満ちているのは、これから始まる大戦を前にした、肌を刺すような濃密な緊張感だ。
翔はくわえ煙草の先を赤く光らせながら、隣のシイナへと視線を向けた。
「シイナ。手下達への、武器の行き届き状況はどうなってんだ?」
「はい。旧盗賊ギルドの地下倉庫から接収した軍用の鉄剣、槍、そして強固な革鎧と鉄兜、すべて百六十人の男たちへ行き届きました。装備の質だけを見れば、国軍の地方駐屯兵にも引けを取りません。……準備はいつでも大丈夫です、ボス」
シイナが算盤を置き、自信に満ちた声で応える。
ただの死体泥棒やチンピラの集まりだった組織が、いまや統一された装備を纏う本物の「私兵軍団」へと変貌を遂げていた。
その言葉を聞いた弟のカブが、愛用のメイスを机の上にドンと置き、退屈そうに首の骨を鳴らした。
「ヒャハッ、上等じゃん! 俺も兄貴も身体はすっかり温まってるんだ。……さあボス、まずはどこのどいつをブチ殺せばいい?」
ギタもまた、熊のような巨体を揺らしながら、無言で鋭い眼光を翔へ向ける。
「まずは、この廃墟街の周りを完全に安全にする。この街の周囲をうろつき、カタギの避難民やシノギの馬車を狙っている目障りな山賊どもからだ。――シイナ、敵の規模は?」
「はい。街の北側の渓谷を拠点にしている『黒牙団』と呼ばれる山賊です。人数はおよそ三十人と言ったところですね。規律はなく、ただの狂暴な集まりです」
「三十人、ねぇ。……ギタ、カブ。お前ら二人に先陣を任せられるか?」
翔が尋ねると、カブの目が獲物を見つけた蛇のように爛々と輝いた。
「いいよ、任せな! ――で、ボス。そいつらは全員『皆殺し』でいいわけ?」
当然のように命を奪おうとする狂犬。
だが、翔は煙草の煙をふっと吐き出し、濁った瞳で兄弟を冷たく見据えた。
「いや、抵抗するなら叩き潰して構わねえが、降伏するならウチの組織(組)に入れる。俺たちの目的はただの憂さ晴らしじゃねえ。あくまで『勢力拡大』だ。頭数を増やし、シマを広げ、この世界を丸ごと喰らう。いいな?」
ただの殺人ではない。のちに大陸全土を支配する『東義慶』という最凶の帝国を築くための、冷徹な統治のロジック。
翔の放った圧倒的な首領の凄みに、カブは一瞬気圧されたように喉を鳴らし、それから最高に愉しそうな笑みを浮かべた。
「……ハハッ、分かったよボス! 任せな。逆らう馬鹿は肉塊にして、賢い奴にはボスの首輪をはめて連れて帰ってきてやるよ」
「ああ、頼んだぞ。野郎ども、初陣だ! 新看板『東義慶』の恐ろしさを、周辺のクズどもに骨の髄まで教えてやれっ!!」
「「「ヘイ、ボス!!!!」」」
作戦室に、隊長たちの地を震わせるような怒号が響き渡る。
チートなき極道・稲川翔が率いる、百六十人の完全武装した軍勢が、ついに廃墟街周辺の全勢力を飲み干すための血塗られた進軍を開始した。




