第2巻第2話敵を知れば
東の山に割拠する賞金首『血塗れ兄弟』を、東義慶の武闘派幹部として引き入れる――。
そう決断した稲川翔の行動は、どこまでも冷徹で、かつ用意周到だった。百六十人の軍勢をいきなり山へ突撃させるような無鉄砲な真似はしない。それが、チートなき世界で修羅場を生き抜いてきた極道の流儀だった。
進軍の準備を進める拠点の執務室で、翔は補佐のシイナを呼び出し、鋭い眼光を向けた。
「シイナ。東の山に向かう前に、あの『血塗れ兄弟』ギタとカブについて、徹底的に洗って(調べて)くれ」
「洗う、ですか? 具体的には何を……」
「奴らの戦い方(戦闘方法)、ツラ(見た目)、ほかに手下や仲間はいるのかどうか。……それから、これが一番大事だ。奴らはなぜ、そこまで執拗に国軍の兵士を殺し回っているんだ? その理由を突き止めろ」
矢継ぎ早に下される具体的な調査命令に、シイナは驚いたようにメガネの位置を直した。
「ずいぶん慎重ですね、ボス。いつものあなたなら、圧倒的な凄みで正面からねじ伏せてしまうものと思っていましたが……」
シイナの言葉に、翔はくわえ煙草の先から静かに紫煙を吐き出し、不敵な笑みを浮かべた。
「ハッ、勘違いするなよ、シイナ。これからウチの組の仲間(身内)になる奴らだぞ。どんな性質の狂犬なのか、首輪をはめる前に知っておくのは当然だろう。それに――『敵を知れば百戦危うからず』とも言うからな。頼むぞ」
「敵を知れば、百戦危うからず……。なるほど、ボスの世界の格言ですか。深い言葉ですね」
シイナはその優れた知性で翔の意図を完全に理解し、深く感服したように頷いた。ただの暴力集団ではなく、情報の価値を知る本物の組織。その首領の器に、シイナの算盤はまたしても最高の数値を弾き出していた。
「分かりました。ギルドの裏情報網と、廃墟街に流れる噂、そして国軍の布告を照らし合わせ、すぐに奴らの『すべて』を剥ぎ取って見せます」
「ああ、頼んだぞ」
数日後。シイナの驚異的な情報収集能力によって、東の山で国軍を惨殺し続ける『血塗れ兄弟』の、血塗られた過去とあまりにもリアルな戦闘データが、翔の机の上に並べられることになる。
シイナの情報戦は、すぐに成果となって現れた。
かつて盗賊ギルドが握っていた周辺の拠点の記録、そして生き残りの敗残兵から毟り取った生きた証言。それらすべてを机の上に並べ終えたシイナの顔には、確かな手応えの笑みが浮かんでいた。
「どうだ、シイナ。見た感じ、大成功と言ったところだな」
翔が椅子の背もたれに体を預け、煙草の煙をふっと吐き出しながら尋ねる。
「はい、ボス。完璧に洗い出せました」
シイナは羊皮紙を指先でトントンと叩きながら、ハキハキとした声で報告を始めた。
「まず、血塗れ兄弟ギタとカブは、元々は『猟師』です。戦闘スタイルですが、兄のギタが長弓と投げ斧を使い、凄まじい精度で獲物を追い詰める。そして退路を断たれた獲物に対し、弟のカブがメイスと槍を使って至近距離から確実にトドメを刺す……。この猟師時代に培った完璧な兄弟の連携によって、これまで何人もの国軍兵士や密猟者、さらには山に入り込んだ貴族や商人までもが一方的にやられています」
「猟師の狩りの技術を、そのまま対人戦闘に流用してやがるか。ずいぶんめちゃくちゃだな。なんでもありかよ」
「はい。なんとか生きて逃げて来た兵士の証言によると、返り血を浴びた彼らの姿は全身血塗れで、まるで悪鬼のようだったと」
「だから『血塗れ兄弟』、ねぇ……。名前に負けねえ狂犬ぶりだ。で、過去の方はどうだ? なんでそこまで執拗に国軍を狙う」
翔の問いに、シイナは少しだけ痛ましそうな表情を浮かべて声を落とした。
「……彼らの過去ですが、この地域の山に何代も住み着いていた高名な猟師の家系でした。ですが数年前、国軍の戦闘に巻き込まれてしまい、自分たちの生活の糧であった住む山を無残に焼き払われたのです。さらに、父親はその失意の中で病死……。そこから彼らは狂い、山を荒らす表の人間――特に、すべての元凶である国軍兵士を執拗に殺すようになったそうです」
「なるほどなァ」
翔はくわえ煙草のまま、天井を見上げてクツクツと喉を鳴らした。
国への復讐、奪われたシマ(山)への執着、そして身内の死。彼らが表の世界の権力者(カタギの大悪党)を憎む理由は、裏社会に生きる無頼漢のそれと酷くよく似ていた。
「国軍の戦闘に巻き込まれて家も親も失った、か。そいつは同情するねえ。……だが、だったら話はもっと簡単だ」
翔は短くなった煙草を灰皿代わりにしていた鉄皿に揉み消し、獰猛な狼の目で立ち上がった。
「シイナ、野郎どもに号令をかけろ。東の山へ向かうぞ」
「ボス、彼らの連携は本物です。どうやってあの狂犬たちを落とすおつもりですか?」
「決まってる。奴らの『仇(国軍)』を一緒に潰してやるって、極道の大きな看板(約束)を見せてやるのさ。贈り物なんかじゃねえ、本物の『利害のロジック』でよ」
チートなき首領・稲川翔。
血塗れ兄弟のすべてを掌握した男が、ついにその狂犬の首輪を握るため、百六十人の軍勢を引き連れて東の山へと進軍を開始する。
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