2話 「謎の少女」
誰かの声が聞こえた。反射的に目を開く。
「まぶしっ…!」
いきなり飛び込んできたのは、これ以上ないくらい青い空と輝く太陽。思考も全く追いつかない。
(…?さっきまで、自分の部屋で…)
ここはどこなんだろう。
誰がそこにいるんだろう。
疑問は押し寄せるばかりで、何一つとして、その答えが浮かばない。
その時だった。
「やっと起きた。これ以上待たせないでね。」
(……!!そうだ、僕は何を今まで忘れていたんだ…?)
忘れるはずがない。自分の名前、住んでいる場所、通っている学校、一緒に暮らす家族…。一つ一つ、頭の中で反芻する。
「うそ、二度寝するつもりなの…?もう帰りたいんだけど…」
意を決してもう一度、目を開く。
そこにいたのは、1人の女の子だった。
同い年くらいだろうか。透き通るような白い肌、風に靡く、長くて繊細な髪。
次の瞬間、僕は確かめるような口ぶりで、彼女に問う。
「〝 〟…?」
「え?当たり前じゃん…。今日の晴太、ちょっと…。いや、だいぶ変。」
あれ…?
なんで彼女の名前が口から出たんだろう…。ほぼ無意識だった。
そして、なんで彼女は僕の名前を知っているんだろう…。
「ごめん、ここはどこ?」
「どこって…。いつもの木の下だけど」
いつもの木の下…?何を言ってるんだ。あまりにも、周辺の景色に覚えがない。
「本当にどうしたの?ふざけてやってるんだったら、そろそろ怒るよ…?」
彼女の表情が変わる。でもそれは、怒っているというよりも、呆れているような、
こちらを心配しているような、そんな感じのものだった。
「本当に、わからない…。記憶喪失ってやつなのかも。」
「でも私の名前、呼んだよね…?なんでそれだけはわかったの…?」
「それも分からない…。でも、そんな気がしたから。」
自分でも何を言っているのか、理解に苦しむ。
どうやら初対面ではないんだろうけど、それ以上のことは言えなかった。
「君は僕のことを知っているの?」
「知ってるも何も、幼馴染のはずなんだけど…。というか、今日の晴太、いつもとなんか違う。もしかして、どっぺるげんがー…?」
微妙にカタコトな発音になっている。
「いや、僕は正真正銘、晴太なんだけど。とりあえず、いくつか質問するから、答えてくれない?何か、思い出すきっかけになるかもしれないから。」
「わかった…。」
少し不安そうな表情になる。一体どんな質問をされると思ってるんだ…。
「今日の日付は?」
「5月2日」
「ここはどこなんだ?」
「いつも待ち合わせる場所…だけど」
いつも、って言われてもわかるはずがない。
彼女の口ぶりから察するに、どうやら僕からこの世界に関する記憶が抜け落ちているというのに。
「ごめん、やっぱり思い出せないみたい。」
「そう…。それは残念」
意外にもあっさりとした返答がくる。
まるで思い出せなくて当然かのような感じで。
「そういえば、さっき僕のことを幼なじみって言ってたよね?いつもの僕はどんなやつなの?」
「え、そ、そうだね…。晴太は……」
彼女が何かを言いかけた、その時。またあの感覚が全身を襲う。
ブラックホールに吸い込まれていくような、身体が溶けていくような…。
やがて視界は闇に包まれ、意識が朦朧とする。
…
「…!!」
目を覚ますと、そこは見慣れた自分の部屋だった。
すかさず時計に目をやると、30分ほど時間が経っていた。
「夢を見ていた…のか?」
ついさっきまで、ある女の子と話していたことを、確かに覚えている。
まるでこの世界とよく似た世界がもう一つあったような、そんな気がする。
夢にしては鮮明すぎる記憶を、しばらく思い返していた。
結局、あの子は誰だったんだろう。なんで全く違う場所にいたんだろう。
でも、なんとなく、考えても無駄なような気がした。
根拠なんてないけど、思い出す以前に、そもそも記憶を持っていないような…。
…
「虹色の想い抱きしめてー♪羽ばたいてゆくー♪」
翌朝。
スマホのアラーム音に叩き起こされる。僕の寝起きはとんでもなく悪い。
時計を見ると、7時半。
かなり急がないと学校に間に合わない。慌ただしく準備をして、家の階段を駆け下りる。
玄関で靴を履きかけていると、リビングから母さんが顔を覗かせてきた。
「あら、朝ご飯いらないの?」
「ごめん、結構時間やばい」
駅まで全力疾走した後、すでにホームに止まっていた電車にぎりぎり乗り込んだ。
とはいえまだ時間に余裕があるわけではなく、学校の最寄り駅に着くや否や再びマラソン大会が幕を開けた。
たぶん、体育でマラソンをする時よりも好タイムが出せているに違いない。
なんとか校門が閉められる時間には間に合い、おぼつかない足取りで教室へ向かう。
もう今日の分のエネルギーを使い果たしてしまった気がするな…。
ドアをガラガラと開けると、何やらなじみのある顔ぶれたちが僕の席に集まっていた。
「おい晴太!なんで間に合うんだよー!」
「晴太、ナイスだ。俺は信じてたぞ。」
この二人は小学校からの幼馴染。
何故か僕が間に合ったことに怒っている方が、藤林 恭介。
1年生ながら、すでにサッカー部でレギュラー入りが期待されている。
頭のネジが数本足りないが、良い奴だ。
そしてもう一人が北原 翔。
常識人で普段は大人しいが、恭介と一緒だとかなりにぎやかになる。
勉強がとても得意で、入試でもトップ合格だった。
もっと頭のいい高校に行けたはずだが、本人の意思でこの高校に進学することを決めたらしい。
「登校して早々、なんでキレられなきゃいけないんだ…?」
「いやー、晴太が間に合うかどうかでジュースを賭けて勝負してたんだよ。」
こっちは必死で急いで来たっていうのに、そんな僕を見て楽しみやがって、こいつらは…。
「これで俺の三連勝だな。」
どこか勝ち誇った表情で、翔が恭介に言う。
「くっ…。次はぜってえ負けないからな!」
くだらないことで盛り上がっていると、新たなメンバーがやって来た。
「朝から賭け事なんて…健全じゃないわよ。」
上品な空気を纏ったこの黒髪ロングの女子は、城本 鏡花。
同じく幼馴染の一人だ。
たまに気が強いところが出る性格なこともあって、クラスの男子(主にM気質のある人たち)から圧倒的に支持されている、大人っぽいタイプの美人。
「面白そうなことしてるじゃん!あたしも今度から混ぜてよー!」
こっちの明るい髪色をした子は、磐田 綾寧。
性格も明るく、誰とでも仲良くなれるタイプのコミュ強。あと食いしん坊。
「そういえば!次の休みにさー…」
綾寧が何かを言いかけた瞬間、授業開始のチャイムが鳴り響く。
「あ!また後で言うね」
そうして僕たちはそれぞれの席に戻り、また今日も学びの時間が始まる。
一時間目の授業は古典。
先生が教科書の本文を解説をしている間、空高くに浮いている一直線の飛行機雲を眺めながら、昨日見た夢の内容を思い出そうとしていた。
しかし、どうしたものか、何も頭には浮かんでこない。
そのまま授業が中盤に差し掛かった頃。
暖かい春の陽気に照らされていたからか、子守歌のような先生の声のせいか…睡魔による誘惑が始まる。
抗うすべもなく…、意識は完全に途切れた。




