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ハンス 〜存在しなかったA.I.ストーリー〜  作者: わだだわ


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8 半分の人間

「ど、どういうことなの、これ?」

 わたしは立ち上がったという実感がないまま、そこに直立していた。

 わたしの足は何年も動かないままだ。だから、筋力なんてほとんどない。だからいくらアイスポックスのサポートがあっても、立ち上がることなんてできないはずだ。

 それに、父さんはいっていた。

「まだ、自立して動けるようなレベルじゃない」

 だとしたら、いまここで立っているのは、わたしを立たせているのは誰なの?

「そう、アイスポックスは自分で立って歩きまわったり、人間と同じように動くことはできない。でも人間の動きに沿ってサポートすることは可能なんだ」

「でも、こうやって立ってるよ?」

 サポートもなにも、わたしの足には力なんてないから、アイスポックスは事実上自分で立っているのでは?

「うん、新しいIPMCのおかげでずいぶん強い力を出すことができるようになったんだ。でも足は足でしかないし、腕は腕でしかない。それを連結する部分がないから、自分で立ったりはできないよ。人間でいえば、極端に体幹が弱い。ていうか、体幹がない」

 なるほど、つまり人間の身体に取り付けられていないと、アイスポックスは駄々っ子みたいに寝転がって手足をばたばたさせるしかできないのか。

「IPMCってなに?」

「イオンポリマーメタルコンポジットっていってね、いわゆる人工筋肉かな。アイスポックスは関節のモーターの他にもフレーム自体に人工筋肉が入ってて、それが動力を生み出してるんだ」

 わたしはあらためて自分の手足に沿って装着された白く細いフレームを見た。それがどんなものなのかわからないけど、人工の筋肉がその中に入っていると思うと、すこし気味が悪い気がした。

「人間みたいに二本足で歩くロボットもあるじゃない」

 小学生のときに授業で見たことがある、二本足ロボット開発の歴史。

 世界初の二足歩行ロボットを開発したのは、日本だった。早稲田大学の先生がWABOTと呼ばれるロボットを開発した。もう百年近く前のことだった。

 動画で見たそれは銀色のフレームと黒いケーブルが絡み合った、人間というよりは直立したサイのようなずんぐりむっくりした外見をしていた。そして歩く様子はまるで滑りやすい氷の上をおっかなびっくり進んでいるかのようで、とても「人間のように歩く」とはいいがたいものだった。

 WABOTは代を重ね、何代目かになると能楽師のように歩くようになっていたけど、そのときには歩行の動的バランスを取るために、上半身代わりの背骨の上に鉄アレイのようなものが載せられていて、一歩ごとにこれがみそすり運動をしていた。

 作っている側は大真面目なんだと思う。大真面目なんだと思うし、その当時の最先端の技術を詰め込んだものなんだと思うけど、小学生にはもう限界だった。その挙動のあまりの滑稽さに、教室は爆笑の渦に包まれてしまった。

 その後、ホンダがASIMOを開発した。だけどそこから先、日本国内に本格的なフォロワーが現れることはなく、研究はあっという間にアメリカのボストン・ダイナミクスに抜き去られた。

 アメリカ国防高等研究計画局(*DARPA)の支援を受けたボストン・ダイナミクスの開発速度は凄まじく、彼らが開発したアトラスは誕生からわずか五年で、走り、バク転し、パルクールさえこなすまでになった。

 そしてそのあとを継いだヘスペリスの動きはまさに人間そのもので、かぶせられたスキンのおかげで遠目には人間と見紛うほどだった。

「問題はそれこそ、そういうロボットが人間じゃないってことなんだ」と、父さんはいった。

「あれはあくまでもプログラムを実行してるだけでね、どんなに人間らしくふるまってても、それは人間のことを理解してるわけじゃないんだ。人工知能と人工身体が結びついてるわけじゃない。

 だからあのボディにアイスポックスを載せたとしても、アイスポックスはいろんな場面で人間がどう振る舞うか、どんなふうに反応するかわからないまま動くことになる。それこそ僕らの心が突然鳥の身体の中に入れられるようなもので、どうしたらいいのかさっぱりわからないんだ」

「でも、そういうのってディープラーニングとかそういうのでなんとかなるじゃないの?」

 このときのわたしは、ディープラーニングやビッグデータがあればなんでもできるものだと思っていた。

「人間の脳がどうやって学習するか知ってる?」

 逆に父さんは聞いた。

「ううん」

「人間の脳はね、自分が立てた予測と感覚器官からの入力がどれくらい違うかを測定して学習するんだ。

 たとえばミサキがテーブルの上のグラスを持ち上げようとしたとしよう。そのとき、ミサキの頭の中ではグラスの位置や重さ、手触りや温度をあらかじめ予測してる。その予測が現実、つまり実際に持ったときの感覚器官からの入力と一致していれば、ミサキはそのグラスを持ち上げることができる。

 ところが予測——これをモデルというんだけど——と感覚器官からの入力が違っていると修正をしなくちゃならない。思っていたより重いとか軽いとか、ヌルヌルしてるとかザラザラしてるとか、そういう違いがあればすぐに対応してモデルを修正する。これが学習なんだ。

 このモデル作成はね、物に対してだけ行われるわけではなくて、ありあらゆることに対しても行われる。空間や会話、思考に運動、音楽だってそうだ。『音を外した』って感じるのは、予測されるモデルの中にない音が脳に入力されたときなんだよ。

 でもその外した音が何度も繰り返し入力されると、脳はその音も含めた音階をモデルとして構築する。つまり、モデルを修正するわけだ」

「それを無意識にやってるの?」

「そうだね、差異が小さければ無意識にやってる。それどころか、生きるってのはそのモデル修正の連続だよ。だからいちいち意識してたらやってられない。

 でも逆にモデルと現実の違いがとても大きいことがあって、それに対する脳の反応が『驚く』なんだ」

 なるほど、だから麦茶とめんつゆを間違えると吹き出してしまうのか。どちらも飲みもので、どちらもおいしいのに、脳の予測と大きく違うから驚くんだ。

「それで、わたしにこれを着けろと?」

 わたしは自分の手足に沿って滑らかに光を照り返すアイスポックスの白いフレームを見た。

「うん。感覚運動学習っていってね、アイスポックスにも人間と同じように学習させたい」

 わたしが左腕を挙げると、アイスポックスのフレームはわずかなモーター音をさせて滑らかに追従した。抵抗はほとんど、というかまったく感じない。いくら軽量の樹脂と金属が使われているとはいえ、わたしの腕はアイスポックスの質量のぶんだけ重くなっているはずだった。それを感じないということは、こうした動作のひとつひとつを、アイスポックスは適切にサポートしているということなんだろう。

 これを着けて生活をする。

 つまり父さんは、人工知能に人間のなんたるかを教えるために、アイスポックスに人間の身体を二十四時間トレースさせようというわけだった。

「いいけど……」

 役立たず、という言葉がふたたび頭をよぎった。

 わたしはアイスポックスの力を借りれば、立ち上がることはできるだろう。だけど、それだけだ。わたしに歩くことはできない。だから、アイスポックスに人間がどう歩くか、人間がどう走るか、人間がどう転ぶかを教えることができない。わたしに教えられるのは上半身の動きだけ、わたしは半分の人間なのだ。

「ねえ、お父さん。わたし、これを着けても歩けないと思う」

 わたしは率直にいった。

「その感覚運動学習に必要な感覚が、わたしにはないもの」

「そんなことはないよ」

 父さんは意に介していないようだった。そして、「アイスポックス、少し歩いてみて」といった。

 するとアイスポックスは——わたしは——、父さんに向かって一歩二歩と歩き出した。

「えっ……?」

 わたしがこのとき感じたのは、驚きでも感動でもない。恐怖だった。

 小さい頃にわたしが最初に乗り始めた車椅子は、電動ではなく自分で車輪を押すタイプだった。いまみたいにスマートブレーキも補助用のモーターも付いていない、すべてを自分で操作しなければならないタイプ。

 当然パーキングブレーキも手動で、わたしはあるときブレーキをかけ忘れた。

 平坦なところに車椅子を停め、きっと誰かとおしゃべりをしていたか、おおかたなにかに見とれてぼうっとしていたんだと思う。

 するとわたしよりも小さな子が、まだ親に手を引かれて歩いているような子が、わたしの車椅子にぶつかった。その衝撃で車椅子はほんの数センチ前に進み、そこから始まる坂道を下り始めた。ゆるゆるとした加速ではあったし、一メートルも進まないうちにわたしはハンドリムをつかんで車椅子を停止させた。

 それでも、意思とは無関係に自分の身体が運ばれていくのには恐怖を覚えた。

 アイスポックスが歩き始めたときに感じたのも同じ感情だ。わたしは思わず両腕を胸の前で縮こまらせた。

「えっ?えっ?えぇっ?」

 すっとんきょうなわたしの声に反応したのか、それとももう父さんのすぐ近くまでやって来たからなのか、アイスポックスは停止し、わたしは父さんの目の前で立ちすくんだ。

 立ちすくむ、ということができること自体、わたしにとっては驚きだったのだけれど。

「これって、センサーが筋肉の動きを感知するんじゃないの?」

 動悸がおさまらないまま、わたしはいった。

「そうだよ、基本的にはね。だけどそれだけじゃなくて、ミサキがそっちに行きたいって意思表示すればそっちに行くこともできるよ。言葉で命令することもできるし、重心を移すことでもコントロールできる」

 それは車椅子の上で上半身を動かすようなものだった。電動車椅子になってからはやらなくなったけど、手動の車椅子の頃には行きたい方向に自然と身体を倒していたものだった。

 わたしは試しに身体をひねり、少し上半身を倒してみた。

 するとアイスポックスに支配された下半身はそちらを向き、わたしが上半身を直立させるまで歩き続けた。方向転換するのはまるで行進している人のようだったたし、足取りもだいぶぎこちなかったけれど。

 これはつまり、わたしの下半身が電動車椅子から二足歩行するロボットになったと思えばいいのかな。

 要はパワードスーツなのだ、これは。電動車椅子だって、人の足の形をしていないとはいえパワードスーツの一種といえる。アイスポックスはその全身版なのだ。

 これなら、とわたしは思った。

 父さんがときどき意地悪して冷蔵庫のいちばん上の棚に、わたしの手の届かないところに隠すプリンにも手が届く。「あなたが二本足で立てるようになって、したいのがそんなこと?」といわれてしまうかも知れない。

 だけとそうなんだ。わたしは「そんなこと」がしたい。なんでもないことがしたい。

 なんでもなく立って、なんでもなく歩いて、なんでもなく座りたい。だってもうなんでもなく学校に行くことは、なんでもなく友だちと会うことはできなくなってしまったのだから。せめてそれくらいは、なんでもないことがしたい。

 こみ上げてくるものを笑顔で押さえつけて、わたしはいった。

「なんだか、スーパーヒーローになったみたい」

 わたしはファイティングポーズを取ってみた。

「そうだね。英語では強化外骨格、パワード・エクソスケルトンっていうしね。なんだか強そうな響きだよ。アイスポックスっていうのも、そこから名前を取ったんだ」

 父さんはメモ用紙に"AI Supporting POwered eXoskeleton"と書いた。なんだか語呂合わせのために無理矢理いろんな文字を切り貼りした感じだ。だけど父さんは、「ネーミングなんてそんなもんだよ」と気にも留めていないようだった。

「世界初の二足歩行ロボットだって早稲田大学で作られたから"WAseda roBOT"でWABOTだしね」

「そうなの?」

 なんとまあ、ロボット工学者の方々のセンスときたら……。

「でもお父さん、こんな大事なもの借りて来ちゃっていいの?ていうか、わたし、壊しちゃったらどうしよう」

「ああ、その点は大丈夫だよ」

 父さんは、そんなことを気にしていたのか、という様子で答えた。

「ミサキがアイスポックスを壊すなんてできやしないよ。フレームはチタン製だし、表面のプラスチックっぽく見えるところもボロン繊維強化プラスチックだからね。ビルから飛び降りでもしない限りビクともしない」

「わたしの方がもたないよ!」

「それに実をいうとね、アイスポックスは最新型というわけでもないんだ。いまはもう次のタイプの開発が始まってる。だからアイスポックスはデータ収集用っていうのかな。それで所外使用の許可を取った。ていうか、出した」

「出した?」

「うん。父さん、研究所では意外と偉いんだぞ。『人工知能・人工身体相関機能性研究開発室室長』だし」

 なんだかむずかしそうな名前の肩書きなのはわかったけど、それがどれくらい偉いのかは皆目見当もつかなかった。だけど、アイスポックスの使用許可を自分で出せるくらいには偉いんだろう。

 それでも、無理はしたに違いない。おそらく何枚も書類を書いただろうし、反対する人を説得もしたはずだ。

 きっと、わたしのためなんだろうな。

 父さんは人工知能の教育のためっていってるけど、そんなの研究所内でいくらでもできるはずだ。

 わたしが、家に籠もりきりだから。わたしが、暗い顔をしているから。わたしが、わたしが、わたしが……。

「ねえ、お父さん、やっぱりアイスポックスって名前は変えた方がいいと思う」

 ともすると引きずり込まれそうになる暗い考えを振り払うように、わたしはいった。

「え、そう?」

「うん、あんまりその、よくないと思う」

「そうかな。ポックスっていうのが、けっこうかわいくて気に入ってるんだけど」

「そのポックスっていうのが、いちばんの問題なんだけど」

「そう?」

「うん、お父さん、ポックスって意味調べた?」

「いや、スペルの中から文字を拾い出しただけだから」

 そうか、つまりは音だけで作ったキラキラネームか。

「あのね、お父さん。ポックスって痘、天然痘とか水痘とかの痘のことだよ。病気の名前」

「えっ、そうなの?」

 間違いない。スペルもバッチリ"pox"。このあいだ英語の授業で習ったばかりだ。

「うん、だからアイスポックスっていうと、直訳すると氷痘?そんな病気あるのか知らないけど」

「それは、まずいな」

 うん、たいへんまずいと思う。

「それ、どこかで発表したりはしてないよね?」

「公式には、まだ」

「公式には?」

「研究所内ではそう呼んでるけど」そこまでいって、父さんはなにかに思いあたったように目を見開いた。

「そうか、それであのとき……」

「どうしたの?」

「いや、フェルナンドが変な顔してると思ったんだ。でもあいつ、そういうときなにもいわないんだよ。いつもご陽気スペイン系アメリカ人のくせに、妙に空気を読むところがあるんだよな」

 スペイン系の人がご陽気だというのはひどい偏見だと思うけど、一緒に仕事をしていてそう思うのなら確かなんだろう。だけど上司が人工知能におかしな名前を付けてしまったときの彼の気持ちは察するに余りある。

 だってアメリカの研究室で、人工知能に「あんぽんたん」とか「おたんこなす」とかって名前付けられちゃったら、わたしだったら苦笑いしか出てこない。

「じゃあミサキ、ついでに名前付けてよ」

「え?」

「アイスポックスのままじゃまずいし、かといって名前がないのも不便でしょ。なにかいい名前、考えてあげて」

 その日から、わたしとアイスポックス(仮)の共同生活が始まった。

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