29 告白
「ねえ、楽しかった?」
リナはじっとわたしを見上げたまま、目を見開いた。
その目から、どう答えればいいのだろうと考えをめぐらせているのが伝わってきた。なんと答えれば満足してもらえるのだろう?嘘でもなんでも、どうにかしてこの場をやり過ごす方法はないものかと、必死に考えているのがわかった。
なんといっても、この空間を維持しているのはわたしなのだ。機嫌を損ねて、瓦礫を支えることを放棄されでもしたら、生きてザビエル山を下りることはきっとできない。
「うん、楽しかった……」
消え入りそうな声で、リナはいった。
答えるまで、ほんの数秒間のことだったと思う。そのあいだに、リナは嘘や言い逃れで切り抜けることはできないという結論に達したのだろう。
だからわたしも、正直に応えた。
「わたしもね、いますっごく楽しい」
これがわたしの気持ちなのかと思うと、吐き気がする思いだった。わたしは自分をいじめた人間に反省や更生を求めるのではなく、チャンスがあれば復讐を願うさもしい人間だった。
「ごめんなさい……」
リナのその言葉に応えなかったのは、決して無視をしたわけではなかった。わたしは自分の卑しさに直面して、言葉を失っていたのだ。
だけどリナは、黙っているわたしを見て言葉を継いだ。
「最初は、ちょっと意地悪をするだけのつもりだったの。からかうくらいのつもりで……。でもやり始めたら、止まらなくなっちゃって……」
吹き込んだ雨で身体が冷えたからなのか、それともわたしに命を握られている恐怖からか、その声は震えていた。
「みんなでやり始めたら、ゲームみたいになっちゃって、『こんなことした』『あんなことした』っていいあってたら、どんどんエスカレートしちゃって……」
それは、誰かの陰口をたたいているときによくあることだった。「あの子ってこうだよね」「このあいだこんなこといってたよ」些細な出来事の糾弾から始まり、大げさになり、尾ひれがついて、やがてありもしないことにまでエスカレートする。
リナたちのイジメも同じだった。
「楽しくなっちゃった?」
わたしはリナを、そしてその横で身を寄せ合っている子たちを順に睨みつけていった。三人は瓦礫の隙間に隠れてしまおうとしているように、小さく小さくかたまっていた。
わたしの背中で、瓦礫が軋む音を立てた。意図したわけではないけれど、その音はリナたちにさらなる恐怖感を与え、誰もが目を見開いた。
嘘をいえば、殺される。本当のことをいっても、殺される。
そう思ったのかも知れない。でもその場合には、わたしも一緒に潰されて命を落とすことになる。もしかしたら、覆いかぶさっているわたしの様子は彼女たちからはそんなふうに見えたのかも知れない。
きっとわたしは、それくらいひどい顔をしていたのだろう。
「なんで、あんなことしたの?」
わたしの背中には、ついさっきまで神社の拝殿だったものの残骸が微妙なバランスで乗っかっている。なにかのきっかけでそれが崩れれば、わたしたちはひとたまりもなく押し潰されてしまうだろう。それはわたしの意図とは関係のないことだった。
誰の意図とも関係なく、突然訪れるかも知れない終わり。
だからせめて、聞いておきたかった。わたしには理解できなかったその理由を。
「それは……」
リナが唇を噛んだ。その目が、チラリと横でうずくまる女の子たちを見た。
わたしの背中で、瓦礫がミシリと音を立てた。身体も、何センチか沈んだかも知れない。だけどそれは、意図的にやったのではないと、決してリナたちを脅そうとしたのではないと信じたい。
リナの顔が、ほんの少し近くなった。その頬には、小さなそばかすがいくつも散っていた。
リナの顔にそばかすがあるなんて、学校で会っていた頃には気付かなかった。それくらい、リナは完璧な存在だった。そう見えていた。
だからその存在にいじめられて、わたしはすべてを否定された気がした。だって、神さまに断罪されて反論できる人間がいる?
でもいま目の前にいるリナは違った。おびえて、震えて、友だちの目を気にしている普通の女の子に見えた。
わたしはその普通の女の子を威圧するように迫った。
「ねえ、どうして?」
身体中の筋肉に力を込めているせいで、わたしの声は荒くなった。その声に、リナの身が縮む。
もう一度横目で女の子たちを見て、それからうつむきがちにリナはいった。
「わたし、パパのことが嫌いで……」
誰の?と思った。わたしの父さんのこと?
「パパのことが、恥ずかしかったの。わたしのパパ、JAXAでハレー彗星の探査機を作ったっていったでしょう?あれ、嘘なの。JAXAで働いてるのは本当なんだけど、開発者でもなんでもなくて、ただの事務員なの。書類仕事したり、会議の準備をしたり、そういうの。
そんなパパが、嫌で嫌で、恥ずかしくて仕方なかった。だって、そんなすごいところで働いてるのに、自分のパパだけがただの事務要員だなんて……。
どうせバレっこないって思ったの。みんなはそんなこと知らないし、学校の書類にはJAXAが勤務先になってるし。でもみんなの前で発表したら、ミサキが『わたしのお父さんと一緒だ』なんていうから、わたしあせっちゃって……。
絶対にバレると思った。もう終わりだと思った。ミサキと話をしたら、わたしがいってることが嘘だってわかってしまうって。だからなんとかして、ミサキを遠ざけたかった。
できるならわたしからだけではなく、他のみんなからも遠ざけて、誰も話を聞いてくれないようにしてしまいたかった……。だからわたしは、ミサキにひどいことをしたの」
最後の方はもう、涙声だった。
それを聞いている他の子たちも泣いていた。自分たちが加わっていたイジメの発端があまりにも小さなプライドに端を発するものだったからなのか、それとももう許してもらえるはずがないと絶望したからなのか、それはわからない。
だけど彼女たちは泣いていた。
わたしも泣いていた。
わたしは、こんなくだらないことのためにいじめられていたのか。こんなくだらないことで始まったイジメのせいで、人生を棒に振りかけたのか。
だけどそのくだらなさをわたしは否定することはできなかった。だってわたしも、同じくらいくだらない自尊心のために危険を承知で、いいえ、危険だからこそここに来たのだから。
それでも、あのイジメをなかったことにはできなかった。わかったふりですべてを許すなんてことは、ちっぽけなわたしにはできなかった。
こみ上げてくる感情の正体は、わたし自身にもわからなかった。それは憤りかも知れなかったし、悲しみなのかも知れなかった。哀れみなのか、さげすみなのかも知れなかった。
ただひとつ、そこに自分自身に対する怒りがあることだけは確かだった。
よくわかりもしないで、わかろうともしないで、わたしはわたしの人生を台無しにしようとしていた。
ばかばかしい!
相手がくだらない理由で文句を付けてくるなら、対峙するべきだった。理由がわからないなら、真正面から聞けばよかった。自分がどうすればいいかなんて、それから決めればよかった。
なのにわたしは、理由もわからないままに真っ先に逃げ出して、自分はかわいそうな人間だと決めつけてしまった。そんなつまらない人生を、このあと何十年も続けるところだった。
「ミサキに、謝ろうとしたの」リナは続けた。「電話もかけたし、ショッピングモールで会ったときには追いかけて謝ろうとしたの。でもつながらないし、逃げられちゃうし……。本当に、ごめんなさい……」
最後の方は、もう言葉になっていなかった。レナは肩で息をしながら、嗚咽をもらしていた。
「わたし、二学期から学校に行くから」
知らず知らずのうちに、言葉が出ていた。
「許してあげるとか、仲良くしようなんていわない。放っておいてくれればいいし、気に入らないなら無視してくれればいい。だけどまたわたしをいじめるようなことがあったら、絶対に許さない。どんな手を使ってでも、反撃する。あなたたちを追い詰める。一生かけてでも償わせる。
わたしを殺しても、無駄だから。メモも、音声も、動画も残す。それを見つけた人が、必ずあなたたちの仕業だってわかるようにしておく。
だからわたしのことは、放っておいて」
わたしはわたしの中で荒れ狂う感情に翻弄されて、ひと息にいった。そしてその感情はそのまま、涙になってわたしの目からあふれ出た。
リナたちから、返事はなかった。だけど顔をくしゃくしゃにして泣いている様子が、なによりの答えだった。




