26 嵐
こんなとき、普段は静かで居心地のいいこの環境が仇になる。父さんが、おそらくはわたしのために見晴らしを優先して建てたこの家は、閑静なのとひきかえにまわりに家がなかった。
この時代に、どことも連絡が取れないというのは果てしなく不安だった。
リナも同じなのかな。
もしかしてリナも、いまのわたしと同じように誰とも連絡が取れずにいるとしたら?どこかでその子たちと孤立しているとしたら?
そんなの、知らない。
リナがどこにいようが、なにをしていようが、どんな思いをしていようが、わたしには関係ない。
わたしはリナとの関係を絶った。でもそれはリナが仕掛けたこと、リナが望んだことだ。
今日、リナが誰とも連絡が取れなくなって、どこかで孤立しているとしたって、それだってリナが望んだことだ。みんなの心配をよそに、どうせどこかで楽しくやってるに決まってる。雨が上がったら、リナたちはケロッとした顔で帰ってきて、大人たちが安心したぶんだけ怒られればいいんだ。
だけど、と思った。
もし本当にリナたちがなにかトラブルに巻き込まれていたとしたら?そのトラブルは天気だけとは限らないんじゃ?
あまりの雨風に、わたしはすっかり天気のことだけを心配していたけれど、もしかしたら他のトラブルも考えられるんじゃないだろうか?
事件や事故とか、なんらかの犯罪に……。
そんなふうに思ってしまうのは、きっとこの暗闇のせいだ。うっすらと見える、窓の外で揺れる木々のシルエットのせいだ。
だけどリナがわたしをいじめたからなにかのトラブルに巻き込まれればいいとは、どうしても思えなかった。
リナがわたしをいじめたことと、彼女に悪いことが起こることとのあいだには、なんの関係もない。わたしが交通事故で足が動かなくなったのがわたしがなにか悪いことをしたせいではないのと同じように、リナに悪いことが起こるのがわたしをいじめたせいだとはどうしても思いたくなかった。
わたしが彼女のことを恨むのは、神さま、どうか許して下さい。わたしは右の頬を叩かれたら左の頬を差し出せるほど、いい子じゃありません。誰かに頬を叩かれたら、相手の頬を叩き返したいと思ってしまいます。
でもそれはわたしにだけ許されることで、そうでなければ法律かなにかにだけ許されることで、巡り巡って悪いことが起こることが起こってほしいとは思わなかった。
だからわたしは、暗闇の中で、リナのことを恨みながら、嫌いながら、怒りながら、彼女のことを心配していた。
「ねえ、ハンス」わたしは聞いた。「リナ、どこに行っちゃったんだと思う?」
「リナというのは、ショッピングモールでミサキが直面することを回避した人物のことですね?」
ハンスの言葉は、わたしの胸をえぐるように響いた。それが事実であるだけに。わたしが逃げ出した現実であるだけに。
「うん、そう」
「わたしにはリナがどこに行ったのかはわかりません」
返事はにべもなかった。
「リナが花火を見に行くといっていたこと、何人かと一緒であること、連絡が取れなくなっていること以外には情報がありません。そのことからどこにいるかを正確に推測することは不可能です」
さすがのハンスでも、そこまではできないか。ハンスは優れた人工知能だし、もしかしたら、いやたぶん本当に自意識を、心を持っている。だけどそれはハンスがなんでもかんでもできるということを意味していない。
ましてや、名探偵よろしく推理することなんて……。
「正確に推測することはできませんが、信頼性の低い憶測であれば可能です」
「え?」
わたしの驚きは、声になって口からこぼれ出た。
ハンスが、「わかりません」と答えるのは予期していたことだった。それどころか、息を吸ったあとに吐き出すように、ごくあたりまえのことだと思っていた。
ところがハンスは、あまりにも予想外のことをいった。精緻と無謬を旨とする人工知能が「よくはわからないけど」といっているのだ。
「どこに行ったか、わかるの?」
「どこに行ったかまではわかりませんが、場所の絞り込みは可能です」
「絞り込んで」
「リナが任意に連絡を絶っていないこと、事故などの不測の事態によってスマートホンが使用不能になっていないことが前提ですが」と、これまた人工知能らしからぬ前置きをして、ハンスはいった。「現在、この家周辺は落雷によって携帯電話の電波が届かない状態になっていますが、リナと連絡が取れなくなったのはそれよりはるか前のことです。複数人で行動していることから、スマートホンの作動不良ではなく、携帯電話の電波を受信できないエリアにいることが考えられます」
「圏外?じゃあ、地下駐車場とか?」
いまどきどんな屋内にいたって携帯電話の電波くらいは届く。ましてや商業施設の中なら自前のWi-Fiが飛んでいるはずだ。街中で電波が届かない場所があるとすれば、地下駐車場の中くらいだろう。研究所の一部が電波暗室になっていると、父さんに聞いたことはあるけど。
「駐車場では、花火が見られません」
それはそうか。雨を避けるためにどこかに入ったとしても、ずっとそこにいるとは考えづらい。だとしたら、花火が見えて電波が届かない場所?そんな文明に見捨てられたような場所なんていったいどこに……。
「ザビエル神社!」
「その可能性はあります」
ハンスは人工知能らしからぬ憶測を展開したくせに、一方で人工知能らしく断定はしなかった。
確かに、圏外で花火が見える場所は他にもあるかも知れない。だけど、リナたちはそこから帰って来ていない。それが帰って来ていないんじゃなくて、帰って来られないんだとしたら?電波が届くところまで移動できないんだとしたら?
外ではまるで誰かが大きな太鼓を打ち鳴らしているかのようにゴロゴロと雷鳴が響き続けていた。そこに混じる稲光に照らし出された山並みが、不気味にそびえて見えた。
この雨では、一度登ったザビエル山から降りて来ることは不可能だろう。
普通の人の足ならば。
だけどわたしの足は、普通の人とは違う。わたしの足は、ハンスという人工知能に支えられた強化外骨格、パワード・エクソスケルトンなのだ。
一瞬、ザビエル神社まで様子を見に行くという考えが頭をよぎった。
でも、そんな義理はない。リナがどこでどうしていようが、雨に打たれていようが、身動きが取れなかろうが、スマホが圏外で心細い思いをしていようが、わたしの知ったことじゃない。
わたしは、悪くない。
こうなったのはリナの行動のせいだし、わたしの心がリナを探しに行くのを拒んでいるのだってリナのせいだ。
天気が急変したのだってわたしのせいじゃないし、ザビエル神社が圏外なのだって、今日が花火大会なのだってわたしのせいじゃない。
わたしは、なんにも悪くない。
ユイちゃんに連絡したかった。「リナ、もしかしたらザビエル神社にいるんじゃない?」そういってあとのことは誰かに託してしまいたかった。
そう願いながら確認したスマホの画面には、まだ【圏外】の文字が表示されていた。
「ねえハンス、リナたちザビエル神社にいると思う?」
「その可能性は、他の場所に比べて特別に高いとはいえません」
間髪を入れずに、ハンスはいった。
「もしいなかったらいなかったで、探す場所がひとつ減るよね?」
「あの山頂まで登って確認するのは、効率的ではありません。また、危険でもあります。雨が上がるのを待つべきです」
それを聞いて、わたしの頭にあの朽ちかけたザビエル神社の様子が浮かんだ。もしリナたちが山頂にいるなら、雨風をしのげるのは神社の拝殿くらいしかないだろう。だけどこの強風と大雨とを、あの廃墟寸前の神社が耐えられるだろうか?
「そうだね……」
「リナが神社で立ち往生しているとして、ミサキが行っても救助できる見込みはありません。わたしのサポートでミサキを神社まで往復させることは可能かも知れませんが、別の人間を介助しながら戻って来ることはおそらく不可能です。インターネット接続の回復を待って、リナが神社にいる可能性を捜索担当者に伝えるべきです」
「わかったってば!」
自分でもビックリするくらい大きな声が出た。その声に気圧されたかのように、一瞬雨が弱まり、ハンスも黙り込んだ。
わかっているのよ、そんなことは。
でも、なんだかモヤモヤするの。頭のどこかが、ゾワゾワするような、ザラザラするような、なんだか落ち着かない気がするの。
たぶん、リナはザビエル神社になんかいない。きっとどこか、雨風のあたらない場所でぬくぬくしてる。きっとスムージーかなにかを飲みながら、「雨、超ヤバかったよね」なんていって笑ってる。事がすんで怒られても、「ごめんなさい」なんていいながら舌を出してニヤリとするんだ。
それがリナだった。わたしだって、そんなリナに憧れていた。
そのリナにいじめられて、わたしはパニックになった。どうしていいかわからなかった。だから「どうして?」って聞くこともなく、リナから、学校から逃げ出した。
ショッピングモールでだって、やっぱりわたしは逃げ出した。もしかしたら、大げんかになっていたかも知れない。つかみ合いに、取っ組み合いになっていたかも知れない。リナは本当に謝ろうとしていたのかも知れない。もっといじめてやろうとしていたのかも知れない。だけどわたしはどちらの結末にもたどり着くのが怖くて、ハンスの力を借りて逃げ出した。
リナが神社にいないならそれでいい。いやむしろ、いない方がいい。それならわたしはリナという存在から逃げ出さずに、立ち向かったという事実だけが残るのだから。
「ザビエル神社に行く」
自分に言い聞かせるようにいって、わたしは部屋に上がりレインコートを羽織った。




