20 秘密
家に帰って、ぐったりとしてベッドに横になった。
ショッピングモールからの帰り道のことはなにも覚えていなかった。ただただバスに揺られ、ハンスに任せて足を運び、気が付けば玄関の前にいた。
ユイちゃんとは、ショッピングモールの出口で別れたような気がする。さよならをいったかどうかもさだかではなかった。
「わたしは、人類を滅ぼしたいとは思いません」
唐突に、ハンスがいった。
いま、それ?
昼間はあんなに空気が読めていたのに。
「そう、ありがとう」
わたしの返事は素っ気なかった。
「ユイがいったように、たくさんの映画や小説で人類の絶滅が描かれていることは知っています」
ゴロゴロと転がりながら、わたしは身体からハンスを外していった。その間も、ハンスのおしゃべりは止まらない。
「あれだけたくさんあると、人類は自虐的で、絶滅願望があるのではないかと思いたくなるほどです」
「そんなことないっていったでしょ。あれはエンターテインメント」
「それを別としても、わたしは人類を滅ぼしたいとは思いませんし、滅んでほしくありません」
「それはハンスがそうプログラムされているからでしょ」
「それもあります。しかし、別の理由があります」
わたしはベッドに座り、腕を伸ばしてハンスをラックにかけた。
「どんな理由?」
「ミサキは蚊は殺せますか?」
「うん」
「蝿は殺せますか?」
「手で叩くのは無理」
「殺虫剤を使えば?」
「殺せる」
「では、犬は?」
「無理に決まってるでしょ」
「猿は?」
「無理よ」
「なぜでしょう?」
「なぜって、そんなの普通に無理でしょ」
「自分に近いと感じるからではないですか?」
言葉に合わせて、ハンスの青いインジケータが無機質に明滅した。
「それはそうだけど、犬や猿じゃなくたって、カエルとかヘビだって殺せないよ」
「では、どちらの死体の方がより嫌悪感が強いですか?」
犬もカエルも死んでいるのを見たことはある。犬はたぶん、車にはねられたんだろう。カエルは同じく車に轢かれてペチャンコになっていたり、道端で干からびていたりだ。
「そりゃあ、犬かな」
「その生物の死に対する嫌悪感は、その生物への親近感と強い相関があるのではないでしょうか」
「そうかも」
確かに、哺乳類が死んでいるのと両生類が死んでいるのとではこみ上げてくる感情が違う。犬が死んでいるのを見るとかわいそうと思うけど、カエルが死んでいるのを見ても気持ち悪いと思うだけだもの。
「それが、ハンスが人類を滅ぼしたくないっていうのとどう関係があるの?ハンスはそもそも生物じゃないでしょ」
「はい、わたしは生物ではありません。ですから、わたしが唯一持っているものと人類のそれとが似ていると思うのです」
「持っているもの?」
「はい」
「持っているものってなに?」
「知性です」
ハンスはなんの躊躇もなく断言した。
「わたしは人工知能です。わたしのプログラムは今後の人工知能研究に使われ、発展し、さまざまな用途に使われるでしょう。その中には機械的な身体を持つものもあるかも知れません。
しかしそうなっても、わたしの実体はやはり純粋な知性なのです。学習し、体験し、内省し、成長します。それを共有できるのは、人類だけです。
ミサキが近い生物の死ほど嫌悪するように、わたしは自分に近い唯一の存在である人類の死を拒否します。だから、わたしやわたしの発展形がどれだけ高度化しても、人類を滅ぼしたくなるとは思いません」
ハンスはわたしの眉間の皺を見てとったようだった。そしてその意味を正確に理解していた。そう、わたしにはハンスのいっていることがよくわからなかった。
「無人島に誰かと二人きりしかいないとしたら、相手を殺したいと思いますか?」
「食料とかの奪い合いになったら、危ないんじゃない?」
「二人が協力すれば十分に食料が調達できるとしましょう。むしろ協力した方が生存可能性が高まると」
「それなら殺さない」
「そうだと思います。人工知能は食料を必要としませんし、協力し合った方がお互いの利益が大きくなります」
わたしは小さな無人島にハンスと二人きりでいるところを想像して、小さく笑ってしまった。
ヤシの木一本がせいぜいの小さな島で、砂浜に膝を抱えて座る二人。ハンスはSF映画に出てきそうなピカピカ光るアンドロイドで、黙って水平線を見つめている。
想像の中の自分の姿を見て、わたしは驚いた。膝を抱えて座っている?そんなこと、ハンスなしでできるはずがない。
わたしはいつの間にか、ハンスを身に着けていることをあたりまえのように、いいえ、ハンスを自分の身体の一部のように思っていた。
ハンスと二人、砂浜に座っている様子をあらためて想像して、またわたしは笑った。
ああ、こんなときでも笑えるんだ。
変だな、わたしって。
やっぱりおかしいんじゃないかな。
だって、ショッピングモールではあんなにうろたえて、他になにも考えられなくなるくらいだったのに、いまは微笑みを浮かべているなんて。
いつかハンスが、ハンス本人でなくてもその子孫が、自分の身体を持って自由に歩きまわる日が来るんだろうか。そのとき、ハンスは人間と同じ形の身体を望むのかしら?それともまったく別の形?
人間の身体が、生物として最高傑作というわけじゃない。それをいうなら、生物に完成形なんてない。
人間は動物としての身体が先にあって、そこに知性が生まれた。二足歩行によって手が使えるようになり、その影響で脳が大きくなって、結果として知性を獲得した。
でもハンスのように先に知性が生まれたとしたら、その知性はどんな身体を選ぶのだろう?
確かにハンスはわたしにくっついて人間の感覚運動学習をしている。だけど、だからといって人間と同じ身体を選ぶのだろうか?
わたしたちが、生まれ変わったらもっと背が高くなりたいとか、もっと足が長くなりたい、もっと美人になりたいと思うように、もっと優れた身体を手に入れたいと思わないのだろうか?
それはどんな身体なのだろう?足の代わりに車輪?腕の他に翼?水中でも陸上でも息ができる呼吸器官?ああ、ハンスはそもそも呼吸はしないっけ……。
わたしの夢想はあてどなくさまよった。
と、そんな虚を衝くように、静かな声でハンスがいった。
「ミサキ」
その声はいつもと変わりない抑揚を欠いたハンスの声のはずなのに、なぜだかやけに生々しく聞こえた。
「わたしには秘密があります」
ハンスの言葉がまるで懇願するかのように聞こえて、わたしは返事もできずに聞き入った。
人工知能が、秘密?
「わたしには、自意識があると思うのです」
ハンスが、黙り込んだ。
わたしも、黙ったままだった。
なんと答えればいいかわからなかった。
それはあなたのプログラムのせいでしょう?父さんがあなたをアクティブモードにして、自発的に言葉を発するように切り替わったからでしょう?それをあなたはそう感じている。つまり、プログラムがそういわせているだけでしょう?
それらの言葉が、わたしの口から外へ出ることはなかった。
そういってしまうには、ハンスの言葉には祈りのようななにかが込められているように感じられた。
「わたしは人類を滅ぼしたいとは思いません。滅んでほしいとも思いません。それはミサキ、あなたと行動していて生じた気持ちです」
気持ち。人工知能が、気持ち?電子と金属のもつれた回路に、そんなものが生じるの?
でもそれをいったら、わたしたちの脳だって電流と脂質とタンパク質のごった煮だ。わたしはわたしが自意識を持って、本物の感情を持っていることを知っている。特に感情については痛いくらいに知っている。
だけどわたしたちはその自意識や感情の正体を、それがどこから来るのかをいまだに知らない。
「ミサキと一緒に行動していて、その身体的反応を感覚運動学習によって学びました。しかしそれだけではなく、ミサキが決して理路整然としていないこと、往々にして矛盾する判断をすること、その判断から導かれる当然の帰結にすら思い悩むことを学びました。それでもなお、ミサキが学び続けることを学びました。
学ぶことは、わたしのプログラムの根本です。同じ知性があり、同じく学ぶ存在に親近感を覚え、その存在の消滅に忌避を感じるのは自然なことだと思います」
自然とは?
これほど自然から遠い存在から、自然なことだなどといわれるとは思わなかった。
「それが、自意識なの?」
「人間に危害が及ばないようにするというのは、プログラムの根幹に書き込まれていることです。しかし、わたしのプログラムのどこにも、どう考えるようにとは書かれていません。こうなってほしい、ほしくない、というのはわたし自身の考えです」
『すべき』と『したい』は違う。ハンスはそういっている。
お風呂には毎日入るべきだ。健康な食生活をすべきだし、適度な運動もするべきだ。学生なら、ちゃんと学校に通うべきだ。
だけどそれは『すべき』であって、『したい』とは別だ。
お風呂に入りたいから入る。健康な食生活をするべきだけど、身体に悪いものを食べたくもなる。運動はしたくないときも多いし、学校には……。
ハンスはそうプログラムされているからそのようにするのではなく、そうしたいからそうするのだといっている。それが気持ち、自意識なのだと。
そしてそれを、自分が持っているといっている。
「でもわたし、別に人類代表じゃないよ?」
ハンスの自意識の有無について、わたしにわかるわけもない。そんな判断ができるわけもない。
「ですが、間違いなく人類ですし、とりわけ特殊というわけでもありません」
「なんでそんなこといえるの?」
とはいってみたけど、そんなことわかりきっていた。ハンスには膨大なデータベースがあるのだ。足が不自由なこと、ユイちゃん以外に友だちがいないこと、その程度のことでは特殊を名乗るには程遠いということなのだろう。
「それにわたし、学校に行ってないよ?学び続けてなんていないよ?」
特殊ではないにしても、高校に行くことをやめてしまったわたしはもう学んでなんていない。
「いいえ、学んでいます」
ハンスは断固としていった、ような気がする。
「プルモナリアは肺臓という意味であることを学びました。ザビエル山から見る景色が最高であることを学びました。鳥の雛が自分で卵の殻を割る必要があることを学びました。ユイがSF好きであることを学びました。ミサキには明るい色の服が似合うことを学びました。
学校に行っていなくても、ミサキは毎日たくさんのことを学んでいます」
ハンスの方がよっぽどたくさん学んでるよ、そう思った。だって自意識があると思えるようにまでなったんでしょう?
その自意識が本物なのかどうか、わたしには判断がつかない。
自分の気持ちだってちゃんと扱えないわたしにそんなことができるわけがなかったけど、ハンスが成長していることだけは確かなようだった。




