19 不意打ち
結局、わたしはユイちゃんが選び、ハンスが気を遣って「似合う」といってくれた服を買い、その服を着たまま店を出た。
「ハンス、もし誰かにこの服似合わないっていわれたら、あなたのフレームに落書きするから」
「なぜですか?」
「発言には責任がともなうからよ」
わざと意地悪くいってやった。
「大丈夫だよ。よく似合ってるから」
ユイちゃんが慌ててフォローにまわった。
果たしてそれはわたしのためにいってくれているのか、それともハンスのためにいってあげているのか。
楽しかった。
学校に行かなくなってからひと月あまり、わたしにとって最高に楽しい一日だった。
ただのショッピング、ただの会話、ただのお茶。ただそれだけのことが、誰かと関わることに背を向けていたわたしにとって、どれだけ楽しいことだったのかを思い出させてくれた。
そう、その日はとても、とても楽しかった。
リナに会うまでは。
アパレルショップを出たわたしたちは、そのあともショッピングモール内の散策を楽しんだ。他にもいくつかの店をまわって、買い物をしたり、食事をしたり。なんだかこのまま以前の生活に戻れるような気がした。それくらい楽しい一日だった。
そのショッピングモールは二階三階部分がO字型をしていて、天井は磨りガラスの屋根になっており、外光がふんだんに取り入れられる設計になっていた。
梅雨明け宣言前から今年はちっとも雨が降っておらず、今日もショッピングモール内は明るい日差しに満たされていた。
その柔らかな光の中を、子どもが一人走って行った。目で追うと、行く先には本屋があって、どうやらその子はお父さんお母さんの手を振りほどいて絵本を見に走り出したらしい。
その本屋の店先、雑誌の並ぶコーナーにリナがいた。
制服姿ではないリナを見るのは久しぶりだったけれど、見間違いようがない。彼女は以前と変わらず溌剌として、魅力的に見えた。
ただその魅力は、わたしには凶器だった。
彼女の姿を見たわたしは、ショッピングモールから光が失われていくように感じた。急に空が曇ってしまったかのようだった。
リナはまだ気付いていない。
わたしはクルリと方向転換すると、いま来た道を足早に戻り始めた。
「ミサキちゃん?」
いきなり進路を変えたわたしに、ユイちゃんも驚いている。そんなユイちゃんに構わず、わたしは歩く速度を上げた。
チラリと振り向くと、目を丸くしているリナの姿が見えた。その唇が、「ミサキ」と動いたような気がした。
「ハンス、もっと速く歩いて」
口に出していわなくても、ハンスはわたしの意図を汲んで動いてくれる。だけどこのときのわたしは、あえてそれを言葉にしたかった。自分を守るおまじないのように。
「もっと速く」
振り向いたわたしの目線を追ったのか、ユイちゃんもリナに気付いたようだった。
「ねえ、あそこにいたのって……」
その声が聞こえないふりをして、わたしは歩き続けた。
ハンスは黙ってわたしの意志に、わたしの身体の動きにしたがう。その速さはほとんど小走りに近い。
ユイちゃんはそんなわたしにはぐれまいと必死についてくる。リナもわたしたちのあとを追おうと足を踏み出すけれど、人波にはばまれて思うようには進めない。その間にわたしはデタラメに、ジグサグに進んでリナの目を逃れようとする。
迂闊だった。家を出れば、街に来れば、リナとだって鉢合わせする可能性があることくらいわかっていたはずなのに。
そんな可能性に思いあたらないくらいリナの存在は学校と強く結びついていたか、さもなければそれくらいわたしの頭はポンコツだったのだ。
どうしようもない、本当にどうしようもない。
どうしようもないわたしはユイちゃんを背後に引き連れてエスカレーターに乗った。二階に上がる途中で振り返ると、リナがわたしたちを探してキョロキョロしているのが見えた。
わたしはどうしようもない。だけどリナだって、なにもこんなところでまでわたしをつけ狙わなくたっていいのに。
もうわたしはあなたに迷惑なんてかけていない。初めからどんな迷惑をかけていたのかわからなかったけれど、もう学校に行くのもやめて、あなたの目に映ることをやめて、あなたの世界に存在することをやめたのに。
たまたままた目に入ったからといって、わたしへの憎しみを燃え上がらせるのはやめて。つまずいた小石をいつまでも蹴り続けるのはやめて!
「ミサキちゃん!」
ユイちゃんの声で、わたしは我に返った。
気が付くと、わたしは二階のトイレの洗面台に両手をついていた。顔を上げると、鏡の中からユイちゃんが心配そうな顔で見つめていた。
「ミサキちゃん……」
鏡に映るわたしは、肩で息をしていた。
「あれ、リナちゃんだったよね……?」
ユイちゃんがおずおずといった。
「そうだった?」
自分でもわかるうわずった声で、引きつった笑顔でわたしはいった。
空気が読めるからなのか、それともこんなときにいう言葉をまだ持っていないからなのか、ハンスは押し黙ったままだった。
ああ、ハンスにこんなところは見せたくなかったな。人類を滅ぼす理由などないといってくれたハンスに。
本当に人類にそれだけの価値があるのだろうか?人類はわけもなく争うし、他人のことなど考えずに資源を奪い合うし、子孫のことなどお構いなしに自然を破壊するし、理由もなく人をいじめるし、嫌なことからこうして逃げるし。それになにより、たかだか高二の小娘に降りかかった些細な不幸をさも人類を巻き込む大ごとのように考えるほど自己中心的だし。
ああ、そんなのわたしだけなのかも知れない。こんなふうに自分中心にしか考えられないから、リナにだって嫌われてしまうのかも知れない。
そんなことがグルグルと頭の中をめぐっていた。
「ミサキちゃん、あのね……」
鏡の中から、戸惑うようにユイちゃんがいった。
「リナちゃん、ミサキちゃんに謝りたいっていってたの」
その瞬間、グルグルとめぐっていたわたしの頭はあらぬ方向にまわり始めた。
まさかユイちゃん、それを狙って今日わたしをここに連れ出したの?最初からリナと示し合わせて、ここでわたしと鉢合わせするように?
狭いはずのトイレが、急に壁のない空間に思えた。
ユイちゃん、わたしをだましたの?
わたしは頭を振って、そんな考えを振り払った。ユイちゃんがそんなことするはずがない。それはすべて、卑屈なわたしの頭が作り出した妄想だ。
「ミサキちゃんが学校に来なくなって、リナちゃんすごく落ち込んで、ミサキちゃんに連絡しようとしたけどつながらないって話してるのを聞いたの」
わたしは学校に行かなくなってしばらくして、スマホの連絡先からクラスメートのほとんどを消してしまった。だから当然、リナから連絡があっても《登録されていない番号からの着信》になるし、そんな着信には出るはずがない。
「だからさっきも、ミサキちゃんに謝りたかったんじゃないかな……」
ユイちゃんはまるで自分が悪いことをしてしまったように、申し訳なさそうにいった。
「うん、わかってる。大丈夫」
なにがわかってるのかも、なにが大丈夫なのかも、まったくわからない返事をわたしはした。
もしかしたら、ユイちゃんのいっていることは本当なのかも知れない。リナは本当にわたしにすまないと思って、謝ろうとしているのかも知れない。
でも、いまはまだダメだ。まだダメだった。
ユイちゃんに誘われて、自分の殻を割るなどと息巻いていたのに。なんてだらしない、なんて情けない。
まだリナを許せないとか、そんな素振りは信じられないとか、そういうことじゃない。
わたしはまだ、学校から逃げ出した事実と真っ向から向き合う準備ができていなかった。
嫌なことから、ましてや明らかなイジメから逃げ出すのは、けっしてズルいことでも悪いことでもない。なんでもかんでもがんばればいいってものじゃない。
だけど、それでも、それまでなんの気なしに通っていた学校から、あたりまえに感じていた環境から飛び出してしまった後悔は、その不安は完全には拭い去ることはできていなかったし、これでよかったと納得するにはまだ時間が足りなかった。
さっきまでのSF好きの饒舌が影をひそめたユイちゃんと共に、まるで幽霊のように青ざめたわたしは息を殺すようにしてショッピングモールをあとにした。




