18 試着室
ユイちゃんと一緒にショッピングモールを見て歩くのは、ハンスにとってもわたしにとってもいい刺激になったと思う。
一度、ハンスとザビエル山に登ってはみたけれど、街で、人混みの中で、人間がどう行動するか、どう反応するかを体験するというのはハンスにとってはまたとない学習のはずだ。
わたしにとっても久しぶりの外出で、なによりユイちゃんの意外な一面が知れて楽しかった。わたしがユイちゃんに対して抱いていた文学少女というイメージは、もろくも崩れ去ることになったのだけれど。
でもそんなものはわたしが勝手に持っていただけの印象で、ユイちゃんが変わったわけじゃない。そうやって知っていくことでガラリと印象が変わってしまうことなんて、きっとよくあることなんだろう。
印象が変わったといえば、ユイちゃんの着ている服もそうだ。
ユイちゃんは意外とボーイッシュというか、スポーティな服が好きだった。しかもとってもセンスがよくて、長い黒髪に細身のパンツがよく似合っていた。わたしは勝手にワンピースとか、ロングのスカートばかり持っていそうと思っていたのだけれど。
ひるがえってわたしはといえば、長袖のプルオーバーシャツにどこのブランドとも知れないチノパンだ。
個人的な話をすれば、わたしは車椅子に乗っていて洒落た服を着ようとは思わなかったし、そもそもお洒落にあまり興味がなかった。だから服は着やすさ優先、脱ぎやすさ優先だ。
それならばスカートを、と多くの人はいう。だけど車椅子とスカートは実はたいへん相性が悪い。ロングのスカートはちょっとしたことですぐに車輪に巻き込まれてしまうし、なにより風で捲れる。
かといって短いスカートを履くと、知らないあいだに膝が独立運動を始めてしまう身としてはきわめて具合が悪い。というわけでファッションにあまり興味がなく、というより興味を持たないようにしてきたのだけれど、今日ここにきて状況は変わった。
わたしは二本足で立つことができるようになったのだ、少なくともハンスといるあいだは。いつハンスを研究所に返すことになるのかはわからないけど、それまでのあいだはファッションを楽しむことができる。
それに今日はユイちゃんがいる。
意外といっては失礼だけど、ユイちゃんがこんなにお洒落な子だとは思わなかった。そのユイちゃんが、「服、見に行こう」といってくれているのだ。乗らない手はない。
もしかしたら、わたしの格好を見るに見かねてそういってくれたのかも。それはそれでありがたいような、恥ずかしいような。
わたしたち二人は普通の女子高生らしく、足並みを揃えて——これもそれまでのわたしには不可能だったことだ——アパレルショップに入っていった。
そこはわたしにとって、よく知る未知の世界だった。
星座の知識がある人とない人とでは、同じ夜空を見上げていても見えているものがまるで違う。知らない人にとってはデタラメな星の配列が、知っている人にとっては意味を持ち、物語を語り出す。
わたしにとってはアパレルショップがそうだった。
わたしだって、服を買いに来ることはある。だけど、それはただ身体を覆う布を買いに来るだけであって、そこに装飾性や記号性など求めたことはなかった。
もちろん、そうしたものがあることは知っていた。だけど、そんなものはわたしとは無縁だった。無縁であることがあたりまえだった。あたりまえであってほしかった。
だってそうでなかったら、わたしには着たくても着られない服が、うらやむばかりでどうにもならないものがまた増えてしまうから。
きっとハンスがいなくなったら、わたしはまたかわいい服もお洒落な服も着なくなってしまうのだろう。だけどせめてハンスがいるあいだは、それに挑戦してみてもいい。
そう思って見るアパレルショップの服たちは、これまでとはまったく違って見えた。夜空でバラバラに輝いていた星が、連なって星座になるように。
「これなんかどうかな?」
そういってユイちゃんが持って来てくれた服は、わたしにはちょっと明る過ぎる色のシャツとロングのスカートだった。
「ち、ちょっと、派手じゃない?」
「そうかな?試しに着てみようよ」
中学生の妹がいるというユイちゃんは、すっかりお姉さんの顔でわたしを試着室に案内した。それもわたしがこれまで知らなかったユイちゃんの顔だ。
試着室で脱いだ服を床に置いていると、ハンスのモーター音がやけに耳についた。そうか、試着室は狭いから、壁から跳ね返った音が大きく聞こえるんだ。それに目の前の姿見は特に音をよくはね返す。
試着室の狭い空間は、わたしが自分の足で立っていることをかえって実感させた。もう見慣れてしまったけれど、下着にハンスだけという姿はなんとも奇妙だ。ユイちゃんなら「SFっぽい!」と大喜びするのかも知れないけど。
そうやってハンスのモーター音を意識しながら、ユイちゃんが選んでくれた服を着て鏡の中の自分と向かい合った。
そこにはこれまで見たことのないわたしが立っていた。
わたし、こんな顔をしていたっけ?
着慣れない服を着た鏡の中のわたしは、なんだかうれしそうな顔をしていた。
ひと月前のわたしは、こんな顔をしてはいなかっただろう。ひと月前のわたしはきっとうつむいて、眉間に皺を寄せていたはずだ。鏡に顔を近付けて、眉間に皺が刻まれていないか確認してみた。両手の人さし指で眉毛と眉毛を引っぱってみたりして。
そんな自分の様子が間が抜けて思えて、わたしは思わず吹き出してしまった。
そのとき、「どう?」とそのユイちゃんが試着室の外から声をかけてきた。
「う、うん」と、わたしは取り繕って返事をした。「着てみたよ」
いい終わるか終わらないかのうちに、ユイちゃんは試着室のカーテンを開けて顔を覗かせた。
「どう?」と同じ言葉をかけるユイちゃん。
「どうかな?」と聞き返すわたし。「ちょっと派手じゃないかな。わたしが着ても似合わないっていうか……」
「この服を着て鏡を見たとき、一番最初にどこを見た?」
「え、最初に?」
わたしは鏡に向き合ったときのことを思い出した。そして恥ずかしくなりながら答えた。
「えっと、その、顔を……」
するとユイちゃんはニッコリとしていった。
「じゃあ、似合ってるってことだよ」
「え?」
「服を着て鏡を見たとき、一番最初に服に目がいくようならそれは服と自分のバランスが取れていないからなの。逆に自分の顔に目がいくようなら、それは似合ってるってことなのよ」
「そうなの?」
「うん。うちの妹がいってた」
そういってユイちゃんは笑った。
どうやらユイちゃん姉妹の服選びは、実は妹さんが主導権を握っているらしい。だから今日はわたしに対してお姉さんらしい振る舞いができて、ユイちゃんはうれしいようだ。
「なあんだ。わたしユイちゃんはお姉さんだから服選びとか慣れてるんだと思った」
「いっつも妹に怒られてるよ。お姉ちゃんの選ぶ服は暗い、ダサい、センスがないって。だから今日の服も妹に見立ててもらってきたの」
「ちょっと、そんな人に選んでもらった服着て、わたし大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫。わたしの言葉は妹の請け売りだから。それに本当に似合ってると思うよ」
「本当?」
「本当。ね、ハンスはどう思う?」
ユイちゃんはハンスのカメラに向かっていった。それはわたしの喉元にあるのだけれど、ユイちゃんはそこに話しかけることにすでに慣れてしまっている。さすが、文学少女の皮をかぶったSF少女。こういうことにまったく抵抗がない。
「この服装はミサキによく似合っていると思います」
ユイちゃんは、「そうだよね」と笑っていたけど、わたしはこの発言に心底驚いた。
服が似合う似合わないなどという審美眼が、そんな能力がハンスにあるというの?ハンスはそんな能力を身に着けていたの?いくらなんでもそんなことが……。
「ハンス、本当にそう思う?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「本当の本当に?」
わたしの追求に、ハンスはついに白状した。
「状況的にもっとも適切な解答は『似合う』であると判断しました」
ああ、やっぱりか。
それ自体、すごいことだと思う。何日も前から、ハンスがなんとなく空気が読めるようになってきてる気はしてた。
それは、本当にすごいことだと思う。
だけどAIに気を遣われるのは、なんだかとっても悔しいような気がして、わたしは苦笑いしか出てこなかった。




