13 おやすみ
「登ったの?あの山に?」
驚きとも喜びともつかない声を、夕食の席に着いた父さんはあげた。
「うん、いけなかったかな」
「いやいや、とんでもない。むしろ大歓迎だよ。ミサキが危ない目に遭っていなければね」
父さんによれば、ハンスにはどんどんいろんな体験をさせてやってほしいのだという。ハンスが知識としては持っていても、経験として持っていないことを。
ただし、危ないことはしないこと。山登りくらいなら大丈夫だけれど、泳いでみようなどとは思わないこと。
父さんとのそんな会話を、ベッドで横になったわたしはハンスと反芻していた。
「水に入ってはいけないわけではありません」と、ハンスはいった。「わたしの防塵防水等級はIP68です」
その表示はスマホなんかで見たことはあるけど、気にしたことはなかった。
「IPはInternational Protectionの略で、ひとつ目の数字は防塵等級を、二つ目の数字は防水等級を表します」
つまりハンスは完全防塵かつ完全防水で、砂嵐が吹きすさぶ浜辺から海に飛び込んだりしても大丈夫とのことだった。
「ですが、わたしを身に着けたまま泳ごうとするのはおすすめしません」
「どうして?水に入っても平気なんでしょ?」
ハンスほどの能力があれば、泳ぎ方をマスターするのなんて造作もないはずなのに。
「泳ぎ方は知っていますが、わたしを身に着けたまま水に入ると、たいていの人は沈みます」
「なんで?」
「わたしの大部分は金属でできていますので、水よりはるかに重いからです」
そうだった。
ハンス自身が力を出してくれているから重さを感じていなかったけど、実際のハンスは十キロ近い重さがあるんだった。
「ただし、身体に十分な脂肪がついている場合は浮くことができるので、泳ぐことが可能になります」
つまり、ハンスと一緒に泳げるということはそれだけ脂肪がついているということで……。
「あ、うん、わたし沈むから大丈夫」
わたしは慌てていった。
「沈むのは大丈夫ではありません。呼吸ができなくなり、生命に危険がおよぶ恐れがあります」
「そうだね、大丈夫じゃないね……」
浮いたら浮いたで、女子としては別の危険がある気がするんだけど。
「ねえ、でもさあ、ハンスにいろんな経験をさせるためにはなにをしたらいいと思う?」
その危険な話題から、わたしは必死に話を逸らした。
「わたしにとっては、ミサキと行動を共にすることが十分な経験です。今日もたくさんの新しい経験をしました」
「そう?」
そうだといいんだけど。
「はい。この二十四時間で、わたしはたくさんの新しい情報を得ました」
ハンスと知り合ってからまだ二十四時間しか経っていない。あらためてそう考えると、驚くばかりだった。
だってこの二十四時間で、わたしは最先端とはいえないまでも研究室レベルの人工知能を預けられ、名前を付け、その人工知能に助けられて二本足で立ち上がり、歩き、山を上り下りし、いまはもう平気で会話をしている。
人間はどんな驚異にも三日で慣れる、と聞いたことがあるけど、二十四時間でというのは早過ぎないかしら?それともわたしはとりわけ鈍いんだろうか?
そんなことを考えていたら、意識が途切れ途切れになってきた。
ハンスにとっても新しい体験ばかりの一日だっただろうけど、わたしにとってもそうだった。きっと身体よりも、頭の方が疲れてる。
「ミサキ」と、ハンスが呼びかけた。「もう眠いようですね。睡眠をとってはどうでしょう」
「うん」
睡眠をとるだなんて、まだまだハンスは堅いなあ。そのへんの言葉遣いも、だんだんこなれていくのかな。
「わたしも、もう休みます」
ハンスの意外な言葉に、わたしの頭は少しだけ目を覚ました。
「ハンスも眠るの?」
「人間の眠りとは違いますが、今日蓄積した情報を評価、分析することに集中する時間が必要です。人間でいえば睡眠に相当する状態になります。処理された内容はフィードバックされ、わたしは少し成長します」
人間も寝ている間にその日あった出来事を脳の中で整理するんだって聞いたことがある。それが夢だって。ハンスも同じようなことをするのか。
ハンスも夢を見るのかな?それを考えるには、わたしはすっかり睡魔に制圧されていた。
「わかった、おやすみ」
いい終わるか終わらないかのうちに、わたしは眠りに落ちていた。




