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薄紅の花

太陽が窓を通して俺を見つめていた。快晴の朝であった。


どうやら俺は知らない間に寝ていたらしい。パソコンの電源はついたままで、飼い主を待つ犬の笑顔かのように画面が明るく光っていた。


俺はその画面を見てすぐにシャットダウンさせようとしたが、敢えて別のタブを開いた。


<六月七日 火災 死亡>


このキーワードで検索をかけると、ヒットした記事はあの女に関する事件だけだった。(かなで)の姉は俺が殺したあの女であることが確定した。


俺は無意識に自分の右腕を(さす)る。奏に指摘された斜に切り込まれた傷。「包丁を落として掠めた」というのは真っ赤な嘘だ。これはあの女に傷つけられた痕である。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


思い返せば、あの女は呆気なく死んだ。俺も俺で警察から逃走するなどといったドラマのような展開もなく、変わり映えのしない日々を過ごしていた。天津(あまつ)奏という幽霊に出会うまでは。


天津奏。そういえば、今日は奏と会う日だった。俺は急いで荷物の準備を済ませ、キーを持って車に乗り込む。もちろん、D7500は忘れていない。


車で約四十分と徒歩数分で俺は廃神社に着いた。奏は境内にしゃがんで──浮いているのはもう見慣れた──撫子をじっと見ていた。俺は汚い鳥居がファインダーに入るようにレンズを調整し、鳥居の中に撫子を見つめる奏と壊れた社殿が入るようにしてシャッターを切った。そして俺は鳥居に足を踏み入れる。


奏は俺に気づいて片手を上げた。俺は奏の横に座る。


「この花って撫子だよな?」


俺が言うと奏が少し目を開いた。


「花に詳しいんですね」


「いや、フォトグラファーである以上、花を撮る機会も多いんだ。それで知ってるだけだ」


実際、フォトグラファーとして働く前は花の名前を全くと言っていいほど知らなかった。


水村(みずむら)さんは撫子の別名を知ってますか?」


知らない。知らないが、考えるフリだけはする。そして俺は敢えて小さな声で「知らない」と言う。


「正解は、常夏(とこなつ)です」


奏はそう言って微笑んだ。そのとき、俺はなぜか「鴉にも表情はあるんだな」と思った。喪服が穏やかな薄紅色と対照的で目立ったからかもしれない。


「常夏ねえ。今年は六月なのに真夏日ばっかだ。もう日本の花は撫子にしてもいいぐらいなんじゃないか?」


「確かに、生きている間は暑かったです」


さっきの微笑みはどこへ消えたのか、奏は無表情で撫子に目を落とした。真顔だとやはり鴉に見える。言うなれば奏は常夏に佇む鴉か。


俺は世間話をしに来たわけではない。思いきって本題に入る。


「なあ奏...俺は昨日、奏のお父さんに会わせる方法を考えたんだ。それでいろいろ調べさせてもらったんだが、奏のお姉さんは火災で亡くなったのか?」


あの女の顔が頭に浮かぶ。俺は女の顔を血塗(ちまみ)れにして怒りを抑えた。


「姉は...そうです。火災で亡くなりました。しかも放火だそうで...あんなに良い姉だったのに」


良い姉だと?あの女が?


「へえ、お姉さんはどんな人だったの?」


奏は少し泣きそうな顔で話す。


「姉は優しい人でした。私に嫌なことがあったらいつも話を聞いてくれて、ときには姉のアドバイスで解決したこともありました。姉妹だと仲が悪くなることも多いそうですが、私はそうではありませんでしたね...小学二年生までは」


「小二まで?」


「ええ、小学二年生までです」奏は一呼吸置いた。


「両親が離婚したんです」


瞬間、熱風が頬を撫でる。


「小学二年生のときに離婚しました。だから、それ以降の姉は知らないんです。私はお父さんにつき、姉はお母さんについていきました。なので私は名字は一度も変わっていません。結婚もしていなかったので。姉は両親の離婚と、亡くなってから知りましたが結婚していたらしいので、姉は少なくとも三つの名字を経験したことになります」


「姉と会おうとしたのか?」


「え?」


俺は無意識に尋ねていた。なんでだか分からなかった。


「いや、親の離婚で別れてしまった以上、姉妹だけ会うのも変だなと思ったので会おうとはしませんでしたね」


「そうか」とだけ呟いた。俺は話を変える。


「奏のお父さんのことなんだが、この廃神社に連れてくるしかないと思ったんだ」


話が急に変わったことに奏は驚いた様子を見せた。


「奏のお父さんが奏のことを見えるかどうかは分からない。だけど、何もしないわけにもいかないから、僅かな可能性に賭けて連れてくることにした。奏はこれで良いか?」


奏は黙っていた。つまり了承のサインだろう。


「奏のお父さんの家の住所を教えてくれ。場所が分からなければ意味がないからな」


そう言うと、奏は家の住所を(そらん)じる。俺は間違えないようにスマホにメモした。


「奏。俺が絶対にお父さんに会わせる。だからもう少しの間だけ待っていてくれ。いいか?」


奏は静かに頷いた。その瞳に少しばかりの希望が宿っていた。


「じゃあ、また今度。一週間以内には会わせるよ」


そう言って俺は立ち上がる。既に足は痺れていた。だけどまだ仕事がある。廃神社の写真を撮ることだ。


俺はD7500を起動し、廃神社に向けてレンズを向ける。ファインダーを覗きながら、一枚目。その後、境内や鳥居などをあらゆるものを別の角度から撮影する。


合計で約二十五枚あたりになったところで俺は鳥居を潜った。最後に奏に手を振ったが、撫子を見つめていて気づいていなかった。


俺は歩きながら撮った写真を見返す。俺が今日、廃神社に着いて最初に撮った、鳥居と社殿を真正面に捉えた写真を見ると、そこに写っているはずの奏はいなかった。

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