三千世界
俺は奏に半分が嘘で半分が本当のことを伝えた。奏のお父さんに会わせる。ただし、この現実世界じゃない。死後だ。
死後の世界がなければ悲しい。かつての家族や友達に会えないからだ。だから俺は死後の世界があってほしいと願う。そして奏は既に死んでいる。それならば奏のお父さんを死後の世界で会わせるのが妥当だ。
この発想の元は芳賀との会話だった。芳賀がいなければ思いつかなかった。
あの廃神社では八咫烏が祀られている。奏があれだけ参拝していた廃神社の八咫烏ならば、奏のお父さんを連れていってくれるのではないか。
俺はあまりにも馬鹿げた計画と淡い期待を胸に、再び車を走らせていた。前方には黒く染まった空があるばかりで、照らしてくれるのは錆びた外灯だけだった。
誰が殺すか?俺だ。
俺は既に放火殺人という罪を背負っている。無罪の人間といつ捕まってもおかしくない人間。どちらが新しい罪を犯すべきかと問われれば、答えは言うまでもない。
俺はカーブを切り、ぽつんと存在する有料駐車場に車を駐める。そして俺は社内で着替え始めた。海外の通販サイトから取り寄せた日本警官の制服に限りなく近いレプリカだ。あの女のときは約束を取り付けていたから難なく侵入できたが、今回はそうもいかない。だから俺は偽警官として訪問することに決めた。
俺は腰に小型の金槌、腹に予備の着替えを忍ばせて足早で奏の家に向かう。
マップを見ながら数分、俺は何の変哲もない木造住宅に着いた。表札をよく見てみると「天津」と書いてある。
俺は深呼吸をして、インターフォンを押した。するとすぐに『はい?』と俺を訝しむような声が聞こえる。怪しまれることは承知していたので、堂々と「警察ですが、今お時間よろしいでしょうか?」と言う。
だが奏のお父さんはそれでも油断しなかった。
『何の用でしょうか?』
俺はそこまでも想定済みだった。
「行方不明になった奏さんの件です」
そうすると奏のお父さんは『ああ、今出ます』と重たい雰囲気で言う。やはり上手くいった。
俺は出てくるまでの間に金槌を手にする。この暗さなら一見何を持っているか分かりづらい。
がちゃり。ドアが開かれた。
ドアが全開になった頃、俺は迷わず金槌を頭に振りかざす。それは見事に命中し、奏のお父さんは倒れた。これでは死んだか分からない。俺は家の中に入り込み、ドアを閉める。そして台所がどこにあるか探す。それは階段を上がって二階にあった。
俺は奏のお父さんを引き摺る。成人男性は重い、特に階段だと少しでも力を抜けばすぐに落ちそうになる。
それでも俺は台所近くまで引き摺ることに成功した。最後に、俺は台所から包丁を持ってきて、心臓辺りを刺す。これで完全に死んだ。
血で汚れた手を水面台で入念に洗う。その後、俺はその場で腹に忍ばせた予備の服に着替える。レプリカに血が付いてしまったのも理由だが、俺はこれから奏に会いに行くのだ。警察官の服では怪しまれるに決まってる。
俺は警察の制服のレプリカをそのまま放置することにした。完全犯罪を成し遂げようとは全く考えていない。俺はただ奏のお父さんを殺すことだけが目的だった。
この前はライターで家ごと燃やしたが、今回は目立つようなことは避けたかった。俺は死体に別れを告げて、家を出る。俺は早歩きで現場を離れて、駐車場に着けばすぐに車に乗り込む。一時間もかかっていなかったので駐車料金は安かった。
俺はそのまま廃神社がある山に向かった。とはいえ車を走らせたのは僅か数分である。俺は車を降りて、走って山道を駆け上がる。
息が切れてきた。もう俺が水村琉一なのか、緒方龍雅なのか分からない。思えば奏がこの時間に廃神社にいるのか分からなかった。それでも俺は「いる」に賭けた。
鳥居が見えた。壊れた扁額には「澄枝神社」の四文字、そして鳥居の中に奏はいた。
奏はすぐに俺に気づき、「こんな時間にどうしたんですか!?」と驚いている。無理もない。俺は息が切れてぜえはあ言っていたし、何か緊急事態が発生したと思うのは仕方ないことだった。
「おい奏、よく聞いてくれ...俺は奏のお父さんを連れてくると言ったな」
奏は息を呑んでいる。
「当の本人が死んでいた」
そのとき、奏の表情はよく見えなかった。それでも絶望しているのは間違いなかった。
「規制線が張ってあったんだ。何があったか警察に訊いたら、殺人事件が起きてたらしい」
れっきとした嘘だった。殺したのは今さっきだ。そもそも事件すら発覚していない。
だが奏はそんな嘘に気づくわけもなく、境内に座り込んだ。顔を覆っていた。まるで泣いているようだった。奏のお父さんを殺した俺が言えることではないが、見ているのが辛くなってきた。
啜り泣くような声。廃神社にはそれだけが響く。俺は沈黙を切り裂いた。
「なあ奏。奏がここにいる理由はお父さんにもう一度会いたいからだと言ってたな。だけど、本人は死んでしまった。厳しいことを言うようだが...この世界にいる必要は、もうないんじゃないか?」
奏は僅かに顔を上げる。それでも泣き続ける。
奏の体が壊れ始めたのはそのときだった。足先からぼろぼろと壊れていく。奏はそれに気づき、泣くのをやめた。
「水村さん...あなたは良い人でした。私なんかのために動き続けてくれて...」
そう言っている間にも奏は壊れる。既に下半身は消えていた。
「私は幸せです。この澄枝神社で成仏できることに...」
俺は何もしなかった。できなかった。ただ無言で奏を見つめる。
残りは首だけだった。
「また...死後に会いましょう」
それが最期の言葉だった。常夏に佇む鴉は死後の世界へ羽ばたいた。
俺は境内に仰向けに倒れて夜空を見上げる。もう罪が露見してもよかった。この広大な世界で、俺が起こした事件なんてちっぽけだ。
俺は左手で撫子、右手で倒れた八咫烏像に触れる。撫子も八咫烏も最後まで俺たちを見届けていた。
そのとき、黒黒とした夜なのにガアガアと聞こえてきた。大量の鴉の群れが飛び交っていた。世界中の鴉が集まっていると錯覚するほどだった。
その中に、八咫烏か、常夏に佇む鴉がいるかもしれない。




