第38話 ぐねぐね
先生、およびその他職員の人達に挨拶を終えた私たちはシドウさんに頼まれて、ちょっとした手伝いをしていた。
授業で使う教材、道具の整理や玄関先の掃き掃除。今日は用務員さんが遅れてくるとの事だったので、それなら朝の仕事はこちらで片付けておこうと気を利かせたらしい。事情を聞かされれば断る理由はなかった。
「おつかれさん二人とも。悪いな、急に頼んじまって」
保健室で合流した時、シドウさんは私服の上に白衣を羽織っていた。声にも覇気が戻っている。片手にはサイケデリックな色合いをしたドーナツが握られ、中では女性の先生――シドウさんによれば常勤の保健の先生らしい――が書き仕事をしている。
「いえ、そんなに時間もかかりませんでしたから。……それになんだか、不思議な感じでしたよね」
「朝のホームルーム中、誰もいない廊下を練り歩くのはある意味快感でしたな。時折、先生方に声を掛けられたりもしましたが」
「ハッ、そうかい」シドウさんはドーナツをひと欠片頬張り、咀嚼して飲み込む。「……転移者が異世界の学校に通ってるって言っても、比率的にはまだこっちの世界の住人の方が多いからな。珍しいのさ」
あと少ししたらホームルームも終わるだろ。保健室でいくつかの話題を交えていると、高らかにチャイムの音が鳴り響いた。
校内を見て回りつつ、元の世界へ戻る手がかりになりそうな情報を探す。言わずもがな優先したのは後者からだった。
図書室へ向かい、本を調べて読み漁る。妙な噂を立てられても困るだけ――そもそも気軽に聞いていい事なのかどうかもわからない――なので、直接聞き込みをするのは数人程度に留めておく。
結論から言えば、収穫はゼロだった。
街の図書館より規模の小さい図書室で欲しい情報が見当たるはずもなく、せいぜい馴染みのない人物の自伝書が真新しかった程度。念のため異世界の人間と転移者、それぞれ二人ずつに聞き込みをしてみても、やはり得られる情報は無かった。
本のような形にも残されておらず、人づてに聞いても意味がない。
もちろん私たちの探し方が悪く、方法を変えてしまえば呆れるほど単純に見つかってしまう可能性だってあるのだろう。しかし、手元にはその為のヒントすらない。
しらみつぶしに探し回るのは、とても現実的とは思えなかった。
「砂漠の中から一本の針を見つけ出すような作業ですな。はたまたいっそ、この世界に住めという天の思し召しなのか……」
「異世界中を探し回る訳にもいかないし……ちょっと疲れましたね」
降り注ぐ陽射しも、どんよりとした先行きまでは照らしてくれない。小休止のため中庭まで足を運ぶと、今は授業合間の中休みなのか生徒の姿がそこそこに見受けられた。
木陰の下で読書をする子に、芝生に寝転がって大胆に仮眠をむさぼる生徒の姿は見ていて不安を煽られる。次の授業に遅れたりしないのだろうか――
「っひ――のあああああっ!?」
「うわっ……!?」
耳をつんざく悲鳴に思わず体を震わせる。声を上げたのは葵さんだった。ベンチから立ち上がり、あたふたと背中側にある襟元の隙間から手を突っ込んでいる。
「るるる瑠稀殿っ、ワイの背中にっ、”ひんやりした何某か”がっ! 取ってくだされっ!」
「え……あ、わ、分かりました!」
いまひとつ状況が掴めないが、今はそう返すしかなかった。たぶん背中から虫か何かが入ったのだろう、正直触りたくはないけれどそうも言っていられない。
襟元の隙間は葵さんの手が塞いでいる。であればシャツの裾をばさばさと揺り動かして、中の物を外に出す――咄嗟にとった行動は、最悪の形で奏功した。
「っ!? なにこれきもっ……!」
ぽとり、スライムをそのまま芋虫のような形に練り固めた水色の物体が転げ落ちる。足元でぐねぐねと蠢くそれを見た瞬間、あまりの気持ち悪さに私は数歩ばかり後ずさった。……駄目だ、直接見るのもはっきり言ってかなりきつい。
何とか気を持ち直して葵さんに声を掛けると、顔面蒼白の状態で立ったまま硬直している。葵さん、しっかり。よくわかんないのはちゃんと外に出しましたから。細々とした返事が二、三度耳を素通りすると、
「――ぐえっ!?」
「捕まえたよエイミー!」「……気持ち悪い……?」
「離してアルフ! マ――あ、マヤは掴んでないか。ごめんね?」
「ううん。いいよ」
「僕は全然いいよって気持ちじゃないけどね……」
人同士がぶつかった時のような鈍い音と、声色の違う三つの声に振り返る。
すると女の子――文脈からしてこの子がエイミーなのだろう――が、狐のような耳を生やした男の子、アルフに羽交い絞めにされていた。その傍らにいる眠たげな目をした女の子がマヤなのだろう。背丈は全員同じくらいで、年も近いように見える。
「ほらエイミー。手に持ってる”ぐねぐね”、全部水に戻すんだ」
「しょうがないなぁ……うっうっ、今生の別れがこんなに早く来るなんてぇ……」
その語感だけで、目に見ずとも指し示すものが何なのか分かってしまった。葵さんの背中に紛れ込んでいた、あのスライムのような物体だ。
「ええっと、すいませんでした。おねえさん達」
アルフのぴんと立った耳が力なく折れ曲がり、
「この子……エイミーは校内でも有名ないたずらっ子なんです。悪い子じゃないんですけどね。ほら、エイミーも一緒に謝って」
「えへへっ、はぁ~い!」
言葉を選んだ上で、いたずらをした張本人であるエイミーにも自然な流れで謝らせる。もしかしたらアルフは普段からこんな役回りなのだろうか。
友達や知り合いというより、その振る舞いはむしろ親のようですらあった。
私たちに謝ったエイミー達はその場から去っていった。という展開には、残念ながらならなかった。
「ねえねえ。休み時間まだあるし、一緒に遊ぼう? 断ったら――よいしょ、この手で握手するから」
ぐねぐねを握りつぶし、べたべたになった手のひらを見せつけながらこの上ない殺し文句を突きつけてくる。あろう事か、エイミーは私たちに遊びの誘いを持ちかけてきたのだ。
断れば何をされるか分からない。
私も葵さんもぐねぐねのトラウマの前には無力だった。さらに、
「おい、メイド!」
「……なんですか魔王様」
まさか”ごっこ遊び”に付き合わされるだなんて誰に予想できただろう。
今の私は魔王様に傅くメイドで、雰囲気作りの為に髪まで結んで、いや、結ばされていた。
しかし――肌色を含んだオレンジ色の髪はシュシュでおさげにして結ばれ、ポケットのたくさんついたサロペットは覇気があるというより、どこまでも活発で、元気で、わんぱくなイメージが拭えない。
目の前にいる女の子を誰もが恐れる魔王様だと思い込むのは、私にはハードルが高かった。加えて言うと、周囲から向けられる奇異の視線がただただ痛い。
「ワシは果物の世話で忙しいから、このぐねぐねを勇者にぶん投げといて欲しいのだ! 出来るな!?」
「出来ません」
「と見せかけてえいっ!」
「何も見せかけてないけどっ!?」
驚いたように耳を立て、突然の奇行に素早く突っ込みを入れたのは勇者であるアルフだった。
藍色の髪は短く切りそろえられ、袖の長いシャツは斜めにラインが入れられた黒と白のツートンカラー。細かく地面を踏みしだくたび、ハーフパンツに取り付けられたジッパー達が小刻みに揺れて動揺を表している。
緩やかな放物線を描いて宙を舞うぐねぐねは、しかしアルフの下には届かなかった。
「――不意打ちとは、随分と姑息な真似をするのですね」
一瞬、誰なのか分からなかった。
凛としつつ、敵を威圧せんと語気を強めた声色は主を守る、騎士という役柄に合わせたゆえだろう。迸らせた剣閃はその在り様を示すかのように白く、まっすぐで躊躇いがない。
「勇者様はお下がりください。……魔王の相手は、私が務めます」
「……かっ、かぁっこいい……!」
冷酷かつ毅然とした態度に、射すくめるような鋭い視線。何よりも、普段とはまったく異なる佇まいがアルフのみならず、私の目をも引き付けていた。
葵さんがごっこ遊びにここまで夢中になれる人だなんて、正直思いもしなかった。決して笑うような意図はないけれど、今の葵さんはほんの少し――
「時が来たよ」
神という役を与えられたマヤが癖の強い第一声を言い放つ。そのまま噴水中央にそびえ立つ、小さな時計台を指さして、
「次の授業まであと三分。中庭、もう誰もいないよ」
「「マヤ!? それは早く言って!」」
「それはごめん。けど」
マヤの髪色と同じ、透明感のある灰色の瞳が葵さんを見据える。
「…………見えなくなった」
「は……?」
言葉の意味も、首を傾げた理由も分からない。次の教室どこだっけ、いやうちの教室だよエイミー、早く行かなくちゃ。視線を重ねたままの葵さんとマヤを見つめていると、自分の足が勝手に動き出した。
エイミーの手が、なぜか私と葵さんの手を引っ張っていた。




