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ティアドロップ;オンステージ  作者: だいこん
第3章 トラウマ≒思い出
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第39話 不可逆性バタフライ


 振りほどこうと思えば確かに振りほどけたのだと思う。けれどそうしなかったのは単純に躊躇(ためら)いがあったからでもあるし、校内に明確な目的地がなかったからでもある。


 ほどなくしてエイミー達の教室にたどり着いた。


 規則正しく配置された長机には生徒達が座り、いずれも十代前後、学年で表すならば小学校中学年くらいの子達だろうか。好奇と奇異と、面白さや興味まで入り混じった感情が視線から見て取れる。その先にいたのは言うまでもなく、私たちだった。


「……当たり前ですが、浮いてますな。(さら)し上げられているようで落ち着きませぬ」


 ですね、と苦笑い交じりに相槌を返すと、エイミー達と話していた女性が声を掛けてきた。この授業の先生なのか、あるいは担任なのか。


 女の人はこの授業の担当教師である事を打ち明けてから、


「三人から経緯(いきさつ)は聞きましたし、お二人が見学者である事も把握しています。エイミーちゃんがいたずらしてしまったようで、本当にすみません……ただ」


 温厚な雰囲気を漂わせつつ、困ったような笑みを浮かべる。


「この教室の授業見学に来た――っていうのは、さすがに違いますよね? だから二人を連れてきたんだって、エイミーちゃん言ってましたけれど」


 視界の端、席に着いてただにっこりと微笑むエイミーの姿が映り込む。面白半分でデマを吹き込んだのだろう。訂正(ていせい)するのに時間はかからず、「せんせー、そろそろー!」と生徒の一人が元気よく手を挙げる。


 改めてにはなるけれど、私も葵さんも決して授業を見学しに来たわけではない。

 しかし授業中に廊下をうろつくのはいたずらに人目を引いてしまいそうで、シドウさんにも何らかの迷惑がかかるかもしれない。


「……終わるまで見学、していきます?」先生が遠慮がちに切り出し、「やるのは魔法の授業なんですけど、ちょうど席も空いてますし」


 ――お願いだから、シドウさんがこの教室の前を通りませんように。


 祈りながら教室の一番奥、窓際の席に葵さんが座り、その隣に私が着席する。そういえば、エイミー達のごっこ遊びに付き合ってから髪をほどいていなかった。


 シュシュを外し、後ろ髪を持ち上げて髪を整えれば花の匂いがふわりと香る。横髪を右耳の上にかけ直すと、隣の席にいる男の子と目が合った。


「あ……ごめん。隣、いい?」

「おおぅ――!? は、はぁいッ! ありがとうッ、ございます……!?」

「えっ? あ、ありがと……?」


 この子はどうしてお礼を言ったんだろう。(うわ)ずった声、泳ぐ視線に微笑み返す。


 間もなくして始業のチャイムが鳴り響いた。





 ――授業テーマ『基礎魔法と応用魔法、特殊魔法』――


 黒板に書かれた大きな見出しの下に、授業の進行に合わせて次々と新たな単語、関連するトピックが書き込まれていく。チョークの音がかりかりと走るペンの音を引き連れて、時折生徒が名指しされては投げかけられる質問に答えていく。授業の進み方は私たちの世界と変わらない、ごく一般的な形式だった。


「……基本的なおさらいはこの通りです。いいですよ、みなさん。ちゃんと覚えているみたいですね」


 はにかみながらの言葉に教室が和やかな空気に包まれる。黒板にまとめられていたのは、”基礎魔法”と呼ばれる魔法についてだった。


 基礎魔法には属性が存在し、その数は全部で五種類。

 すなわち――火炎(フレイム)水流(アクア)疾風(フロー)雷光(ライト)岩塊(ロック)の五属性。


 文字にして書き起こされているのを見ると、今まで何となくで使っていた魔法の存在が急に近くに感じられる。今度は応用魔法へと話題が移り、先生は物色するように視線をさまよわせ始める。


「では――あっ、いま目が合った見学者のかたっ! 窓際の方の!」

「ぬおっ!? ワ、ワイですかっ?」


 一瞬でも自分の事だろうかと疑ってしまったので思わず背が伸びた。同時に教室中の視線が葵さんに突き刺さり、隣にいる私まで妙なプレッシャーを感じてしまう。


 ああそうだ、お名前を伺ってもよろしいですか。ワイは花江葵と申しますが。なるほど、ではアオイさん、というやり取りを経て本題である質問が投げかけられた。


「応用魔法がどういったものかはご存じですか? ざっくりにでも構いません」


 葵さんは短めの間を置いてから、


「……基礎魔法に弾丸や刃など、”形”を与えたものが応用魔法にあたります。基礎魔法のみでは、対応した属性の魔力をその場に停滞させる事しかできませぬ。ゆえに魔法の使用は応用魔本が基本になる――と、以前本で読んだことがあります」


 誰かが感嘆の声を漏らし、また別の誰かは拍手をする。それが次々に連鎖して大きな拍手が沸き起こり、先生までもが感心した様子で手を叩いていた。


 質問された事のみならず、理由までを添えて論理的に回答してみせる。内容も然り、理路整然とした受け答えにはたしかに惹かれるものがあった。


「……凄いですね、葵さん。私、魔法はなんとなくで使ってました」

「め、面と向かって褒められるとなんだか照れますなぁ」照れくさそうに髪の毛先を撫で、「基礎魔法は子音しいんで、与える形は母音ぼいん……ふたつ組み合わせたものが応用魔法、というように覚えていたのが功を奏したのかもしれませぬ」


 それだけではほぼ成り立たない基礎魔法(子音)与える形(母音)と組み合わせ、出来上がったのが応用魔法。そう考えればなるほど、言い得て妙なたとえではある。言葉の成り立ちになぞらえて考えれば、すぐに合点がてんがいった。


 前に向き直ると斜め前の席に座っていたマヤと目が合い、すぐに視線を逸らされてしまう。疑問に思う間もなく授業は再開され、話題は特殊魔法に移り変わった。


 その名の通り空間を操る”空間魔法”、手に触れずしてものを動かせる”念力魔法”、さまざまなものの動きを再現する事が出来る”再現魔法”――


 しかし特殊魔法は種類も用途も非常に多く、すべてを網羅もうらするには時間がかかるらしい。


「次に説明する魔法は今度のテストにも出しますので、よく聞いてくださいね」


 先生は教科書を置き、何もない空間からナイフと真っ赤なリンゴとを自身の手のひらに落とした。いま目にしたものが空間魔法なのだろう。(さや)を外すと刀身があらわになり、そのまま紙の上に置いたリンゴをゆっくりと切り裂いた。


「”不患(ふかん)の魔法”、という魔法があります」


 果汁を拭き、刀身を鞘に納めたナイフを光の中へ放り込む。


「剣や槍などの武器に必ずかけられている魔法で、武器で人が傷付かないようにと編み出された魔法です。多少の痛みはありますが傷付かず、血も流れず、命を落とすこともない……私たちの安全を保障してくれる、ありがたい魔法です」


 さっきみたいに物体は切れちゃいますけど、人の体は傷付きません。言い終えたタイミングで終業のチャイムが鳴り響き、教壇の上にある資料をまとめ始めた。


「不患の魔法は武器を仕上げる際、必ず使うようにと法律で定められている魔法でもあります。職人の方はこれを守らなくてはなりませんし、法律のテストにも出てくる必修単語になっていますね。それからこのリンゴは――」

「はいっ! あたしが食べますっ!」


 手を挙げたエイミーに優しい微笑みが向けられ、


「仲良く分けて食べてくださいね。では日直の方、終わりの挨拶を」





 授業が終わるなり生徒達がそそくさと教室を出て行く。いったい何を急いでいるのだろう、後を追いかけてみると理由はすぐに分かった。


 学食だ。


 時刻を確認すればちょうどお昼時で、学食フロア内は多くの生徒でごった返していた。カウンターには長蛇の列が出来上がり、テーブルからは食事を楽しみつつ、談笑する声が聞こえてくる。空腹を覚えていたのは私たちも一緒だった。


「なんだか、思いがけずいい事聞けちゃいましたね」

「不患の魔法の事、ですかな?」


 葵さんも同じことを考えていたのだろうか。私は食事する手を止めてうなずき、飲み物をひと口、喉にくぐらせる。


 回数は多くはないものの、武器を持った人と戦う事はこれまでに何度かあった。

 その度にスキルがあるからやり過ごせていたけれど、一歩間違えていたらと思う瞬間は一度や二度の話ではない。漫画のような命のやり取りは、心の底からしたくないと思う。


 昼食を終えて、しばらく校内を自由に見て回る。一階から二階へ、二階から三階へ。校庭は想像以上に広かったので、横目に見て通り過ぎるだけ。


 そうして中庭にたどり着くと、木陰に座る一人の女の子を見つけた。


 丈の長いレトロ柄のワンピースにストラップサンダル、足元を彩るオレンジ色のネイル。手首からは色素の薄い肌が見え、左目尻には黒い星型のビーズシールが三つ、並ぶように張り付けられている。


 そよぐ風が透明感のある灰色の髪を揺らし――木漏れ日がマヤの寝顔を照らしていた。


「……エイミーもアルフもいないみたいだけど」

「昼寝の最中であれば当然かと思いますが……起こさない内に立ち去りましょうか」


 葵さんの言葉に(きびす)を返そうとした瞬間だった。


「待って」


 目を閉じたまま、唇を動かしたマヤの声に足が止まる。これが寝たふりなのか、寝たままなのかは分からない。けれど寝言にしては対象をはっきり捉えているようで、語気に帯びている具体性は不自然なほど明瞭だった。


 目を閉じているのだから見えている筈がない。

 なのに、視線を感じる。見られているという意識がそう訴えかけてくる。


「……ちょうどいいかな」だらりと頭がうなだれる。「片方だけは無理そうだけど」

「マヤ……? さっきから何言って――」

「ごめんね。そっちのおねえさん」


 言うや否や、視界の端に映り込んだ何かに意識が集中する。(ちょう)だ。


 見たこともない、(きら)びやかともくすんでいるともつかない、灰色の独特な羽根模様をたたえた蝶。私と葵さんの間をひらひらと舞うそれが砕け散ると、風に乗って銀色の鱗粉りんぷんが鼻先をかすめていく。


「っ……! なに、これ……」

「くっ……なんたる眠――け――」


 閉じかけた視界の端で葵さんが倒れる。

 体の自由が、利かなくなって。


 視界が、意識が。

 暗く甘い、微睡(まどろ)みに溶けていく――


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