神のアーキタイプ
「ん……」
うっかり眠り込んでしまったか。
時計を見ると、朝の十時。
待てよ、ベッドで寝ているのはなぜだろう。
床に入った覚えはない。昨晩はインターネットで市況を確認し終わった後、睡魔が襲って来て、そのまま椅子で寝てしまった様な気がするのだが。
「目が覚めた様だな」
金髪・碧眼の女性が、僕が眠りこけていた筈の、パソコン台の椅子に座っていた。
彼女は似骨 朱美。僕の主治医であり、中日医科大学という、私立医大の理事長を務めている。
どう見ても白人女性なのだが、れっきとした日本生まれの日本人だ。ただ、クォーターという事らしい。若作りだが、実年齢は三十五歳。僕より一回り上だ。
僕は生まれつき、アルビノという特異体質を抱えている。その為、定期検診を受け続けているのだが、彼女の研究テーマがアルビノという事なので、僕を直接診療してくれている。元々は朱美さんの父親である、前理事長の均先生が担当していたのだが、亡くなって以後は、彼女が引き継いでいる。
また、医師と患者というだけでなく、両親が亡くなって身寄りがない僕にとって、とても頼れる人だ。かつては、僕の家庭教師でもあった。
もっとも、均先生が亡くなった事で理事長職を継いでからは忙しい様で、月二回の定期検診の他は、ほとんど会う機会がない。
「朱美さん? 来ていたんですか」
「ホームセキュリティから連絡が入ったので来てみたら、君はパソコンの前で眠りこけていたという訳だ」
僕の家は警報装置がつけてある。両親が亡くなった時、朱美さんには同居をすすめられたのだが、この家を空ける訳にはいかないと断ると、「せめてこれだけは」と半ば強引に導入させられたのである。
この装置は不法侵入の監視の他、警備保障会社に無通知のまま一定時間、人の出入りがない場合、指定した連絡先に電話がかかってくる。第三連絡先まで電話がつながらないと、警備員が駆けつけて来るシステムだ。
元々は、独居老人の孤独死などを防ぐ為の物である。第一連絡先は、当然この家の電話。第二連絡先は僕の携帯。そして第三連絡先は、朱美さんの携帯である。
「セキュリティから連絡が入ったという事は、ひょっとして僕は丸一日半以上寝ていたんですか?」
「その様だな。最後に出入りの記録があったのは昨日の午前八時だそうだ。珍しい、君が日中出歩くとは」
「ああ、それはゴミ出しした時ですね」
僕は日中、ほとんど出歩かない。アルビノにとって直射日光は大敵で、サングラスがないとまぶしくて眼があけられないし、長袖の服や抗紫外線クリームで防護しないと、皮膚も痛んでしまう。
学生の時は通学する為に毎日家を出ていたが、今はその必要がないので、晴天時の日中は自宅で過ごしている。とはいえ、必要があれば外出する。ゴミは回収日の朝に出すのがルールだ。夜中に出してはいけない。
「体の節々が痛い…… そういえば、僕は何でベッドで寝ているんです? しかも裸で」
今気が付いたのだが、僕は服を着ていない。全裸である。
「椅子で寝ていれば痛くて当然だろう。ベッドに寝かせたのも、服を脱がせたのも私だ。診察に必要だったのでな。別に、慰み者にした訳ではない。後、眼を覚まさせる為に注射を打たせてもらった」
実に合理的な回答である。朱美さんは医師なのだから、必要ならためらう事なく異性の服も脱がすだろう。
もっとも、こちらも、今さら恥ずかしがる事はないのだが。
「とりあえずシャワーでも浴びろ。その間に食事を用意しておいてやる」
そう言うと朱美さんはダイニングキッチンへ向かった。
言われるままに浴室でシャワーを浴び、顔をそる。ヒゲの延び具合から、二日間寝ていた事を実感した。
体を拭いてダイニングキッチンヘ行くと、カニ雑炊が用意してあった。買い置きしてあったレトルトだ。
「消化の良さそうな物はこれしかなかった。相変わらず、レトルトやインスタントばかりか。自炊も出来るだろうに」
「一人だけだと面倒なんですよ」
両親は共働きだったので、僕が夕飯の支度をする事もあったが、一人になってからは、レトルトかインスタント食品が食事のメインになっている。
大学を卒業して、学食を利用する事もなくなった今は、三食全てがそうだ。月二回、中日医大付属病院で検査を受ける時に病院の食堂を使うのが、数少ない外食の機会である。その時は大抵、朱美さんと一緒だ。
食べ終わり、差し出された緑茶を飲み終わると、気分が落ち着いてきた。
「落ち着いたか?」
「ええ、とりあえず」
「そうか。ところで、君の病状だが」
「どこか悪いんですか?」
「余命はもって半年だ」
いきなり、深刻な事を言う。もってまわった言い方をしないのは朱美さんらしいのだが、医師の発言としてはどうなのだろう。普通、こんな言い方で不治の病を宣告されたら、患者はパニックを起こすのではないだろうか。
「そうですか……」
「君の事だからとり乱したりはしないとは思っていたが、あっさりした物だな」
なるほど、僕だからそう言ったのか。周囲によく指摘されるが、僕は喜怒哀楽に乏しいらしいのだ。
「前から覚悟はしていましたから」
紫外線に弱い、視力が低い、皮膚ガンや白内障になりやすいといった厄介な特徴はあるが、アルビノは直接命に関わる病気ではない。
それなのに、僕は物心つく前から、毎月、病院で精密検査を受け続けている。「アルビノの研究の為」という説明を受けてはいたが、他に重大な病気を抱えているのではないかとも疑問に思っていた。
だから、今も、驚きや嘆きではなく、「来るべき時が来た」という気がしている。
「両親が死んだ時、同居を薦めたり、セキュリティをつけさせたのも、発病に備えてですか?」
「察しがいいな。御両親の意向で、ぎりぎりまで告知は避けて欲しいという事だったのでね。同居に応じてくれればこちらも安心出来たのだが、事情を説明出来ない以上、無理強いする訳にはいかなかった」
「伝染する様な物ではありませんね」
「劣性遺伝による遺伝病だ。伝染性はない。あえて言えば、子孫に5割の確率で遺伝はするが、父母の双方に因子がなければ発病には至らない」
「劣性遺伝? アルビノと関連があるのですか?」
「その通りだ。アルビノの原因遺伝子の一部に変異がある事によって起こる、極めて希な症状だ。”遺伝性睡眠長時間化症候群”という」
「名前から察するに、睡眠時間が異常に長くなるという様な病気ですか?」
「そうだ。発症後は、睡眠時間が異常に長くなり、最終的には昏睡状態になって死亡する。治癒の手段はない。対症療法として、就寝前に薬を飲めば六時間程で目覚める事が出来る。残念ながら延命効果はなく、数ヶ月中には薬が効かなくなり、昏睡から死亡に至る事になる」
「薬を飲み忘れたり、うっかりうたた寝でもしよう物なら大変ですね」
「その場合、放置すれば数日は眠り続ける事になるので、先ほどした様に、薬を注射して起こす事になる。そういった事態に備えて、入院して欲しい。残された時間を有効に使う為に、医療面からサポートしよう。個室を用意してある。いつも通り、いっさい費用はいらない」
「そうですか。わかりました」
以前から僕の医療費は、アルビノの研究サンプルとして協力する代わり、無料という事になっている。今思えば、アルビノというより”遺伝性睡眠長時間化症候群”のサンプルだったのだろう。今回の入院が「最後のつとめ」という事か。
特に拒否する理由はない。それに、仮に入院を断った場合、薬を飲み忘れるたびにセキュリティ経由で呼び出されるのは朱美さんなのだ。そんな迷惑はかけられない。
「話が早くて助かる。さし当たり、着替えや必要な物をまとめてくれ。大抵の調度品はあるから、最低限の物でいい」
早速、荷物のまとめにかかる事にした。
着替え。通帳や印鑑といった貴重品が入っている手提げ金庫。そしてノートパソコン。僕は大学在学中から、株取引で生計を立てている。いわゆる”ネットトレーダー”だ。インターネット端末として、ノートパソコンは必須の道具である。
アルビノの為、普通の就職が困難である事が予想出来たので、両親が残してくれた預金や死亡退職金、生命保険金を元に、生活費を得る手段としてはじめたのだが、僕には素養があったらしい。今の資産は概算で約十八億円である。
一面識もない遠縁の親類とか国庫にもって行かれるつもりは全くないので、遺産を誰に譲るか決める必要もあった。今日明日に死ぬ訳ではなさそうなので、落ち着いてから考えよう。
とりあえず、パソコンを立ち上げ、相場の動向を確認する。
僕が行う取引は、一日ごとに手じまいする”デイ・トレード”を中心としているので、取引終了後から開始前の間であれば眠りこけていたとしても大損する事はないが、長期保有するつもりで買った銘柄もある。幸い、相場に大きな変動はなかった様で、持ち株の評価額は若干のプラスとなっていた。




