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第31譚 - 動

『この川沿いの彼岸桜通りの先、小さな丘になっているんだけど、その先に、地元の人のみが知る海沿いの絶景があるよ。ひなちゃん向きだと思うけど』

『……お前、なに人の嫁知ったていで話してんだよ』


 

 ひなちゃん向きって何だ、と繋いだ手を強く引く廉を何度も思い返しては、ま!!! とひなは両手を頬に当てる。


(ぷくぷくと焼き餅を焼く廉様!!!)


 右京に言われたとおり、川沿いの道を足早に進むひなは1人、きゃ! と楽しそうに頬を染めていた。


(廉様も来られたらよろしかったのですが……毎日のように私が連れ回してしまって、宿でちっともまったりできませんでしたものね。それに清香とよい景色を見て散策するなど、楽しみすぎますわ……! 清香の気も晴れるとよいのですが)


 探したいものもあるのです! 見つかるでしょうか……きっと清香と一緒なら見つかると思うのです! とわくわくと心躍らせるひなは、楽しみすぎて歩きながら思わず身をよじる。


 その瞬間、大きく吹く海風が届き、飛び上がりそうになる帽子を慌てて押さえた。

 同時に、無数の彼岸桜が一斉に舞う。


「まあああぁぁぁ……!!!」


 思わず立ち止まると、雪のようでございます……!!! と視界を覆うほどの花びらに感嘆の声を漏らしながら、感激でぷるぷると震えるひな。

 風吹けば雪たる桜の美しきかな(字余り)! と大きくワンピースをなびかせながら、たたっと再び歩みを進めるひなであった。

 



 一方、烏谷神社。

 

「――あと、竹箒がぼろすぎ。境内を綺麗に保てば気が払えるかもとか思って、すっごい掃いていた感は伝わるけど、じゃあ竹箒も新調しろって――」

「容赦なく殴ってきますね、君」

「あと、長髪気持ち悪――」

「何回言うんですか、それ」

「ひなさん、多分短髪のが好きだと思うけどなあー!」

「…………」


 え? そうなのひなちゃん? 切ろうかな……と考え込む右京に、あ、こいつ結構阿呆だな、と宗一郎は鼻で笑う。


「何でひなさんなわけ。『陽』の気を宿しているから?」

「…………」


 ふっ、と目を細めると、右京は見透かしたような目を宗一郎へ向けた。


「そんな単純な話じゃあないですし、君には分からないと思いますが」


 じゃっ、と砂利を踏み鳴らし踵を返すと、参道脇のジンチョウゲの花に手を添える。


「まるで人の寄りつかなかったこの神社にある日、華やかなワンピースをふわふわと揺らして、赤い顔をしながら真剣にこの低木を撫でる、可憐な少女が目の前に降り立ったのですよ……――」


 そう言うと、ばっ! と頭を抱える右京。


「可愛すぎでしょう……!!!」

「おっそろしく単純な話だった」


 只の一目惚れだった、と宗一郎は目を丸くする。


「まあ、わかるけど」

「わかる!? やはり君もひなちゃんのことを慕って――」

「だから、ひなさんはそういう次元じゃないんだって。可愛いですし、まあそう思わなくもない時期もあったような気もしなくもないこともないですけど」

「濁せていませんよ」

「さっきも言いましたけど、ひなさんと言えば廉さん! 廉さんと言えばひなさん!!! 廉さんといるひなさんが可愛いの! ……ちょ、何言わせるんです!?」

「君が勝手に言ったんでしょ!!!」


 ちょ、急に馴れ馴れしいな!? とドン引きしたような顔を向ける宗一郎に、君でしょうが!!! と憤慨する右京。


「……ひなちゃんに、気の問題が起こったりはしていないのですか」

「巨大なもみの木が急に倒れてきたりだとか、聞いた話だと、雪とか本とか呉服が突然落ちてきたりだとか――」

「ああ、やはり…………どうしました?」


 む……と突如考え込む宗一郎に、右京は目線を向けた。


「ああ、いや……今朝ここへ来る途中ひなさんと会ったんですけど、1人で昨日あんたに教えてもらった丘の向こうへ行くと言っていたので……いやまあ大丈夫だよな……後から清香さんと落ち合うと言っていたし……」

「え、1人で?」


 今度は右京が、はたと動きを止める。


「え、何?」

「いえ…………丘の向こう、少々ぼや騒ぎの多い場所で……気絡みかなと……ひなちゃんならどうするかなってふと思って、あの場所を教えて…………いや、でもまさか1人で行くとは……」

「…………」


 すると宗一郎は、欄干にもたれかけていた身体をさっと起こした。

 たたっと残り数段の石段を颯爽と駆け降りながら、振り向かず早口で告げる。


「じゃ、僕行くので。今日帰るから、もう二度と会わないと思いますけど」


 迷わず駆け出す宗一郎にわずかに呆気に取られていた右京は、思わず呟いた。


「……多分ですが……」

「何!?」

「君が一番お人好しだと思いますけど」

「うるさい、長髪神職」


 切ります! 切りますよもう!! と叫びながら後を追って駆け出す右京に、宗一郎は思わず笑い声を上げた。




「お」

「あ」

「まあ」


 深紅(しんく)絨毯敷き(じゅうたんじ)に、琥珀色の光を神秘的に灯す花柄の灯籠が等間隔に置かれた、和洋折衷の(おもむき)の廊下。

 そこで、ばったりと顔を会わせた廉、修吾、文子。


「どこへ行くんだ? 文子」

「あなたを呼びに。荷を纏め終えましたので。あなたは?」

「夜飲んだ酒が美味かったから、買って帰ろうかと」

「廉さんも?」

「俺は、先に談話室行って――」


 廉がそう言いかけた瞬間、きゃあ……! と窓の外から聞こえる驚嘆の声に、3人ははたと動きを止めた。


「なんてすごい風かしら……!」

「洗濯物が、よう乾きそうですわ」

「乾く前に、飛ばされてしまいそう!」

「春はよう強い風が吹くからねぇ……! また、丘の向こうのぼやが燃え広がらないか、心配だわ」

「最近、多いんでしたっけ?」

「昔からよ。それで、あまり皆行かなくなってねぇ。ほんに、綺麗な景色なのに」


 ささ、早う干してしまいますよ、と仲居の声を聞きながら、誰からともなく顔を見合わせる3人。

 文子が、目をぱちぱちと瞬かせる。


「……丘の向こうって……」

「ひなさんが、向かうと言っていた……?」


 そう確認し合うように呟いた文子と修吾は、目を丸く見開いたまま固まっている廉へ顔を向けた。


「……廉。もしや、ぼやが多いというのは、気絡み――」


 修吾の声もあまり耳に入らず、廉は言い様のない不安がよぎり、無意識に口に手を当てる。

 胸に、呼吸を圧迫するようなもやもやとしたものがこみ上げ、はぁ……! と1度息を吐いた。


『気の気まぐれな悪戯を、侮ってはなりません……! 「火」の悪気が気まぐれに散らした火花が業火となり、母屋や人を焼き尽くしてしまう……そんなこともあるのです』


(……いやまさか……そんなわけ……――)


『悪気を引き寄せてくださる廉様といると、なぜでしょう、そのような事柄が起こり得ない気がするのは、私だけでありましょうか?』


 目の前で、ふふっ! と花を散らすような笑みが弾けた瞬間、廉は修吾の横を抜け駆け出した。

 修吾が、驚いたように目を見開き振り返る。


「廉! お前が行くと――」

「うるせぇな……! 俺が全部引き寄せりゃいいんだろうが……!!!」

「――!」


 呆気に取られ、動けず固まる修吾。

 その横で、まあ……と文子が口に手を当てた。


「……廉さん……あんなにも、気を引き寄せますことを……死ぬほどに嫌がっておりましたのに……」

「…………本当にな」


 ははっ! と笑うと、修吾は文子の手にぽんと本を預けた。


「修吾さん?」

「あいつに付き合うって決めたのは、俺だからな」


 ふふっ、と文子は笑みを漏らした。

 

「ひなさんと廉さんを、よろしくお願いしますわ」

「少ししたら戻る」


 そう言うと修吾は、廉の後を追って駆け出した。




 びゅうびゅうと強風が吹く中、ひなは丘の上で、まああぁぁ……、と思わず声を漏らしていた。


 強風で舞う花びらや葉っぱを愛でながら歩みを進めていたひなは、登りきった丘からその先を見下ろした瞬間、思わず目を瞬いた。

 目の前を覆い尽くすほどの、黒く重苦しく渦巻くその()()に、ああ『気』、と気がつくのに、わずかな時間を要した。


(こんなにもたくさんの気……初めて見ましたわ)


 目の前で無数に散る花びらや、驚くほどにしなる枝。

 それとは対照的な、風とは無関係に、そよ風に揺られているかの如くうごめく気の塊に、ひなは小さく震える。

 チョコレート……いえ、これはもう巨大なチョコレートのお化けのようですわね……と呟いた。

 

 その瞬間突風が吹き、わわ、とひなは風に背を押され、よたよたと斜面を駆け降りる。


(何だか……気に引き寄せられているかのよう……!)

 

 ひなは何とか手前の木に身を寄せ、足を止めた。

 図らずも気の渦に近づいたひなは、その木を見上げ、気の宿る正体にようやくそこで気がついた。


(……ここは……花桃(ハナモモ)の木の群生地?)


 暗くてよく見えなかったが、目を凝らすと、木々の枝先に薄桃色(うすももいろ)濃桃色(こいももいろ)の花を無数に咲かせている。

 なんて素敵なのでしょう……!!! とひなは目を輝かせた。


 ひなはすっと黒いレースの手袋を手早く外すと目を伏せ、とん、と木に額を寄せた。


(こんなにも無数の気……もしや、ここもあまり人が寄りつかなくなってしまった場所なのでしょうか……! 綺麗に咲き誇る花桃を、私に見せてくださいませ……!)


 ぱっと顔を上げると、1度大きく深呼吸をした。

 そうして、ささっ! と木を撫でるようにチョコレートのような黒い(もや)を払う。

 すると、目の前の視界を覆っていた気が、宙へ溶けていくようにすうっ……と消えていった。


 ぱっ! とひなはもう一度木を見上げる。

 先ほどは薄ぼんやりとしか見えなかった花桃の花が優美に咲き誇り、ひなの目が吸い込まれるように引き寄せられた。


(……なんて綺麗……)


 少しの間、ほう……! と見惚れると、いけないいけない! とひなは再び顔を正面へ向ける。

 たたっと斜面を駆け、隣の木にとん、とくっつくと、同じように気を払う。


 

(……それにしても……)


 ふと、未だチョコレートのお化けのようにうごめく気の塊をじと……と見た。


(この気を全て払えるのでしょうか……?)


 日が暮れ……!? とわなわなと震えるひな。

 すると、すぐにぶんぶん! と首を横に振る。

 

(いいえいいえ! そんな心配など月夜に提灯(ちょうちん)、無用の長物(ちょうぶつ)ですわ! 清香が来る前に、全て払ってしまうのみでございます! そうすれば、清香の『素晴らしすぎますな……!』が必ずや発動するはず――)


 その時、パチッ! と小さく何かが弾けるような音に、はっ! とひなは動きを止めた。

 その聞き覚えのある音に、胸の奥底にもや……と小さな不安がよぎる。


 ひなは、ゆっくりと周囲を見渡す。

 そして、チョコレートのような気にじっ……と目を凝らした。


 すると一瞬、渦巻く気の中に赤い筋のような気が見え、ひなの胸が大きく鳴った。


(これはもしや、『火』の悪気――)


 次の瞬間、再びパチッ! と弾けるような音とともに、ひなの視界の端で火花が散った。

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