第30譚 - 友
参拝を終え石段を下りてきた宗一郎は、数段を残した石段の上で、朱色の欄干に腕を組んでもたれ掛かる。
「……まず――」
はぁ……とため息を漏らすと、ぱっと顔を上げた。
「――手水舎の柄杓が古すぎ、あと少なすぎ。参拝客少ないって言ってるようなもので自虐感ある。あと外陣(拝殿前)が暗すぎ、拝殿も暗すぎて引く。内陣は灯籠増やした方がいいって。拝殿周りは土地柄かもしれないけど木が鬱蒼としすぎだからもうちょっと整えれば? あと御朱印拝受の場所がわかりづらすぎ――」
「何しに来たんです?」
君同業者ですね? と思わず突っ込む右京。
「あと、長髪気持ち悪すぎ――」
「喧嘩売りに来ました?」
「何しにって……参拝に決まってるじゃないですか。安産祈願。友人の」
「……ひなちゃん?」
「さあー?」
ははっ! と笑ってわざとらしく濁す宗一郎に、右京はいらっと顔を歪める。
すっと真顔になると、宗一郎はその顔を右京へ向けた。
「ひなさんのこと、本気です? あの廉さんから奪えると?」
そこで初めて、宗一郎と右京は睨むような視線を合わせた。
清香は大小様々ある焼印を手に取りながら、頭を悩ませていた。
『これから、我が家のお供え物のお饅頭も十五夜のお団子も、全てうさぎさんにいたします。よいですか』
(……ということは……この中くらいの饅頭用焼印と、小さい団子用焼印を2つ調達すべき? いやいや、うさぎの焼印2ついりますかねひな様? 饅頭に、小さい焼印でもそれはそれは可愛らしいのでは? かわ! かわ!!! が発動するのでは?? いやでも、調和が取れなかったときの絶望感を考えると、やはり2つ――)
『元気がありませんわね』
変なところが妙に聡い主人の、さりげない気遣いを思い出し、はたと固まる清香。
(…………ひな様に……)
ぐっ……と顔を歪めると目を伏せ、焼印に顔を埋める。
(あんな気遣いをさせるとは……!!!)
あああ清香は女中失格でございますひな様ぁぁああ!!! とがしがし焼印に頭をぶつける清香に、金物屋の店主がびくっ! と肩をびくつかせる。
(しかもしかも、その後のあれ何ですかひな様!?)
『疲れた時こそ、癒しのうさぎさんですわ!』
ばっ!!! と口に手を当てる清香。
(……妖精すぎ…………尊っ……!!!)
感涙を浮かべながら、可愛すぎますひな様……! とふるふる震えたのだった。
(……焼印の強度を確かめて感動してるのかな?)
そして、店主は大いに勘違いしていた。
小さい焼印からのかわ! かわ!!! に期待をしよう、と清香は小さい焼印1つを手に取る。
反応が楽しみすぎる……と思わず漏れそうになる笑みを堪えると、昨日、文子の言葉を聞いてわずかに気落ちしていた半日ほどを回顧した。
『廉さんがきっと、ひなさんを守ってくれると思いますわ』
(ひな様のお傍にずっといられればそれでよいと……思っておりましたのに……一番に頼られるのが自分ではなくなるという杞憂を、こうも引きずって、挙げ句ひな様に心配をお掛けするなど……)
新婚旅行という、夫婦の行事であるから余計でございましょうか、とそっと呟く清香。
がた、と店主のいる帳場に焼印を置いた。
「こちらを頂きたいのですが」
「ああ、決まったのかい? 強度はばっちりだった?」
「は?」
清香は思わず間の抜けた声を出した。
「随分とかわいい焼印選んだねぇ。子供用かい?」
『清香清香!』
その瞬間、事あるごとに名を連呼して駆け寄る、華やかな笑顔が脳内で弾けた。
ほわ、と頬を染めると、清香はふっと笑みを漏らした。
「……いえ。子供よりも大層可愛らしい、愛すべき主人用でございます」
広縁の椅子に座る廉の目の前には、「荷をまとめるので」という理由で今日も文子に部屋を追い出された修吾が、椅子に座り本へ視線を落としていた。
その修吾の手へ、廉はちらっと目を向ける。
「……お前、それ」
「!」
修吾はわずかに顔を上げると、ふっと笑みを浮かべ、その手に持つ、和紙に紅梅の押し花をあしらった栞を見た。
「可愛いだろう」
「可愛いとか言うな。ぞっとするわ」
「ぞっとするとか言うな」
「ひなのやつだろ、それ」
「今朝貰った」
ははっ、と楽しそうに笑う修吾。
「昨日、異様に綺麗な花をたくさん拾うなとは思ってたが、これ用だったんだな」
「お陰で、昨日は本が読めなかったよ」
「何でだ」
「お前、自分の本が押し花を押すために使われたことあるか?」
「ははっ!」
積み上げた本を1冊でも取ろうとすると怒るんだよ……と呟く廉に、修吾は積み上げた本を取られないようにじと……と廉へ鋭い目線を向けるひなを想像し、可笑しそうに腹を抱えた。
「可愛いな、ひなさんは……!」
「いつも言うな、お前それ……」
「俺たち夫婦内では、常套句だ」
「ひな信者か、お前らは」
「文子なんて、子供の分の栞まで貰って、一生の宝物にすると歓喜していたぞ」
「気が早すぎだろ」
「そっちか」
笑いながら修吾は、裏の絵見るか? と栞を廉へ見せる。
栞の裏に描かれた(恐らく花の)絵を見て、廉は思わず吹き出す。
何で色つけてもライオンに見えるんだよ……! と可笑しそうに言うと、修吾も大きく笑い声を上げた。
「……まあ、ひなさんが単純に面白可愛いというのもあるが――」
「面白可愛いって何だ……!」
「お前の嫁だからだろう」
「!」
廉ははたと固まると、思わず修吾を見た。
「傍若無人だ、極悪非道だと社交界で言われ続けていたお前を、行き遅れていたひなさんも当然知っていただろう。知っていてなお、お前との婚約を喜んでお前の妻になれるのなら幸せであると言い切ったひなさんは、やっぱり見る目があると思うし、そんなひなさんだからこそ、愛着が沸くだろう」
「…………」
「宗も文子も、そうだろう」
「僕はひなさんの友人以前に、廉さんの友人ですからね。廉さんが無駄にもやもやと変な気を引き寄せる要因は、排除したいわけです」
宗一郎は腕を組んだまま、とんとんと爪先で石段を軽く鳴らし、右京を見下ろした。
口元だけわずかに笑みを浮かべた右京が、苛立ちをにじませながら睨むような視線を返す。
「君は、気について少々詳しそうだ」
「僕は見ての通り、立派な神職ですので」
「どの辺が?」
「目悪いんですか? さすが長髪――」
「話が合いませんね」
「合わす気がないですからね」
「なるほど」
ははっ、と乾いた笑いを滲ませると、右京は宗一郎の正面に立った。
「もやもやと変な気を引き寄せる要因、と言いましたね」
「…………」
無言で、右京の見透かしたような目へじっと視線を落とす宗一郎。
「君は、僕たちの周囲に無数に巡る気が、気を宿した人の感情の波で動かされることを知っているんですね」
「かもしれない、という程度ですがね」
「あの2人が一緒にいることを、危惧しないのですか」
「まるでしないけど」
へぇ? と右京はにやりと口端を上げた。
「気を払える『陽』の気と、気を引き寄せる『陰』の気……どちらも気を動かす属性であるがゆえに、その揺れ幅も大きいと言われています」
「だから、あんたみたいな変なのが変に近づかないように――」
「僕が近くにいようがいまいが、関係ないですよ。お互いがお互いを恋焦がれるほどに、周囲の気も揺れ、思わぬ悪しき事を起こす。陰陽の夫婦……静と動、まさに出会うべくして出会ったと言えば聞こえはいいですが、少々危険だとは思いませんか?」
「だから2人は別れて、ひなさんは僕の横にいた方がいい、は違うでしょ」
「そうでしょうか?」
「諦めが悪い男と長髪の男は気持ち悪いって」
「話が合いませんね」
「そこだけは意見が合いますねぇ」
睨み合う2人。
「……君にはわからないと思いますよ。気を宿して生まれた苦悩は」
「要は羨ましいんでしょ? 廉さんが」
「――!」
はっと息を呑むと、右京は目を見開いた。
「同じ気を宿して、一方は理解者も周りにいなくて周囲の気も払えない。一方で気を払える『陽』の気を宿したぽやぽやと可愛らしい妻がいる。まあそう言っちゃえば確かにね。……でも、気を宿した苦悩とかさぁー! どーでもいいって」
「ど……」
両手を横に出してはっ! と笑い飛ばす宗一郎に、右京は言葉を詰まらせる。
「廉さんもよくぼやいてましたけどね、死ぬほど頭痛いとか身体が重いとか。それでだと思いますけど口悪くて、傍若無人とか言われてますけど、根はいい人ですから。お前にはわかんないだろとかそんなこと、絶対に言わないですよ。逆に、多忙の僕の心配とかしてたりさぁ! そんな廉さんだからこそ、良縁が巡ったのだろうし、ひなさんは廉さんのことを好いたのだと思いますよ。ひなさん、ああ見えて、すごく人を見る目ありますから。あんたがいくら色々画策してひなさんを側に置こうとしたって、無理ですよ。無理無理」
無理無理無理、と目の前で手をぶんぶんと振る宗一郎に、呆気に取られる右京。
思わず、はぁ……、と小さく息を吐くと、目を細めて宗一郎を見上げる。
「……君も、羨ましいのでしょう?」
「ああ、羨ましいですよねぇ。あの2人、見ていると。ああなりたいというか。あんな夫婦ならなってみたいというような」
ははっ! と宗一郎は笑い飛ばした。
「まあでも、あの夫婦間の空気は、廉さんとひなさんだから成せる空気感ですよ。ひなさんは廉さんじゃないとだめなんだろうし、廉さんも同じでしょ。本当に……一世一代、一期一会の奇跡の巡り合わせだと思いますよ……!」
朝から妙に大きく吹く風が、境内の木々を大きく揺らした。
ざわざわと草木の擦れる音を聞きながら、右京は昨日手を繋いで立ち去っていった2人の後ろ姿を回顧する。
廉を見上げるひなの、全身から溢れ出ていた廉への愛おしさや、絶対にこの手を離さないんだという確固たる想いを滲ませる廉の笑みが、脳裏にこびりついて離れない。
「………………そうですね」
右京は漏らすように、ぽつりと呟いた。
「羨ましかったのかも…………しれません」
そう言うと、小さく笑みを浮かべたのだった。
部屋で正座をし、慣れた手つきでささっと衣服を畳んでいく文子。
畳んだ衣服をボストンバッグへ仕舞うと、次にひなに貰ったスズメを模した金平糖の瓶に手を伸ばした。
『まずひとえに丸々ふくふくとしたスズメさんが可愛らしいということと、なんと! スズメさんは夫婦円満、家内安全、子孫繁栄、家運長久などの象徴とされていると、お菓子屋の店主様にお聞きいたしまして!』
そう息巻くひなが脳裏に浮かぶと、本当にひなさん可愛らしい……! と思わずくすくすと笑う。
笑いながら文子は、隣に置いた栞を手に取った。
白地にうっすらと桜柄の透かしの入った和紙に、1つは白、もう1つは薄紅の梅の押し花があしらわれた栞を、大層嬉しそうに見つめる。
見てくださいな、1つはあなたの栞ですのよ、可愛らしいですわね……! と腹をさすりながら文子は腹に向かって声をかける。
「ひなさんには……貰ってばかりですのね。何か……返せるものがありますでしょうか……」
そうぽそっと1人呟く文子。
「……あら?」
その時、部屋の明かりがわずかに小さくなったかのように少し陰り、ふと窓の外に顔を向けた。
遠目に見えるどんよりと黒い雲に、まあ……と立ち上がると広縁へ駆け寄る。
街には未だ陽の光が差し込むも、海には大きな波が立ち、悠然と並ぶ彼岸桜の枝が大きくしなっている。
「崩れませんと……よいのですけれども」
スズメの瓶と栞を胸に抱え、心配そうに遠くの小さな丘を見つめながら、文子はゆっくりとそう声を漏らした。




