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第29譚 - 兆

 清香は困惑していた。


 この日のおやつ時。

 宿の玄関帳場(ちょうば)前でひなたちを迎えた清香は、お帰りなさいませ、と言い切る前に、すすすす……と一直線に清香の目の前へ来るひなに、思わず言葉を詰まらせた。


 頬を高揚させ、わくわくとした期待感の籠る瞳は、いたずらを企てる子供のように輝いている。

 じっ……と清香を見つめたまま、口元は何か言いたげな言葉を何とか堪えているようにきゅっと閉じ、なぜか手を丸く合わせていた。


 戸惑いの色を滲ませた清香とひなが見合う。


「……ひな様」

「はい、清香」

「…………ええと……何かありましたか」


 そう問うと、まあ……! とひなの見開かれた瞳がきらきらと輝いた。


「よくぞ気がつきまして!」


 そりゃ気づきます、と内心突っ込む清香。

 ふふふ……! と口から堪えきれず笑みを漏らすと、ひなは重ねた手をそっ……と清香の目の前に掲げる。


「よいですか?」


 そう小声で囁くと、一瞬ちらっとわずかだけ手を開き、ぱた! とすぐに閉じた。


「……???」

「わかりましたか?」

「……花柄の懐紙(ふところがみ)……です?」

「まあ惜しい! 正解は――」


 そう声を弾ませると、ひなは満を持して、手をぱっ! と開く。

 

 そこには、可愛らしく耳と目の焼印(やきいん)が押されたうさぎの饅頭(まんじゅう)が、桜柄の懐紙に包まれて、ちょんと乗っていた。

 その饅頭を見た瞬間、ひなは、まああぁぁ……! と声にならない声を漏らした。

 

 かわ! かわ!!! とうさぎ(の饅頭)を手に乗せながら身をよじり、ふわっふわっとスカートを揺らす。

 その瞬間、背後から宗一郎と修吾の吹き出す笑い声が、玄関の間に響き渡った。

 

 清香は、うさぎの饅頭如きで何事です……? と言いたげな視線を、思わず廉へ向けた。


「……宿までの道中、ずっとこれなんだよ……」


 若干疲れ果てたようにそう言う廉に、再び背後の2人の大きな笑い声が響いたのだった。

 


「――なるほど。食べ歩き用に買いつけた饅頭を気に入り、それはそれは大事に持ち歩いていた、と……」


 そう話す清香の目の前で何度も、ぱた、と手を閉じ、そー……っと手の中を覗き込んでは、ぱっ! と開き、まああぁぁ……! と瞳を輝かせているひな。

 いや可愛い……可愛らしすぎますがね……と清香は頬を染めながら頭を抱えた。


「ひな様――」

「よいですか、清香」


 突然ひなが目の前できりっとした顔を向け、清香ははたと動きを止める。

 

「これから、我が家のお供え物のお饅頭も十五夜のお団子も、全てうさぎさんにいたします。よいですか」

「…………」


 じっ……と見合う2人。


「……かしこまりました、ひな様。明日、うさぎの焼印を調達して参りますゆえ」

「まあ! さすが清香ね! 頼んだわ!」


 そう言うと、ひなはるんるんと部屋へ向かって歩き出した。

 その隣で、まだ食わねぇの? とうさぎを包み込む手をちょんちょんとつつく廉に、うさぎさんを食べるおつもりです!? とわなわなと震える。


 すると、ひなはぴたっと歩みを止めた。

 えっ? と皆の視線がひなに集まる。


 くるっと振り返ると、再びすすす……と清香の前に出た。


「……ひな様?」


 清香の表情を窺うようにじっと見つめるひな。

 目の前で可憐な瞳をぱちぱちと瞬くひなに、思わず清香は視線を泳がせる。


「ひな様……? 近いのですが……」

「元気がありませんわね」


 思いもよらない言葉が出て、清香ははたとわずかに息を止めた。

 一瞬、今朝の文子とのやり取りが脳裏をかすめる。

 

「疲れています?」

「え? いえ……別段」

「…………」


 清香がそう言うと、ひなは再び目をぱちぱちと瞬く。

 次の瞬間、ひなはすっと清香の手を取り、懐紙ごと清香の手に饅頭をそっと乗せた。

 えっ!? と清香は目を丸くした。


「疲れたときこそ、癒しのうさぎさんですわ!」


 可愛がってあげてくださいね! と微笑むひなに、清香は驚いて声が出ない。


(あんなにも……ふくふくと嬉しそうに……可愛がっていたのに……)

 

 清香は、ひなにずっと大事に抱えられていたうさぎに視線を落とす。

 ころっと可愛らしく美味しそうなうさぎの饅頭に、無意識に頬を染めた清香から笑みが漏れた。


「はい、ひな様……!」


 清香の笑みを見て満足そうに微笑むと、ひなは再び踵を返した。

 


「それにしても、明日でこの幸せな旅行がお終いだなんて、なんと嘆かわしいのでしょう……!」


 しゅん……と寂しげなひなを見て、廉はふっと笑った。

 

「また来りゃいいじゃねーか」

「いいですね、それ!!!」

「毎年、春は温泉だな」

「何でお前らが乗り気なんだ」


 食い気味で話に入ってきた宗一郎と修吾に、思わず突っ込む廉。

 その後ろでは、饅頭をぱかっと割り、まあ白餡……よいですな……とうっとりしていた清香が、ああそういえば、と顔を上げた。


「そうそう、ひな様廉様。文子様からお聞きしたのでございますが。今日の宿泊客は我々のみであるので、夜温泉を貸し切りにして夫婦で入ることもできると、仲居が申していたそうですが、如何――」

「なななななななんと!?!?」

「いや、いいよ……」


 まっ!!! と耳まで真っ赤な顔を咄嗟に覆うひなと、照れたようにわずかに頬を染める廉。

 思っていたのとは違う反応に、あれ……? と清香は若干戸惑った。


「……そうでしたか。折角新婚旅行で温泉に参られたのですから、と思ったのですが――」

「いや…………夫婦で温泉入って、何すんだよ……」

「何…………」


 思わず言葉を詰まらせる清香に、修吾と宗一郎が笑いを堪えるようにふるふると震える。

 なななな何をするおつ……おつもりですか!!! と真っ赤な顔を廉の腕に埋めながら怒るひなに、いや、だから別でいいだろって……と、廉は照れた表情でひなを見下ろす。


 やれやれ、と饅頭をぱくっと口に含んだ清香は、ふと視線を感じて顔を上げた。

 口を半開きにして驚嘆の色を滲ませる何とも言えない表情のひなと、きょとんと見合う。


「……うさ……」

「え?」


 次の瞬間、男衆の笑い声が一斉に上がったという。




「清香の元気がありませんでしたわ」


 その夜。

 部屋でまったりと晩酌をする廉の脚の間に丸くなって座るひなが、金平糖をつまみながら、小さな笑みを浮かべてそう呟いた。

 盃を傾けていた廉は、動きを止めてひなを見下ろした。


「……俺は、気がつきませんでしたが」

「それはそうでしょうとも! 清香はそういうことをひた隠しにするのが、とっても上手なのです!」


 誇らしげにそう息巻くひなに、何でお前がそんな得意げなんだ、と笑う廉。


 かた、と廉が盃を机に置くと、まあもう空に……! とひなは口に手を当て、目を瞬いた。

 曇りガラスの洒落(しゃれ)た日本酒瓶を手に取ると、その盃へ慎重に酒を注ぐ。


 廉は注がれた盃を手に取ると、飲む? とひなの目の前にすっと出した。

 ま……! とひなは目を細めると、盃の底の桜が揺れる様子を、うっとりと見つめる。


「清香と……お酒を嗜むというのは如何でしょう」

「良いんじゃないですか? 清香さんは、酒が好きなんですか?」

「料理をしながら、よく嗜んでおりますよ」

「ははっ! それはそれは」


 楽しそうに笑う廉を見つめると、まあ……今日もなんと尊い笑顔でいらっしゃるのでしょう……! と、ぽっ、と見惚れるひな。

 

 では少々お味見を……、と盃をちょんと手に取り、ゆっくりと口をつけた。

 まやかな甘みとすうっと喉を通るすっきりとした味わい、後から鼻を抜ける華やかな香りに、ほう……! と頬を染める。

 そんなひなの様子を楽しそうに見ていた廉は、ひなの腰に腕を回すと、首筋に口で軽く触れた。


「まま……!」

「どうですか?」

「たたた大変……よ、よいお味加減でございました……!」


 ひなはもじもじ小さく身をよじると、こぼさないようにそっと盃を机に置き、恥ずかし紛れに金平糖へ手を伸ばす。

 

 手に取った金平糖を口に運ぼうとした瞬間、横から伸びてきた手がひなの手を包む。

 どき! と廉へ顔を向けると、にや、と意地悪そうな顔が目に入る。

 

 そのまま廉は、ひなのつまんだ金平糖を口に運んだ。

 

 廉の唇が指に当たり、ひなは、はわわわわ……!!! と耳まで真っ赤に染める。


「美味しそうですねぇ」


 真っ赤なひなを至近距離で見つめながら、楽しそうにそう囁く廉。

 たたた大変でございます……廉様の色気が留まることを知りません……!!! とひなはあわあわと戸惑いながら、一生懸命色気を押し戻そうと、ぺちぺちと廉の身体に触れる。


「……誘っています?」

「? どこへでしょうか?」

「…………布団?」


 まっ! と口に手を当てた瞬間、ひなの視界が回転した。

 

 あっという間に廉を見上げる格好になったひな。

 すかさず首元へ顔を寄せる廉に、廉様いけません! とわあわあ抗議をしながら、ふとあることに気がついた。


「……廉様……なぜ、青色の金平糖ばかりを食べているのです?」

「…………」


『それで、その色の琥珀糖(こはくとう)を選んだのですか?』

『なぜ、琥珀糖を見て、あの男を思い出していたのです?』

 

 ひなの脳裏に、昨夜の廉の言葉がよみがえった。


「廉様……もしや、未だぷくぷくと焼き餅を焼いて――」

「その言い方、やめてもらってもいいですか」


 気が抜けるので、と苦笑いする廉に、ひなは楽しそうな笑い声を上げた。




 翌朝。

 おん……? と清香は部屋へ入った瞬間、目を瞬いた。


 「廉×ひな=朝のいちゃいちゃ」というほどに、朝起こしに来るたびに仲睦まじい姿を散々見続けてきた清香は、扉を開いた瞬間にふわっと淡く可憐な水色のワンピースが揺れ、虚を突かれた。

 まあ、おはよう清香! 今日もよい朝ですね! とひなはすかさず眩しい笑顔で駆けてきて手を取ると、ぐいぐいと化粧箱の置かれた机の前へと清香を引っ張っていく。


「……ひな様?」


 ぽふぽふと白粉(おしろい)を軽く頬に(はた)き、温かい手で優しく広げていくひなを見上げながら、思わず呟いた。

 

「はい、清香」

「今日は雨嵐(あめあらし)でしょうかね……」

「まあ! 清香は天気がわかるのですか!?」

「…………」


 なんてすごいのでしょう! と興奮して清香の頬を少し強めにぺちぺちと叩くひなに、思わず失笑を漏らす。


「お二方が、朝お戯れになられていないなど、いつぶり――」


 その瞬間、続きを遮るようにひなが清香の頬を思いきり手で挟み込んだ。


「………………たこさん」

「ひな様の方が、ゆでだこのようでございますが」

「ま!!!」


 白粉たっぷりの手で、ひなは思いきり顔を覆ったのだった。



 気を取り直して清香の化粧(と自分の化粧直し)を終えたひなは、ぴとっと清香の腕にくっついた。


「清香清香! 清香は今日は暇かしら!?」

「3人分の荷物をまとめ帰宅の準備、宿への支払いにうさぎの焼印の調達、鉄道の切符の買いつけと……大忙しですが?」

「…………そ、そうですか」


 清香の腕を振りながら、しゅん……と明らかにしょげるひなに、小さくため息をつく清香。


「……少々なら、時間は取れますが」

「少々ね! 少々でもいいわ!!!」


 ぱああ……! と途端に瞳を輝かせるひなに、思わず吹き出す。


「今日早起きをしたのは、何を隠そう! あの川沿いの道の先の、小さな丘の向こうまで散策しに行ってみたいからなのでございます!」


 そう息巻くひなが、ぴっと窓から指を指した先を見て、清香は目を見開いて固まった。


「……遠っ」

「そうでございましょう!? 地元の方のみぞ知る絶景が見られると、昨日別れ際、右京様に教えていただいたのです」


 右京、の名が出た瞬間、むっとあからさまに顔を歪める清香と廉。


「ですので! 朝、恋しいお布団から断腸の思いで抜け出したのでございますわ!」

「廉様と行かれては――」


 清香は広縁(ひろえん)の椅子で本を読む廉に顔を向けると、廉はちら、と視線だけをこちらへ向けた。


「いや、連日の散策で疲れたから、無理」

「体力ないんですか、廉様? 体力をつけませんと、ひな様を到底満足させられませんよ」

「…………」


 ぐっ……と言い返せない廉に、おほほほ、と悪そうな含み笑いを浮かべる清香。

 その清香の前に、横からしゃっ! とわくわくした顔を出すひな。

 はあ……と清香は再び小さく息を吐いた。


「かしこまりました。では荷物をまとめた後、焼印を調達しがてら向かいます。ひな様は先に向かっていてくださいませ」

「わかりました!」


 きゃわ! と嬉しそうに身をよじると、ひなは広縁の方へ駆けていく。

 テーブルに置かれた帽子へ手を伸ばすと、パタンと本を閉じた廉が先にすっと取った。

 椅子から立ち上がると、ぽんとひなの頭に帽子を乗せる。

 

 ぽ、と廉に見惚れるように、ひなの頬がほんのりと染まった。


「寄り道なんぞしないでくださいよ」

「……廉様は、私がどう見えているのですか」


 むすっと口を尖らすひなを愛おしそうに見下ろすと、廉はひなの腰を軽く引き寄せた。

 

 まままま……! とみるみる赤くなる顔に廉が顔を近づけると同時に、化粧箱の頬紅缶が廉目掛けて飛んで来たという。




 烏谷神社で澄んだ空気の中、しゃっしゃっと砂利道を掃いていた右京は、入り口の鳥居から歩いてくる人影を見つけ、ははっ、と乾いた笑みを漏らした。

 手を止め、竹箒(たけぼうき)に肘を乗せると、可笑しそうに目を細めてその人物へ顔を向ける。


「まさか君が来るとはね。ひなちゃんの……お供――」

「友人」


 面白くなさそうに視線のみを一瞬右京へ向け、立ち止まらず前を通り過ぎると、拝殿へ続く石段に足をかける宗一郎。


「僕は、廉さんやひなさんみたいなお人好しじゃないですから」


 石段を登りながら、刺すような空気を漂わせてそう告げる宗一郎の背へ、右京はわずかに鋭い目を向ける。

 

「……なるほど?」


 そう呟くと目を細め、にや、と笑みを浮かべたのだった。

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