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第28譚 - 巡

「……そうですか。ありがとうございます」


 いいえ、お役に立てたでございましょうか、と微笑むと、若い仲居は頭を下げて立ち去った。

 清香はその背へ無意識に視線を送りながら、ふむ……と顎に手を当てる。


(……やはり……烏谷神社はあまり認知されていない……? この温泉地には確かに別の大きな氏神神社があるゆえ、当然と言えば当然やも? ひな様が以前『人の往来が無い場所は気が巡らない』とおっしゃられていたことを鑑みるに、やはり件の神職がひな様へ絡んだのは気絡み……?)


「――……さん、清香さん」

「!」


 はた、と清香は我に返ると目を丸くする。

 目の前で、どういたしました? と柔らかな笑みを湛える文子と見合うと、目を瞬いた。


「……これはこれは文子様。文子様の往来する廊下を仁王の如く立ち塞いで、申し訳ございません」

「本当に面白いわねぇ、清香さん」

「いえいえ。ひな様に比べれば、私の面白さなどたかが知れておりますゆえ」

「ひなさんは確かに……突き抜けておりますわね」

「そうでございましょう」


 やや得意げに相槌を打つと、ああ文子様、お荷物をお持ちいたします、と清香はさっと文子の持つ風呂敷を手に取った。

 まあありがとう、と微笑むと、文子は部屋へと歩みを進める。

 清香も文子の後に続いた。


「文子様は、温泉にございますか?」

「ええ。昨日温泉地を散策いたしまして……少々疲れましたので、今日はのんびりと。夫も追い出しましたし、随分とゆっくりできました」

「……修吾様は、追い出されたのでございましたか」

「互いに、自分の時間を思い思いに過ごすのが好きなもので」


 ふふっ、と文子は楽しそうな声を漏らす。


「ひなさんと廉さんは、本当に仲睦まじいですわねぇ。あんなにずっと隣で、一緒にいて……頬を赤らめたり妬いたりと……」

「全くですな」

「清香さんは、昨日の神職の件を、気にしていらっしゃるのでしょう?」


 はっ、と思わず前を歩く文子を見る清香。


「気に病むことでは、きっとございませんわ。廉さんがきっと、ひなさんを守ってくれると思いますわ」


 あんなにもべた惚れなんですものねぇ……! と楽しそうに話す文子の言葉に、清香はすっと視線を落とすと、小さく風呂敷を持つ手にきゅっと力を入れた。


「……そうでございますね」


 清香はそう呟くと、遠くに見える街に並んで咲く、優美な彼岸桜に、そっと視線を向けた。


 


 海風が1度強く吹き、彼岸桜を大きく揺らすと無数の花びらが雪のように舞う。


『もしや、烏谷神社の気を払ったことでございましょうか?』

 

 桜が舞う中、そう言って右京をにっこりと見上げるひなを、廉ははっと息を止めて見た。


 右京はふわと柔らかく目を細めながら小首をかしげ、ひなを見つめた。

 

「うん。そう」


 まあ……! とひなは目を大きく丸くする。

 

「やっぱり……!」

「すごいね。僕初めて会ったよ、気払える人。陽の気を宿してるの?」

「まさにまさに、まさにでございます! 右京様は一体何の気を宿していらっしゃる――」


 次の瞬間、廉は咄嗟にさらっとひなの髪に触れていた。

 ま……! とわずかに頬を染めたひなが振り返る。


「……何で、知ってんの?」


 不満そうな廉の顔を見てぱちぱちと目を瞬くと、ふふ! とひなはなぜか嬉しそうに笑った。

 すると、すっと廉の顔に手を伸ばす。

 

 どき! と廉は大きく目を見開いた。

 

 ひなは廉の目の横にそっと触れると、その顔を引き寄せるように軽く力を入れる。

 そうしてずいっと廉に顔を近づけ、瞳を覗き込んだ。


「廉様のとってもお美しい黒い瞳には、気が揺らいで見えるのです」

「!」


 驚いたように廉は動きを止めた。

 団子を頬張りながら傍観体制に入っていた宗一郎と修吾も、えっ!? とひなを見る。


「私は気が見えますので、それで見えるのやもしれません。昨日右京様と出会った際……右京様の藍色の瞳にも、同じように気が揺らいで見えましたので、もしやと」


 そう言ってちらっと振り返り、右京の瞳をじっと見るひな。

 へえ……! と驚いたような顔の右京がひなを甘く見つめ返すと、ふっと笑みを浮かべた。


「僕は、水の気を宿しています」

「まあ……! それで瞳が藍色なのでしょうか!?」

「どうなんだろうね?」


 どう見えてるの? と自分の瞳を指差しながらわずかに顔を近づける右京。

 その瞳を見上げると、どう……水につけたガラスペンから滲むインクのようにございます、とひなは丁寧に説明しながら、あむっと羊羹を口に含んだ。

 

 廉は、むっとわずかに口を尖らすと、ひなの腰を引き寄せた。


「何で言わなかったんだよ」

「……廉様が……言う隙をこれっぽっちも与えてくださらなかったからです」


 私は言いかけたのでございます、とひなは頬に羊羹を詰め込みながら、むすっと赤く染まった頬を大きく膨らませる。

 すん……と真顔を向けると、えっ、と廉は思わず固まった。

 

 あれ……そういえば何か言いかけてたような……? と昨夜のやり取りを回顧する廉を、むすぅ……と赤い顔でじっと見つめたまま、もぐもぐと真顔で羊羹を食べるひな。


 そんなひなへ、右京はわずかに笑いを堪えながら視線を向けた。


「彼も、何か気を宿しているの?」


 その瞬間、ひなは、はっ!!! と大きく目を見開いた。


(今では!!? 今こそ廉様をままま! とときめかせる時では――!?)


 慌てて羊羹を飲み込むと、ぱあ……! と瞳を輝かせて顔を上げる。


「はい……! わ……わわ、『私の夫』は、陰の気を宿しているのでございます!!!」


 そう息巻くと、ひなは、言えました清香……!!! と達成感を滲ませた。

 どうですか廉様!? と言わんばかりの勢いで頬を高揚させながら、ま!!! と恥じらうように身をよじって振り返る。


「………………え?」


 何? と普通のトーンで返す廉ときょとんと見合った。

 

 すん……、とまた真顔になるひな。

 次の瞬間、察した宗一郎と修吾が背後で一斉に吹き出したという。



 腹を抱え声を殺して笑っている宗一郎と修吾へ、じと……と鋭い目を向けながらあむあむ……とゆっくり羊羹を咀嚼するひな。

 その横で、廉が小さくため息をついた。


「……まあ……大体わかった。あんたも生まれつき気を宿してて、何でか知らねーけど、ひなが神社の気を払ってることに気がついた」

「僕は気は見えませんが、触れると気がつくんですよ。身体の中に波紋が広がるような、異物感で」

「そりゃ大変だな」

「……あなたには分からないと思いますよ」

「どうだか」


 はっ! と鼻で笑うと、廉はひなの手を掴み顔を寄せ、羊羹を口に含む。

 ままま……ままままま……!!! と真っ赤になるひな。

 

 そのまま手を引くと、ひなの身体がぽふっと廉の胸におさまった。


「……――!?!?」


 ぎゅ、とひなを包む腕に力を入れ、右京を睨むように見た。

 

「で? だからひなを引き込もうとか考えてるわけじゃねーよな?」

「…………」


 睨み合う廉と右京。


「……陽の気……ありとあらゆる気を引き寄せる陰とは対称に、気を払い、巡らせることができるのだそうですね」

「詳しいな」

「この身体に宿る気、神社に留まる気全てが煩わしくて、払えないかと随分と調べましたよ。気づいたら、大層詳しくなっていましたね」

「へえ」


 れれれれ……れん……廉様……!!! と息も絶え絶えに、耳まで真っ赤に染めた顔を廉の胸に押しつけているひな。


「ずっと探していた、と言えば伝わりますか?」

「いや、全然」

「貴方にはわからないと思いますよ。そこに気が留まり続けているのは感じる。それがいつ悪さをするやもしれないと感じながらも、どうすることも出来ないもどかしさのようなものは」

「確かにわからねーな。俺は死にたいと思う位に全身が重くなったり頭が痛くなる程度だったから」

「…………」

「気を宿した不運はなんつーか、誰にどう言っても伝わんねーよ。その気持ちはわかる。……けど、それがひなに触れていい理由にはならねーよ……!」

「――!」


 ひなは驚いたように目を丸くして廉を見上げた。

 

 ばっ! とひなを抱き寄せたまま立ち上がる廉。

 そのまま廉に手を引かれ踵を返そうとするひなの手を、右京はぱっと握る。


「ま……」

「てめぇ……陽の気の奴が欲しいんだったら他を当たれ――」

「ああでも、可愛いかな」


 え、と固まる皆。

 右京はわずかに頬を染めると、にこ、とひなに甘く微笑んだ。


「ひなちゃんって可憐で雅なお嬢様って雰囲気なのに、何か動きが小動物みたいだよねぇ。表情も可愛らしいし」

「ま……」


 すると、目にも留まらぬ速さでひなの手を掴み返す廉。


「ふざけんな……!」

「余裕がないですねぇ……余裕がないと愛想つかされ――」

「もう聞いたんだよそれは」


(……鷹対烏?)

 

 ぎゃあぎゃあと言い合う廉と右京を、まじまじと眺めている宗一郎と修吾。


 一方廉の腕におさまるひなは、ここここれは……! とぷるぷる震えていた。


(こ……これは、まさに…………噂に聞く、やや、やきもち……!!?)


 まああああ……!!! と目を見開くと、ばっ! と勢いよく廉を見上げる。

 次の瞬間、ひなは廉の頬をぺちぺちぺちぺち! と照れ隠しにぺちぺちと小刻みに叩いた。

 

 は? と廉は思わず固まった。


 きゃわ!!! と身をよじると、ひなはひょいと廉の腕をすり抜ける。


「右京様!」


 たっ、と右京の前に立つ。

 わずかに視線を泳がせると、人差し指をちょんちょんと合わせながら頬を染め、恥じらうようにもじもじと身体をよじった。


「すみません、右京様。あの……その、私の……夫は、とってもとっても私のことを……す、好いているようで、すぐにぷくぷくと焼き餅を焼くのでございます」


 身をよじるひなのスカートが、ふわっふわっと揺れる。

 ぷくぷく……? と廉と右京は揃って目を瞬いた。


「ままま! と少々胸を高鳴らせておりまして、気談議に花を咲かせておりました廉様と右京様のお話に交ざる期を逸してしまいましたが…………気を宿して生まれるということは、本当に、五里霧中といいますか……如何ともしがたいことが多々ございますよね」


 くすっと小さく笑うと、ひなは右京に貰った彼岸桜をじっと見つめる。


「ですが、私は清香という最高の理解者が傍におり、廉様や宗様、先生たちに出会い『可笑しい』と笑われて、何とも胸がすく思いをいたしました。私は恵まれていたのかもしれません。右京様にもきっと、そういう日が訪れると思いますわ。何といっても! 人の縁は一期一会。その良縁を運ぶのも、もしかしたら気の仕業であるかもしれませんからね!」

 

 そう言って、ふふっ! とおどけたような笑みを向けるひなに、宗一郎と修吾は思わず笑い声を上げた。

 

 するとひなは、彼岸桜の花に、ふわ、と軽く唇を当てる。

 にっこりと微笑み、右京の手を一輪挿しのようにして、花をすっと挿した。


「右京様に、よい気が巡りますように」


 そう言って、花が舞うような華やかな笑みを弾けさせた。


 ふわっとスカートをなびかせ、踵を返すひな。

 いや可愛すぎか……!!! と廉と右京揃って再び内心崩れ落ちたという。



 きらきらとした表情でたたっと廉の元へと駆けてくるひな。


「廉様、お待たせを…………廉様?」


 ふるふると震えながら頭を抱えている廉に、目をぱちぱちと瞬かせる。

 

「……ぷくぷくって……何だ……!!!」


 額に当てた手で前髪を掻き上げながら、くそ……! と赤い顔を覗かせる廉に、ひなはどきー! と肩を弾ませた。

 はわわわわ……ななな何やら色気が……溢れておりますよ廉様……と震えるあまり、黒いレースの手袋がうまくはめられない。


 その手袋をぱっと奪い取ると、廉はひなと手を絡め、ひなの真っ赤な顔に顔を寄せた。


「……お前、ずるい」

「――!」


 廉の囁くような甘い声に、はっ……! と息を止めるひな。

 にや、と意地悪そうに笑うと顔を上げ、ぐいっとひなの手を引いた。


「お前ずるいから、今日はこれで散策」

「……――!!!」


 ひなの口から、声にならない声が漏れる。


「……て……ててててて……てて、手!!?」


 ひひ、人前で、いけません!!! と廉の腕に顔を埋めるひなに、廉、宗一郎、修吾が一斉に大きく笑い声を上げた。


 

 一方、ひなに挿された花へ、少しの間視線を落としていた右京。

 ふと顔を上げる。

 視線の先で楽しそうに茶屋を後にし、彼岸桜の花びら舞う通りを仲睦まじく歩いていくひなたちの様子を、す……と目を細め、じっと見つめたのだった。

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