第26譚 - 欲
「――なるほど……左様なことがございましたか……」
ふう……と小さくため息を漏らしやや目を伏せながら田楽を咀嚼していた清香が、すっと田楽の串を握り、ギン……! と射殺すような目で顔を上げた。
「ご安心なさいませ廉様。その神職、しかと確実に人知れず息の根を止めてまいりますゆえ」
「おお、仕事早そう」
「さすが元隠密」
「じゃねーだろ」
何普通に返してんのお前ら? と廉は面白がる宗一郎と修吾に思わず突っ込んだ。
廉は宿に戻ってからも苛立っていた。
(くそ……何なんだあいつ? 突然現れて何普通にひなの手握ってんだ? しかも引き寄せなかったか? 何のつもりだ……しかも、あの人を見透かしたような目……腹立つな……腹立つ…………んだけど――)
ちら、と清香を見る。
こおおお……と鋭い目で自分以上に怒りのオーラを纏う清香。
(――何であいつは俺以上にあんなに切れてんだ?)
若干すんと冷静になった廉であった。
ぎろ、と清香が廉を睨むように見る。
「廉様は、ひな様がそのような目に合われまして、なぜにそこまで冷静で?」
「あんたの切れ具合に引いてんだよ」
「許しがたいですな、その男……! 純に純を極めたひな様の手を容易く握るなど……ひな様が廉様に素手で触れるのにどれだけ時間と勇気を要したか――」
「きききき清香清香清香!!!」
まったりと1人美味しい料理に舌鼓を打っていたひなが、まままま……! と清香に向けて慌てて飛び込んでくる。
「しっ! それはしっ!!! なのです」
口の前に人差し指を立て、清香にやや恥じらうような赤い顔を向けるひなに、きゅん……! と清香は頬を染めた。
「……はい、ひな様」
「あ、戻った」
「さすがひなさん」
宗一郎と修吾が可笑しそうに話す横で、文子がくすくすと楽しそうに笑う。
「清香さんは、本当にひなさんがお好きねぇ……!」
「はい、文子様。もちろんでございます」
腕にくっつき、清香のお膳の椿餅に添えられたイチゴをこっそりぱくっとつまむひなを、愛おしそうに見下ろす清香。
「お2人は、いつから一緒にいるのかしら?」
「僭越ながら……私がひな様と出会ったのは、ひな様と私いずれも8歳の時でありました」
「8歳! そんなに幼い頃から!」
「はい。姉がひな様のお姉様の女中として働いておりまして、たまたま姉に連れられて森部家へ訪れたのが始まりでございます」
そう言って、当時を思い出したのか、清香はひなを見ながらふっと目を細めた。
「ひな様の遊び相手になってあげて欲しい、と言われ連れてこられたのであります。今思えば、森部家から冷遇を受けられていたひな様を見かねた姉の機転であったのかもしれませんが……兎に角、私はその時初めてひな様をお見かけして……一目惚れしたのであります」
えっ? と動きを止める皆。
「……一目惚れ?」
「今も大層可憐で美しいひな様でありますが、8歳の時出会ったひな様は何と申しますか……愛らしく、お人形さんのようで、形容し難い可愛らしさが溢れていたのでございます……! そしてそんなひな様が、帰り際――」
『……清香、もう帰ってしまうの?』
「――その時の、可愛らしく可憐ながら儚げなひな様に、私の心の臓は撃ち抜かれたのであります!!!」
可愛すぎでしょうあれは!!! とぐっと拳を握る清香に、まあ清香は大げさなんだから、とぴたっと清香にくっつきながらくすくす笑うひな。
「そこから、勝手に居座った、という次第でございます」
「おい宗、酒」
「廉さん、普っ通」
「驚いてないな、お前」
「いや知ってた……っつーか、今更驚くかよ……」
どんだけあいつに殺されかけたと思ってんだよ……と呟く廉に、笑い声をあげる宗一郎と修吾。
「……ですので」
再び目を細め真顔になると、清香はめきっ! と田楽の串を握り折った。
「その男、初対面でこのひな様に触れるなど、言語道断……! 許すまじ!!!」
「ああ! 清香さんがまた隠密形態に!」
「というか、ひなさんは大して気にしていなさそうだが……?」
あれ? と皆の視線がひなに集まった。
はて? とひなは目を瞬く。
廉がやや戸惑った表情を向けた。
「……お前、大丈夫だったか? 昼間、神社で」
「……昼間……神社で……――」
『これはこれは……随分と可愛らしい妖精が迷い込みましたね』
そう妖艶な笑みでぐいっとひなの腰を引き寄せる神職の男に、ひなは目を瞬いた。
かわいらしいようせい……妖精……!? と、ひなの目がみるみる見開かれる。
「……な……」
わなわなと震えながら、ひなは男を見上げた。
(なぜ、私がメルヘンな世界の妖精とご存じで――!!?)
ここここんな遠くの地にまで噂が伝わって……!!? と驚きのあまり、はわわわ……! と奇声を発するひなに、ふっと笑みを深めるその男。
次の瞬間。
ひなの手を握っていた男の手首をぐいっと強く絞めつけるように握ると、ばっと押し上げる廉。
そのままひなの手を取り、抱き寄せるように引き戻した。
「……俺の嫁に、何か」
「!」
ぽふっと廉の胸におさまるひな。
驚いたように目を丸くした男は、へえ……? とやや小馬鹿にしたような薄い眼で廉を見た。
「いえ……少し」
「少し?」
男のどこか人を見透かすような目に、廉の胸にもや……と苛立ちと不穏さが小さく渦巻く。
そんな、睨み合う廉と男を他所に、ひなは廉の腕の中でふるふると震えていた。
(…………ど……)
昼間の出来事を思い出したのか、ばっ!!! と真っ赤な顔を両手で覆うひな。
(道徳紳士形態の廉様の「おれのよめ」!!!!)
きゃわ!!! と恥じらうように思いきり身をよじるひなに、えっ? と皆目を丸くした。
「なぜ照れる?」
「案外好みだったとか?」
ぽぽぽぽ……、とうっとり頬を染めるひなに、むっと廉は不機嫌そうな顔を向けた。
ひなは部屋でぽやっと夜風に当たりながら、温泉と酒で火照った身体を涼めていた。
遠くからかすかに聞こえる波の音と、たまに近くの草木が揺れ葉をこする音が何とも心地よい。
ふとテーブルの上に置かれたガラスの小瓶が目に留まり、手を伸ばした。
小瓶を持ち上げ、橙色の灯篭の光に透かす。宝石のような琥珀糖がきらきらと目の前で煌き、ほう……! とうっとりとため息を漏らした。
神社の帰りにぶらっと散策をしていると、前日訪れた店とは別の菓子屋の店頭に並んでいた色とりどりのガラス瓶がひなの視界に飛び込み、きゃわ!!! と秒で飛びついた。
ころっと四角く可愛らしい透き通るような琥珀糖に目を奪われながらも、たまたま手に取ったのは、水のように青く綺麗な琥珀糖の小瓶だった。
1つを指でつまみ、掲げてみる。その吸い込まれそうな神秘的な色合いに、ひなは既視感を覚えた。
『じゃあ、またね』
そう帰り際告げた、神社の神職の瞳がぼんやりと頭に浮かんだ。
あの瞳に揺らめく光には見覚えがあった。とても身近なその光を宿す瞳は、深く深く目が離せないほどに綺麗な黒だが――
「……あのお方の……瞳の色は、青色でしたわね……」
そう呟いた瞬間、がばっ! と背後から腕が回された。
「それで、その色の琥珀糖を選んだのですか?」
「れれれ、廉様……!」
驚いて振り向いたひなの目に、かすかに怒気の含んだ廉の表情が留まり、はっと息を呑む。
おろおろとわずかに視線を泳がせると、廉はさらに顔を顰めた。
「本当に?」
「……えっ!? は、はい!? ええと……」
「なぜ、琥珀糖を見て、あの男を思い出していたのです?」
「そそそ……それは……あのお方は、もしや――」
その瞬間、続きを遮るようにひなの口を塞いだ。
深く絡めるように口づけると、ひなの身体から力が抜ける。
余裕なく顔を離した廉は椅子とひなの間に身体を滑り込ませると、しゅっ! とあっという間にひなの浴衣の帯を解いた。
なななんと!? とひなは顔を真っ赤に染める。
「まままま、廉様!!?」
「何ですか」
「こっ、このような所で――」
「すみません。少し……余裕が、なくて」
「廉様――」
――この夜。
廉は初めて、沸き上がる抑えきれない自身の欲をひなにぶつけたという。
そして、その朝。
「……???」
清香は、突っ込むに突っ込めない状況に、目を瞬かせていた。
部屋にそっと入った清香の目にまず飛び込んできたのは、布団の上に座る廉の膝の上に乗って、ぎゅー! と思いきり廉の頬をつねっているひなの後ろ姿であった。
その顔は見えないが、かすかに聞こえてきた声とわずかに見える膨れた頬から、めったに本気で怒らないひなが怒りをにじませているのだと想像できる。
廉はというと、苦笑いしながらもやや頬を染めてひなの腰に手を回し、じっとひなを見上げていた。
「……いや、だからごめんって」
「痛いのです。色々なところが」
「悪かった――」
間髪をいれずに、ぎゅ、と廉の頬をさらに強くつねるひなに、廉からは苦笑いしか漏れない。
2人揃って浴衣を艶かしく肩にかけるのみで、その着崩れ具合と布団の乱れ具合から、昨夜の様子は概ね想像できた。
しかしながら、どこかそこはかとなく漂う面白可笑しい空気に、怒っているはずなのにこの空気……さすがはひな様ですな……とわずかに笑いを堪える清香であった。
そうこうしている内に、うまいことひながつねる手を優しく取った廉が、ちゅ、とひなに甘く口づける。
んんっ! とひなからやや怒り気味の吐息が漏れると、清香は思わず固まった。
「……――っ……! れ、廉様――」
「いや……真剣に怒るひなが可愛らしくて、つい」
「ま! ままま……わ、私がなぜ怒っているか――」
「この口から……他の男の話を聞きたくなかっただけ。悪かった」
「…………ま……」
ぽ、とひなの頬が染まる。
その反応をじっと見つめていた廉がふっと嬉しそうに目を細めると、もう一度ゆっくりと口づけ、ひなをふわっと布団に下ろした。
「……清香が来ます」
「いや――」
そう言って廉は、ちらっと清香に視線を送る。
部屋の入り口で動けず固まっていた清香は、その余裕のない視線に、はっ! と目を見開いた。
「――まだ、来ませんよ」
「そうでしょうか……」
「ひな――」
そこまで聞いたところで、清香はぱたんと静かに扉を閉めた。
すすすっ、と廊下を少し進んだところで、ぴた、と立ち止まる。
ふむ……、と清香は腕を組み手を顎に当てた。
(思った以上に、廉様は余裕がないご様子……? 件の神職が想像以上に引っ掛かっておられるのか……? 一体どのような人物なのか……)
烏谷神社……、と呟くと、清香はたたっと廊下を駆けていった。
境内に、しゃっしゃっと竹箒で砂利道を掃く音が小気味よく響く。
拝殿の方から、きゃあきゃあと女子の甲高い声が聞こえ、烏谷右京は顔を上げた。
参拝を終えたらしい女学生2人が石段を下りてくる。
楽しげに会話を弾ませる2人の前に、右京はひょい! と顔を出した。
後ろで1つに束ねた長髪がふわっと揺れる。
「おはようございます」
「――!」
「まあ……!」
きらきらとした笑みを浮かべると、みるみる女学生たちの顔が赤く染まった。
「ここの近くにお住まいですか?」
「は、はい……! よく前を通るのですが、初めてふらっと……ご参拝に……!」
きゃあ……! かっこいい……! と黄色い声を上げながら立ち去る女学生たちを目で軽く追いながら、ふうん……? と目を細める。
(ふらっと……初めて参拝にね……)
今までそんなこと、一度もなかった。
神社特有の、結界でも張られているのかと見紛うほど、ずっと神社全体を覆っていた重苦しい空気を、今日は感じなかった。
そんな日は生まれて初めてだった。
ウグイスの可愛らしいさえずりが爽やかな春の空気に乗って耳に届くと、ふと昨日「ひな」と呼ばれていた小動物のような可愛らしい女性が脳裏に浮かんだ。
じゃっ、と砂利を踏み鳴らし、昨日ひながさささっ! と払っていたジンチョウゲの低木に歩み寄る。
花を1つ枝の根元からぱきっと折ると鼻に近づけ、その上品な甘い香りに目を細めた。
「また……会いたいなぁ」
右京はわずかに頬を染めると、くすっと甘い笑みを漏らしたのだった。




