第24譚 - 甘
木造2、3階建ての旅館が軒を連ねる温泉街の石畳を道を、ひなと廉はゆったりと並んで歩いていた。
特有の硫黄の匂いのする湯けむりの道の脇にわずかに残る梅の木の合間には、土産物屋やお菓子屋が並び、まあまあ……! とひなは忙しく瞳を輝かせる。
頬を高揚させながらきょろきょろそわそわと慌ただしいひなに、無意識に廉の顔からふっと笑みが漏れた。
人通りもまばらで、皆思い思いに過ごしている様子がひなの視界に留まると、はっ! と目を見開いた。
隣を歩く廉をちらっと見上げる。
(いけないいけない! 私ばかりが心を躍らせている場合ではなかったわ!)
ひなは、この旅行中にどうしてもやりたいことがあった。
恥じらうように視線を泳がせると、すすす……と廉に近づくひな。
どきどきどきどき……と緊張気味に身体をこわばらせると、えいっ! と意を決して廉の腕に手を伸ばした。
「あ、あそこひな好きそうな菓子屋では?」
その瞬間――目先の店を指差す廉に、すかっとひなの腕が空を切った。
ひなは思わず固まる。
まさかの失敗に、すん……と真顔で廉を見上げる。
え、菓子屋興味ない? と不思議そうな表情の廉と顔を見合わせる。
むむむ……とふぐのように大きく頬を膨らませたひなが、さっ! と今度こそ廉の腕に腕を回した。
えっ、と廉は息を止めた。
見下ろしたその先には、自分から手を回したにもかかわらず、顔を真っ赤に染めるひなが、腕にくっついている。
一方ひなは、ななななにやら夜会のエスコートよりも緊張いたしますね……と、どぎまぎとしていた。
廉の反応が怖く、おずおずと見上げる。
すると、驚いたように見下ろしていた廉とぱちっと目が合い、どきー! と大きく心臓が跳ねた。
「ああ……あの! こここのようにして歩いてみたく……! えと……あの…………だ、だめでしたでしょうか……」
恐る恐るそう口にすると、廉はふっと笑った。
「可愛らしい妻と腕を組んで歩くのが嫌な夫などいませんよ」
「ま!!!」
ひゃわ!!! と感極まるあまり顔を覆うと、ひなははたと固まる。
(……また私ばかりが……)
おかしいですわね……と眉を下げると、しゅんと軽く目を伏せる。
でも幸せにございます……と廉の腕にぴたっとくっつき顔を寄せた。
「…………」
その一連のひなの挙動をじっと見つめていた廉が、ばっ! と顔を背け口に手を当てると、ふるふるとわずかに震える。
(…………可愛すぎか……!!!!)
殺す気かぁぁぁ!!! と廉は内心大混乱であった。
(清香の思惑通り)ひなの目論見は、本人の空回りっぷりとは裏腹に、廉には効果てきめんすぎであったという。
(くそ……何だ……? 朝からひなの可愛さ突き抜けてね? 新婚旅行だから? 新婚旅行だからなのか?)(←朝、ワンピースを揺らして顔を出したひなに、1度思考を停止させた人)
朝から気合いの入ったひなの可愛さに、表面上は平静を装いながらも内心動揺を隠しきれない廉。
そんな廉をよそに、ひなは廉の指さした菓子屋に並ぶ色とりどりの可愛らしい菓子たちに、目が吸い寄せられていた。
「ななな……なんと可愛らしい……!!! 廉様廉様! あのお菓子屋が私を呼んでいる気がいたします!」
さあ参りましょう! と抱えた廉の腕をぐいぐいと引っ張るひな。
廉様どういたしました!? と頬を高揚させながら息巻くひなに、可愛らしいのはひなですがね……と頭を抱えながら成すがまま引っ張られていく廉であった。
「まあああぁぁ……!」
菓子屋の目の前に来た瞬間、ひなはめいっぱい瞳を輝かせた。
まあ! まあ! と感嘆の声を漏らしながら、さっ、さっ、と見慣れないお菓子を手に取っていく。
「まあ――」
「全商品を買い占めるおつもりで?」
「………………まあ……」
両手いっぱいに抱えたお菓子へ視線を落とすと、すん……と冷静になるひな。
どういたしましょう……戻してもいいものかしら……? と戸惑っていると、廉がその菓子をひなの手から掬い上げた。
「これ、送っていただけますか」
店員にそう言って宿の名を告げる廉に、ひなは胸に嬉しさが込み上げる。
「れ、廉様……よろしいのですか……!?」
「よいのでは?」
ふっと笑って、廉はひなの耳に口を近づけた。
「ひなが丸々と抱き心地がよくなって嬉しいのは俺ですからね」
ひゃん!!! と思わず顔を覆うひなに、廉は楽しそうに笑う。
いやぁ楽しみですねぇと言いながら店内を見渡す廉に、むむむむ……とひなはまたこっそりと頬を膨らませた。
(…………絶対に……)
ぐっ……と拳を握ると、ひなは廉の背中をじっと見つめる。
(ぜっったいに……廉様の胸をままま! と高鳴らせて見せますわ清香……!!!)
めらめらと謎の闘志を燃やすひな。
するとその時。
廉の背の先――窓際に置かれた、きらきらと光を反射する色とりどりの瓶にはたと気づいた。
「まあ……!!!」
咄嗟に、たたたっと駆け寄る。
それは、だるまや子犬などを模した、可愛らしい瓶に入った金平糖だった。
まあ! なんと!! なんとまあ!!! と大興奮してふわっふわっとスカートを揺らすひなに、廉は可笑しそうな笑い声を上げる。
「廉様廉様!!! 私は大変なものに出会ってしまいました……!!!」
あはは……! と廉の笑い声が響く。
「お気に召しましたか」
「ええ! ええ! なんとなんと! これと出会うために私はここへ来たと言っても過言ではございませんわ!!!」
きゃわ! と身体をよじるひなに、店の奥から笑い声が上がる。
えっ、とひなはそちらへ顔を向けると、店員が楽しそうにこちらを見ていた。
「そんなにその金平糖で喜ばれるお客様、初めてです」
「……はわ……」
「ドロップやボンボンなど、見た目も綺麗で美味しいお菓子がたくさん流行ってるでしょう? 近ごろ金平糖はなかなか売れなくて……」
ほら売り場もこうも奥まってしまって……と困ったように笑う店員に、なんと!? とひなは目を丸くした。
「――……だからって、そう金平糖を買い占めます?」
「買い占めてはおりません! これは清香へのお土産、これは先生ご夫婦へのお土産、これは宗様への――」
「いります? 一緒に来ている相手へお土産」
「い、いるのでございます!」
お土産とはいつ何時買って幸せになるものなのであります! と大事そうに金平糖の詰まったうさぎの瓶を抱えたひなが息巻いた。
廉はふっと笑みを漏らす。
菓子屋を後にした2人は、海沿いの柳並木の遊歩道を、まったりと歩きながら宿へと向かっていた。
たまに吹くそよ風が柳の木を揺らす。
海面が反射したきらきらとした陽の光を受けて光るうさぎの小瓶を掲げながら、ひなはうっとりと金平糖に見惚れていた。
もじもじそわそわ、とうさぎを撫でたり振ったりしていたひなは、少しだけ……と、瓶の蓋に手を掛けた。
思いきり引くと、きゅぽん! と心地のよい音がして、ふんわりと柔らかな甘い香りが鼻をくすぐる。
手の平を広げ瓶を傾けると、ころんと淡い色の金平糖が転がった。
いつ見てもかわいいですわね……とひなは頬を染めると、たたたっ、と目の前を行く廉の前に回り込んだ。
「廉様! お1ついかがですか?」
花咲く笑顔を弾けさせながらつまんだ金平糖をかかげるひなに、廉は思わず息を止めた。
ひなの背後できらきらと光輝めく海の眩しさに、わずかに目を細める。
廉は、ひなが高々と掲げる金平糖をぱくっと口に含んだ。かりっと噛むと、ざらっとした舌触りと、優しい甘さが口いっぱいに広がる。
はぁ……、と小さく息を吐き口に手を当てると、うさぎの小瓶を大事そうに抱えながら、どうです? 美味しいです?? と大きな瞳を輝かせているひなを見た。
そよ風が、ひなの鍔の大きな帽子を揺らす。
その瞬間、廉はひなの腰をぐいっと引いた。
「えっ? ――!」
ひなの帽子を取り、隠すように顔の横に添えると、堪らず唇を重ねた。
ひなの瞳が、大きく見開かれる。
廉はゆっくり顔を離すと、耳まで真っ赤に染まったひなの顔を満足そうに見下ろして、艶っぽく囁いた。
「この帽子をひなが被るたびにキスしたくなりそうですが、いいですか」
ぽん、とひなに帽子を被せると、ははっと笑いながらまた歩みを進める廉に、ひなはわなわなとうさぎの小瓶を揺らした。
(………………よ…………よいです!!!)
ま!!! と顔を覆う勢いで、瓶を顔に叩きつけたひなであった。
「こちらがご宿泊いただくお部屋でございます」
仲居に通されたのは、畳敷きに、花柄の布張りの洋風椅子とテーブルの置かれた広縁のある、和洋折衷の部屋だった。
部屋にあがった瞬間、まああぁぁ……! とひなは感嘆の声を漏らした。
「ここ『さくら屋』はやや小高い土地に構えてございますので、よい眺望が望めますよ」
すすす、と仲居が窓の前の障子戸を引くと、ひなの目の前にきらきらと光る海と、町並みに色を添える桃色の彼岸桜が飛び込んでくる。
「まああぁぁ……!」
「新婚さんでございますか?」
「まああぁぁ……!」
「こちら、お茶請けにどうぞお召し上がりくださいな」
「まああぁぁ……!」
語彙力を完全に喪失したひなに、笑いを堪えているのか急須で茶を淹れる仲居の手がわずかにぷるぷると震える。
見かねた廉が、さっとひなの腰に手を当ててひなの顔を覗き込んだ。
「……落ち着け」
「…………ま……」
ぽ、と頬を染めるひなに、ふっと甘い笑みを漏らす廉。
その2人の様子を見た仲居は、まあぁ……と思わず目を細めると、かた、と静かに急須を置いてすっと下がり頭を下げた。
「それでは滞在中、ごゆるりとしたお時間をお過ごしくださいませ」
さささ、と仲居は部屋を後にした。
すっと扉が閉まると、感極まったひなが、がばっ! と廉の首に飛びついた。
「廉様!!! なんと素敵な宿なのでしょう――」
そう言いきるか否かというところで、ひなの視界がぐるりと回転する。
ふわっと一瞬の浮遊感の後に、座布団のふんわりとした感覚が頭を包んだ。
目の前の廉越しに、天井の木目が視界に映る。
廉の首に腕を回したまま、ひなは、おや??? と目を瞬いた。
と同時に、くいっと軽く襟元を緩める廉の真顔の表情に、ひなは息を呑む。
「限界」
「げん……?」
瞬く間に首元へ顔を寄せる廉に、ひなから声にならない声が漏れた。
「ひな様廉様、おかえりなさいませ! 散策は如何でしたかー!?」
次の瞬間、部屋に顔を出した清香が、土産物らしき木彫りのうさぎを全力で廉に投げつけたのだった。




